いざ、王都へ 1
レティアと王都を結ぶ街道を一行は進んでいた。颯爽と馬車が走る。
毛づやのよい立派な馬だ。持ち主もさぞ立派な貴族かと思われたが、そんな人物は見当たらなかった。
緑の鎧を着た少年が御者台に座っており、引かれるものには手足の長い青年と麦わら帽子の少女がいた。馬に比べると荷台はみすぼらしいものだった。物の運搬には十分であろうが、屋根もなく藁が敷かれているだけ。要人を運ぶためのものにはとても見えなかった。
「速い速ーい!」
その荷台から身を乗り出し、少女は歓声を上げた。帽子から出ている灰色の髪が横に流れるが、強く吹き付ける風すらも心地よそうにして笑っている。
「ちょっとお嬢ちゃん、危ねぇっすよ」
「ん――引っ張らないでよ、もう!」
コーディーに腕を引かれ、マリィは頬を膨らませた。ぷんぷんという擬音が似つかわしい。
「マリィ、風が気持ちいいだろ? でもな、コーディーの言うこと聞いて、お行儀よくしてくれよ」
手綱を握っては振り返りもしない兄代わりであるが、妹の方は「はーい」と答えて座り直す。お行儀よくと言われたので、飛び込むことはせずに藁へゆっくりと身を埋めていた。
帽子のつばを少し持ち上げると、視界に澄んだ青色が差し込んでくる。兄や従者の日課を終えた後すぐに町を出たため、日はまだそれ程高い位置には上っていなかった。
「お兄ちゃん、あれ何っ? すごく大きい!」
「あー……マリィも見るのは初めてか」
まだ王都の壁すら見えはしない。それにも関わらず、遠近感を狂わせる大きな樹がネギの勇者一行の前に聳えていた――キリカもこんな風に驚いていたことを思い出し、ジオは口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「お譲ちゃん、知らないんで? あれがアイリスの樹なんだぜ」
「お兄ちゃーん、あれ何っ? すごく大きい!」
まるでコーディーの言葉が聞こえていないように、少女は繰り返す。流石の勇者もどうしたものかと振り返ると、幸薄い男は藁の中に頭を突っ込んで肩を震わせていた。
「……あれが、アイリスの樹だよ」
ジオの答えに、満足でもいったか。マリィは「へぇー、あれがそうなんだぁ」と驚きを口にしていた。キリカを素直と評するなら、マリィは無邪気であろうか――これも彼女の個性だとは理解しているが、流石に従者が可哀想にも思えてきたところ。
先日にも見られたが、この少女は同じ問いかけを繰り返すことがあった。今までは気にならなかったが、勇者として、兄としてジオは口を開く。
「あのなぁマリィ。コーディーのやつを無視しないでやってくれよ。まぁ、奴の日頃の行いが招いた結果ではあるが……無視はいかん。そんな風に兄ちゃんは思うぞ」
「無視?」
事態が全く把握出来ないとばかりに少女は首を傾げる。次いで視線を這わせると藁に潜る従者の男が見つけられた。
「コーディーさんは、どうして震えているの?」
「んあ?」
思わず少年は間の抜けた声を上げた。無垢な表情の彼女が嘘を吐いているようにも思えない。まるでこの短時間に記憶をごっそりと抜け落としたようですらあった。
(記憶がない……だけじゃないのか? やはり、早くじっちゃんのところへ)
神殿で見つけた少女は、何もわからないと答えた。レティアで医者に診てもらうも異常は見られなかった。それこそ、何もわからないのだ。
ギルドにも当たったがマリィを知る者はおらず。神殿が絡むのであれば、細やかな魔法を苦手とするジオではお手上げになってしまう。ティアが戻らぬ状況ではレティアに留まっていても仕方がない。
八方塞がりになった勇者は、大英雄ヴァリスナードを頼りに王都へと向かうことに決めていた。
「旦那ー、自分とこの神さんには何も聞かなかったんで?」
髪に藁クズを乗せた従者が素直に疑問を口にしていた。邪な願望をよく口にするが、立ち直りが早くて主としては助かる。
「ルファイドか。あれな、流石は俺の信奉する神というか……壊すのは得意だけど、細かなことは苦手らしいんだ」
「へー、神ってのも万能じゃねぇんすね」
しみじみと溢すコーディ。闘神と呼ばれているものの、あれは破壊神とでも呼ぶべきだとジオは口を開こうとする。
「お兄ちゃん、外は魔物がいるって聞いたけど、本当?」
それもマリィの疑問に割って入られた。未だ御者台に座ったままながら、兄は首だけを後ろへと向けて応えようとする。
「はっはっは、この辺りは最近では魔物も出ないもんですぜ。ねぇ、旦那?」
「……お兄ちゃん、外は魔物がいるって――」
「今のは、態とだな?」
コーディーが颯爽と口を挟むも、完全無視であった。態とらしさにジオがツッコむと少女はバツが悪そうに笑っていた。
「とは言えな、魔物がまったく出ないってこともないんだ。この間はここで蜥蜴人に囲まれてな」
「蜥蜴人!」
「ほんとですか、旦那っ」
語る勇者に対して、他の二人はそれぞれに驚きの反応を示した。
人間種に敵対する魔物は多かれど、肉食の狂暴な種族を聞けば身も震える。ただネギの勇者としては徒に恐怖を煽るつもりもなく淡々と語ってみせた。
「嘘ではないが、心配する必要もない。蜥蜴人が現れるにはそれなりの予兆があるものさ――例えばだな、ヤツらは集団で行動するから勢い込んで来たら地響きがするぞ」
