第14話 予想外と想定内
天井があった。
白い。
さっきまで見ていた青さとは、まるで違った。
僕はしばらく、その白さを眺めていた。
何かを忘れた。
大事なことだった気がする。
口が動いていた。
何を――。
考えた途端、夢の輪郭が崩れた。
指の間から水が落ちるように、景色が薄れていく。
僕は身体を起こした。
広いベッド。
ホテルの寝室。
北欧。
競売。
八神。
順番に思い出し、最後の名前で、現実へ戻った気がした。
枕元の時計を見る。
三時間ほど眠っていたらしい。
よく寝た、という感覚があった。
頭が静かだった。
肩を回すと、動きが軽い。
いつからこんな感覚を忘れていたのだろう。
椅子には上着が掛けられ、タイも揃えて置かれていた。
僕はそれを見た。
記憶を辿る。
淡い青。
近くにあった顔。
振り上げられた拳。
そのあとに聞こえた歌。
「……」
額へ手を当てた。
眠っていた間のことより、眠る直前の方が問題かもしれない。
上着を手に取ると、内ポケットに石の感触があった。
少し迷ったが、そのまま着た。
タイを締め直し、居間へ出る。
天使さんが、窓際の椅子に座っていた。
目の前には紅茶と、小さな焼き菓子の皿。
ちょうど一つ、口へ運ぼうとしていたところだった。
「あ。起きたのね」
彼女は手を止めた。
「気分は?」
「よくなりました。……お手数をおかけしました」
「本当よ」
言い方に、少しだけ含みがあった。
僕はそれ以上、記憶を掘り返さないことにした。
「ずっと、こちらに?」
「あなたが起きるまで待ってたの」
「どうしてですか」
天使さんの手が止まった。
「どうしてって」
「自由に過ごしてよいと言われていましたし、ほかにも見るところは――」
「一人でうろうろしても、仕方ないでしょう」
彼女は焼き菓子を皿へ戻した。
「それに、また具合が悪くなるかもしれないし」
「もう大丈夫です」
「今は、でしょう」
正論だった。
ただ、それだけが理由でもないように聞こえた。
尋ねようとすると、彼女が時計を見た。
「第二部、始まってるわよ」
僕も時計を見た。
確かに、すでに開始時刻を過ぎている。
休みだから自由にしろと言ったのは八神だ。
けれど、戻れば「よく眠れたようで何よりだ」と、あの笑みで言われる気がした。
「会場へ戻りましょう」
「もういいの?」
「ええ。これ以上、嫌味の材料を増やしたくありません」
天使さんは小さく笑った。
立ち上がり、皿へ目を落とす。
「これ、持っていっていいかしら」
「誰に尋ねているのですか」
「……係の人に聞くわ」
包んでもらった焼き菓子を手に、彼女は満足そうに戻ってきた。
◇
コンサートホールへ近づくにつれ、人の声が大きくなった。
第一部のときとは違う。
何かが決まった直後のような、熱の残る声だった。
「見たか、今の」
「あそこまで行くとはな」
「久しぶりに、すっきりした」
扉の近くで、客同士が話している。
笑い声。
拍手。
誰かが、愉快そうに言った。
「ざまあみろ、だ」
僕は足を緩めた。
隣で天使さんがこちらを見る。
「どうしたの?」
「……嫌な予感がします」
誰に向けられた言葉なのかは、まだ分からない。
けれど、第一部の会場を思い出すと、候補はそれほど多くなかった。
係員が扉を開けた。
歓声が、はっきり聞こえた。
舞台の照明が明るい。
女性司会者の声が、その上を通った。
「角、翼、眼、外骨格、爪、牙、鱗、そして別途保存された血液に至るまで!」
僕は立ち止まりかけた。
「本個体に付随するすべての品を、一名様による一括落札! 本日の特別出品、ここに決着でございます!」
大きな拍手が起こった。
口笛も聞こえる。
よほど激しい競り合いだったらしい。
第一部の精霊石のときとは、客の反応が違った。
誰かの勝利を、会場全体が面白がっている。
僕は上階席へ続く通路を見た。
八神がいるはずの方向だ。
ようやく軽くなった胃が、また縮んだ。
「戻りたくなくなってきました」
「大丈夫よ」
天使さんが言った。
「あなたが何かしたわけじゃないでしょう」
「それで済む相手でしたら、ここまで苦労していません」
「何か言われたら、私も言うから」
その言葉を、危険だと思う余裕がなかった。
妙に心強かった。
「……お願いします」
僕が答えると、彼女は少し驚いた顔をした。
それから、しっかりと頷いた。




