第11話 饗宴の果てに
誕生日に何かを貰うとき、どういう顔をすればいいのだろう。
礼を言う。
それくらいは分かる。
分かるが、掌にあるものが三百億円の買い物の一部で、しかも先ほど僕の血を吸い込んだとなると、話は違ってくる。
「お返しします」
会場を出て最初に言ったのが、それだった。
八神は歩みを緩めなかった。
「いらん」
「僕も困ります」
「もう君のものだ」
「受け取るとは申し上げていません」
「受け取っただろう」
投げられたからだ。
落とせるわけがないから、とっさにつかんだだけだ。
その反応まで承諾に含められるのであれば、いよいよ僕には防ぎようがない。
僕は石を持ったまま、八神の隣へ並んだ。
「そもそも、先ほど何をしたのですか」
「お守りにした」
「血を使う必要が?」
「あった」
「どういう効果が?」
「持っていれば分かる」
いつもの問答だった。
ただ、いつもと違って、僕の手には値段も扱い方も身の丈に合わないものが残っている。
「なくした場合のことを考えるだけで、気が休まりません」
「そう簡単にはなくならない」
「壊したら?」
「そう簡単には壊れない」
「僕が持っていることで、厄介なものが寄ってくる可能性は?」
「すでに寄ってきているだろう」
否定できなかった。
隣で天使さんが僕の手を覗き込む。
「そんなに嫌なの?」
「嫌というより、責任を持てません」
「誕生日のプレゼントなんでしょう?」
「そういう名目で渡されたことは承知しています」
八神が、ようやく足を止めた。
エントランスホールの大きな窓から、白い光が差していた。
磨かれた床に、人影が淡く映っている。
「麗」
名前を呼ばれ、顔を上げた。
「お守りとして持っておけ」
先ほどまでと同じ言葉だった。
けれど、今度は次の質問を挟む場所がなかった。
僕は八神を見た。
その左目からは、何も読み取れない。
仕方なく石を内ポケットへ収める。
八神は、それを確かめてから視線を外した。
僕は口を開きかけた。
礼を言おうとしたのか、まだ文句が残っていたのかは、自分でも分からなかった。
「ずいぶん派手に遊んでくれたな、八神」
低く、よく通る声がした。
振り向くと、男女が二人、こちらへ歩いてきていた。
先に目を引いたのは、男の方だった。
大きい。
背が高いだけではない。礼装の上からでも分かるほど、肩と胸に厚みがある。
短く整えた髪に、彫りの深い顔。白い肌と明るい色の目が、窓からの光によく映えていた。
口元には笑みがある。
ただ、歩き方に余計な揺れがなかった。
その隣を歩く女も同じだった。
灰色の髪を三つ編みにまとめ、身体に合った軍服を着ている。
背筋が伸びていた。
表情の乏しい美人だったが、冷たそう、という印象より先に、無駄がない、と思った。
男が八神の前で足を止める。
「競売ってのは、もう少し駆け引きを楽しむものだろう。相手の札を見て、腹を探って、最後に一枚上を行く。そういうスマートさが君には足りない」
「金額は上を行ったぞ」
「階段を上がれと言って、建物ごと飛び越える奴があるか」
八神が笑った。
女は笑わなかった。
「節操がなさすぎる」
短い声だった。
「取り消しの確認で進行が遅れた。無用な混乱は、時間の無駄」
「君たちの欲しい品は避けたつもりだが」
「そういう問題じゃないんだよ」
男が片手を上げる。
「俺はこのあと、サーシャと落ち着いて一杯やる時間も欲しかった」
「私は約束していない」
「今から取りつけるつもりだった」
「いや」
男は胸へ手を当てた。
「せめて酒の種類を聞いてから断ってくれないか」
「何でも同じ」
八神が、今度ははっきりと笑った。
男も、それほど堪えた様子はない。
むしろ慣れたやり取りらしかった。
天使さんが、僕の袖へそっと触れた。
「お知り合い?」
「僕は存じません」
「紹介くらいしてくれてもいいだろう、八神」
男の視線が、僕たちへ移った。
八神は気の進まない作業を片づけるように、片手を動かした。
「グレイ=オーシャン。アメリカ人。特殊部隊を出たあとも、懲りずにこの手の仕事をしている」
「軍を離れても、需要はあるものでね」
グレイと呼ばれた男が笑う。
「こちらはサーシャ=ウィンダム。ロシア人。見てのとおり、愛想がない」
「あなたに使う分がないだけ」
女が即座に返した。
八神はまるで気にしない。
「二人とも同業者だ」
「八神さんも、ほかの方と一緒に仕事をなさるのですか」
