第18話 学生の苦悩 弍
「でも、普通の宿題は何とかなるでしょ」
注文を終えた天使さんは、鞄から折り畳んだプリントを取り出した。
「問題はこっちよね。自由研究」
僕も、その紙には見覚えがあった。
職場訪問・就業体験に関する課題。
実際の職場を訪ね、可能であれば業務の一部を体験する。
仕事内容だけでなく、その仕事が地域の生活や経済とどう関わっているのかを調べ、自分の考察を交えて発表する。
探究科目の課題で、評価への比重も大きい。
学校の近くにある商店街やスーパー、飲食店などが協力しており、紹介された受け入れ先へ応募することもできた。
店側にとっても、目的を持って働く学生はありがたいらしい。生徒の友人や家族が様子を見に来て、そのまま買い物をしていくこともあるという。
ただし、受け入れられる人数には限りがあった。
「天使さんは、ボランティアの活動をまとめるのでは?」
「そのつもりだったんだけどね」
彼女はプリントの一箇所を指した。
「普段参加してる活動の報告だけじゃ駄目なんだって。運営の仕事を見せてもらったり、お金の流れを調べたり、そういうのが必要みたい」
「団体の方には?」
「聞いたんだけど、夏の行事の準備で忙しいから、そこまで付き添えないって。お手伝いに来てくれるのは助かるけど、って言われちゃった」
「アルバイト先はどうでしょう」
「そっちも、仕事を教えるのと課題の取材は別だって。店長だけじゃ決められないみたい」
普段から学校行事に協力し、教師からの信頼も厚い天使さんは、受け入れ先についても何とかなると考えていたらしい。
僕も、人のことは言えなかった。
「間久部くんはいいわよね。もう働いてるんだから」
「……そう思っていたのですが」
鞄の中の資料へ、視線を落とす。
依頼元には企業もあれば、大学や研究機関もある。
複数の組織が参加し、国の事業に関わっているものもあった。
仕事の中身を説明できれば、課題の題材には困らない。
説明できれば、の話だ。
「具体的な業務内容を、発表できません」
「どうして?」
「守秘義務があります」
天使さんが瞬きをした。
「名前を伏せるとか」
「伏せれば済むものばかりではありませんので。何を調べているか自体、公開されていない案件もあります」
「……それ、発表したらどうなるの?」
「少なくとも、宿題の評価を気にしている場合ではなくなります」
天使さんは、プリントと僕を交互に見た。
「じゃあ、八神さんの事務所」
「正直に業務内容を書いて、先生方に信じていただけると思いますか」
「……掃除とか、お金の計算とか」
「それだけで済めばよいのですが。収入と業務の関係を具体的に説明しようとすると、結局、依頼の話になります」
相談に来る人間にも事情がある。
怪異の存在を脇へ置いても、学校の発表に使ってよい話ではなかった。
「八神さんに、発表してもよい仕事がないか確認する必要はありますが…」
「ありそう?」
僕は少し考えた。
「その質問には、希望を込めて答えても構いませんか」
「……大変なのね」
同情された。
同情する相手を間違えていないだろうか。
今は、彼女もこちら側にいる。
「学校の紹介先、まだ残ってるかしら」
天使さんが携帯電話で募集の一覧を開いた。
画面を眺め、指を滑らせ、また戻す。
表情が、少しずつ曇っていく。
「受付終了、多いわね…」
「時期が時期ですから」
「ここは……日程が合わない。こっちは遠いなあ」
差し出された画面を僕も確認する。
残っている募集にも、条件があった。期間、勤務時間、事前説明会への参加。
どれも、今から簡単に決められるものではない。
しばらく、二人とも黙っていた。
「お待たせいたしました」
店員が運んできたパフェは、たいへん華やかだった。
クリームの頂上に赤い果実が載り、グラスの内側をチョコレートソースが飾っている。
意気揚々と天使さんは長いスプーンを手に取り、小さく言った。
「……おいしそう」
いまさっきミックスグリルを平らげているのだが…
「…食べれそうですか」
「何が?」
そのとき、僕の携帯電話が震えた。
画面に表示された名前を見て、思わず眉を寄せる。
「誰?」
「雇用主です」
待っていたようなタイミングだった。
もちろん、偶然だろう。
そう思いたかった。
「はい」
『麗。明日の放課後だが、時間を空けておけ』
挨拶はなかった。
『急ぎの仕事がある。詳しい資料は事務所で渡すが、事前に確認しておいてほしいことが――』
「……はい」
頭の中には、まだ募集一覧が残っていた。
既に入っている依頼。
八神から追加される仕事。
そこへ、学校の課題のために別の仕事を探さなければならない。
働きすぎだと評された直後に、働く先が足りなくて困っている。
どういうことだろう。
『麗』
「伺っています」
『聞いているだけだろう。どうした』
「大したことではありません」
『では、簡潔に話せるな』
こういうときに限って、引き下がらない。
僕は息を吐き、学校の課題について説明した。
仕事そのものはあるが発表に使えないこと。
紹介先の募集が、ほとんど終わっていること。
八神は、途中で一度も口を挟まなかった。
最後まで聞いた。
そして、笑った。
…たいへん楽しそうに。
電話を耳から少し離すと、向かいの天使さんが顔を上げた。
『なるほど。仕事を抱えた天才が、学校の宿題にする仕事を探しているのか』
「そこまでおかしな話でしょうか」
『いや、贅沢な悩みだと思ってね』
「では、失礼します」
『待ちたまえ』
「ご用件は明日、事務所で伺います」
『そう急ぐな。少し考えている』
笑いの残る声だった。
僕は通話を切る直前で指を止めた。
紙を動かすような音が聞こえた。
何かを確かめているらしい。
天使さんが口の動きだけで尋ねる。
何だって?