思わず尋ねていた。
「不本意ながらね」
「所属先が違っても、上の連中の考えることは同じでな」
グレイが肩をすくめた。
「手に負えない案件になると、俺たちとこいつで三人組を作れと言ってくる」
「最近は、八神の制御まで任務に含まれている気がする」
サーシャが淡々と言う。
「今日の働きぶりは、ずいぶん不十分だったな」
「事前に知らせなかった者の発言とは思えない」
八神へここまで遠慮なく言う人間を、僕は初めて見た。
近くを通った客が二人の姿を見て、同行者へ何かを囁いた。
その声の端に、「あの二人なら」という言葉が聞こえた。
単なる顔見知りではないらしい。
八神と並んで仕事を任され、その横暴へ正面から文句を言える。
その意味を考えかけたとき、グレイが僕へ目を留めた。
「で、こちらは?」
「私の助手と、その友人だ」
「助手?」
グレイが聞き返す。
サーシャの視線も、僕へ移った。
「君が?」
その問いは、僕ではなく八神へ向けられていた。
「何かおかしいか」
「いや。少し意外だっただけさ」
グレイは笑っていた。
笑ったまま、僕を見た。
空気が重くなった。
胸の前へ、見えない壁が押し寄せた。
息を吸ったはずなのに、肺へ届かない。
グレイは、ただそこに立っている。
肩を張ることも、声を荒らげることもしていない。
それなのに、その身体から溢れるものが、僕の周囲を埋めていく。
強大な霊力。
そう理解した途端、別の感触が首筋へ触れた。
細い。
冷たい。
水に濡れた糸で、皮膚の内側をなぞられるようだった。
サーシャの目が、僕を見ていた。
顔から肩へ。
胸へ。
それより、もっと奥へ。
何を調べられているのか分からない。
分からないのに、見落としなく、隅々まで触れられていることだけは分かった。
気持ちが悪い。
そう思った瞬間、視界が揺れた。
立ち位置を変えようとして、足が動かなかった。
膝に力が入らない。
床が、遠くなる。
いや、近づいているのだろうか。
疲れている。
ひどく疲れている。
今になって身体が、その事実をまとめて訴え始めた。
「間久部君?」
天使さんの声がした。
返事をしようとして、喉がうまく動かなかった。
腕を取られる。
僕の前へ、淡い青が割って入った。
「何をしてるんですか」
天使さんだった。
何が起きているかは、分かっていないはずだ。
それでも、僕の顔色と、二人の視線を見れば、十分だったらしい。
「具合が悪いんです。やめてください」
声が、まっすぐに響いた。
ほとんど同時に、八神が言った。
「そこまでだ」
静かな声だった。
僕の胸へかかっていた圧力が止まった。
皮膚の内側を這う感触も、消える。
大きく息を吸った。
今度は空気が入ってきた。
天使さんが僕の腕を自分の肩へ回そうとする。
「大丈夫? 座れるところ――」
「……立てます」
「今、倒れかけたでしょう」
そのとおりなので、言い返せなかった。
グレイが、僕から八神へ視線を移した。
笑みは残っていたが、先ほどとは形が違った。
「悪い。少し確かめるつもりだった」
「少しにしては、手が長い」
八神が言った。
サーシャは僕ではなく、八神を見ていた。
何かを考えるように、ほんのわずかに首を傾ける。
「……そう」
それだけ言って、視線を外した。
天使さんは二人を睨んでいた。
「何をなさったのか分かりませんけど、相手が困ってるのは分かったでしょう」
「その点は謝る。すまなかった」
グレイは、今度は僕へ向けて頭を下げた。
サーシャも短く告げる。
「配慮が足りなかった」
「……いえ」
いえ、ではない。
何もよくはなかった。
ただ、その先を考えて言葉にする気力がなかった。
グレイが八神へ向き直る。
「少し話がある。来てもらえるか」
「ここでは駄目か」
「別の場所がいい」
その返事を聞いて、八神は一度だけ二人の顔を見た。
それから、僕へ手を伸ばした。
「包みを」
僕は抱えていた三星剣を差し出した。
いつの間にか、腕へひどく力を込めていたらしい。
手を離すと、指が少し痛んだ。
「君たちは自由にしていろ」
「自由、ですか」
「ああ」
八神は包みを受け取り、何でもない顔で続けた。
「今日は休みだろう」
言いたいことは、いくらでもあった。
今までのどこが休みだったのか。
自由にしていいなら、最初から帰らせてほしかった。
そもそも、ここまで連れてきたのは誰なのか。
口を開きかけて、閉じた。
もう、考えたくなかった。