僕は首を横に振った。
分からない。
分かっていたら、僕もこんな顔はしていない。
店内の音楽が、やけにはっきり聞こえた。
近くの席で食器が触れ合い、誰かが店員を呼ぶ。
まだ、八神は何も言わない。
「あの、八神さん」
『……うん。それがいいな』
嫌な言い方だった。
僕へ説明するためではなく、自分の中で何かを決めた声だった。
『先ほどの仕事は変更だ』
「変更?」
『明日の放課後、翼くんと一緒に事務所へ来たまえ』
僕は向かいを見た。
天使さんは、スプーンをくわえかけた姿勢で止まっていた。
「なぜ、天使さんまで」
『二人に説明する必要があるからだ』
「何の説明ですか」
『明日、話そう』
「ですから――」
『今日は来なくていい。翼くんを送ってやれ。ではな』
通話が切れた。
僕は、しばらく画面を見つめた。
こちらの事情を聞き出し、笑い、何かを思いつき、説明せずに終わる。
雇用主として、改善すべき点が多すぎる。
「……何だったの?」
天使さんの声で顔を上げた。
「明日の放課後、お時間はありますか」
「何よ急に…あるけど」
「八神さんが、事務所へ来るようにと。天使さんも一緒に」
「私も?」
うなずき、通話の内容を伝える。
学校の課題について話したこと。
それを聞いて八神が仕事を変更したこと。
詳細は、何一つ教えられていないこと。
天使さんはスプーンを置いた。
「……怪しくない?」
「同感です」
「課題、何とかしてくれるってことかしら」
「そうであれば、助かりますが」
助かるだけで済むだろうか。
あの人の善意らしきものに触れるたび、僕はまず、見えていない条件を探すようになっていた。
「話を聞くだけなら、大丈夫よね」
「そのつもりで済むかどうかは、別の問題かと」
「でも、聞かないと分からないじゃない」
それも正しかった。
受け入れ先が見つからない以上、可能性は確かめておきたい。
そもそも、僕には仕事として呼び出されているという事情もある。
「天使さんは、無理に来なくても」
「行くわよ」
返事は早かった。
「私も困ってるんだもの。それに、間久部くんだけで行ったら、二人分まとめて引き受けてきそう」
「僕を何だとお思いですか」
「断るのは上手そうなのに、結局やってくれる人」
返す言葉を考えた。
その間に、天使さんはまたパフェを食べ始めた。
明日は金曜日だった。
午前中の試験を終えれば、土曜から月曜まで三連休が挟まる。
残りの試験は、そのあとだ。
金曜の午後に話を聞き、必要であれば、休みのうち一日を使う。
そうして課題の目処が立つなら、悪い話ではない。
「その代わり、今日は戻って勉強を進めますよ」
「……覚えてたのね」
「忘れる理由がありませんので」
天使さんは、名残惜しそうにグラスの底を見た。
「あと一口」
「どうぞ」
「間久部くんも、何か頼めばよかったのに」
「僕は結構です」
「甘いもの食べると、少し元気になるわよ」
そう言って、最後の一口をすくう。
たしかに、先ほどより顔は明るかった。
八神の電話が解決につながると、半分くらいは期待しているのだろう。
僕も、全く期待していなかったわけではない。
少々面倒な仕事を任されるかもしれない。
理不尽な条件を付けられる可能性もある。
それでも、学校の課題を片づけられるなら、今回は多少のことには目をつぶろう。
その程度に考えていた。
窓の外は、まだ明るかった。
駅へ向かう制服姿の集団が、笑いながら通り過ぎていく。
天使さんが鞄を肩へ掛けた。
「じゃ、明日は一緒に行きましょ」
「ええ」
僕は伝票を取り、席を立った。
一日くらい仕事に使っても、残りの時間で試験勉強はできる。
少なくとも、夏休みが始まるまでには、いつもの生活に戻っている。
あのときの僕たちは、そう思っていた。
その三日間のあとにも、自分たちの前には同じような未来が続いているのだと。
疑いもせずに。