人差し指を立てて語るジオ。勇者としての矜持から、やはり無駄に脅かすような口調を取ることはなかったが、教訓のようにして言葉が紡がれた。
「お兄ちゃん、地響きって、これ?」
タイミングを見計らったかのようにして、彼らの頭の上を何か大きな者が横切る。空を突っ切るそれは余りに大きく、マリィはゴゴゴという音を耳にしては兄へと言葉を投げかけていた。
「いやー、これは蜥蜴人じゃないな」
「だ、旦那! これ、これはもっとヤバいですぜ!」
「危ないの?」
大きな風切り音を残し、それは立ち去った。しかしてすぐさま一行の上に大きな影を造る。
蜥蜴人であればどれ程気楽であったか。上空から影を落とすそれは、より一層の脅威を告げていた。空を翔ける魔物はあれど、地上に生きる者を覆いつくような大きな存在となると数える程しかない。
「んあー、これはだなぁ……竜かな?」
「へー、竜なんだぁ」
記憶を失くしたマリィであるが、この世界で必要とされる知識は染みついたように残っている。それ故に日常で出遭うことのない竜種への脅威は他人事に過ぎない。
少女から呑気に言葉が出されるが、聞くや否や手足の長い男は恐慌状態に陥いる。
「旦那! 竜とか、どうすんですか!」
コーディーは他の反応を他所に一人で慌てふためく。こうしている間にも影は色を濃くしていく――上空から降り立ったものが勇者一行の馬車へと、真上から接近していることを示している。
「どうもこうもな。相手の目的がわからんのだから仕方ない。コーディー、竜は自然災害のようなものだ」
諦めろ、そのように主が続けるが、従者としては堪ったものではない。
「な、何を言ってんすか、旦那!」
「うむ。お前もネギの勇者の従者であるなら、ジタバタするな」
わっはっはと豪快に笑う姿は正に勇者。自身を小者と認めるコーディーとしては、主のこのような姿にはとことん憧れてしまう。だが、今はそのような場合ではないだろうにと御者台のジオへと必死に飛びかかる。
バサリ――コーディーの抵抗も虚しいかな、竜が地面に降り立つ際になる独特な音が響いた。
「お、終わりだーーーっ!」
「竜、でっかーい!」
各々が感情に任せて言葉を吐いてしまう。手綱を引く手すら止めたジオのみが影の近づく様をのんびりと見送っていた。
「お――」
続き出された言葉は、敵に対するものではなかった。
太陽を背に近づいて来たものは暗く見えづらかったが、地に降り立てば竜の赤い肌が目に入る。人の名前をなかなか覚えられないジオであっても、拳を交えた相手は別だ。
「緑色鬼殿! 緑色鬼殿ではないか!」
「ああ、やっぱりこの竜はエディンだったか。えっと、あんたは――」
地面に降り立った赤竜、最強種とも言われる竜に跨るは白銀の鎧を纏う女騎士であった。
長い髪は金色を携え、陽光に照らされては煌く。魔物を滅する魔物、脅威をその示す名を琥珀の瞳をした女性は嬉々として呼んでみせるも、当の緑色鬼は組んだ腕を顎元へとやって首を傾げていた。
「竜騎士エドワンですよ。お忘れか?」
「ん? エドワン……あんたが?」
「勿論。赤竜エディン、我が友の背を任されるは私以外にいませぬな!」
ぷくっと頬を膨らせながら、エドワンは応える。拗ねた表情をしても、美貌は揺るぎない――世の美女と浮き名を流したヴァリスナードすらも称えた容姿であるが、今一つジオには響いていなかった。
赤竜との激闘の際、エドワンの顔は白銀の冑に覆われていたため、残念なことにこの勇者には彼女と竜人の第二王子が一致せずにいる。不測の事態に合わせるよう御者台から降りてもいた。
ついでに言えば、エスジレーヌ国の竜人との激闘後、ジオは頭がパンクしていたため記憶が混濁していたりもした。残っていたものは、溶岩竜とそれを駆る白銀騎士との闘いのみであった。
「くっ――流石は人間種における最高峰の勇者よ。王族であれども、私程度では目にもくれぬか。先日の非礼や命を助けていただいた礼を直接と思っていたが……」
赤い竜に跨ったまま、エドワンはがくりと項垂れてみせる。彼女自身、己の美しさを自認していないことは幸か不幸か。素顔を見せてもいなかったが、認めた相手の記憶に残っていなかったことを素直に悲しんでいた。
彼女が何故気落ちしているか、その背景を少年勇者は理解してもいなかった。だが、そこはそれとして話は進む。
「竜ーー、大きーい!」
「あの、旦那と――ジオ様と争う気はないんで?」
とぼけた表情の勇者、竜へ感嘆の言葉を繰り返す少女、それらを放ってコーディーは言葉を投げかけていた。
本来であれば竜を前に腰が引けるところだ。だが、この小心者の男を突き動かすものがあった。竜がどれ程怖くとも、それに跨る白銀の騎士は、恐怖を補って余りある程に美しい女性だった。
「勿論。むしろ、緑色鬼殿とは懇意にした……ジオというのが、彼の名か?」
穏やかに応える竜人の王子も、台詞の途中から再び拗ねるような表情をしてみせる。名前を教えて欲しい――そのように伝えていた筈も、兄が王都で暴れていたために有耶無耶にされてしまっていた。その怒りにも近いものが蘇ってきていた。
「緑色――否、ジオ殿!」
「あ、はい……何だ、何でしょう?」
「貴殿、これからどちらへ?」
美人から、ややキツめな言葉を喰らってジオはたじろいでしまう。最後に残った勇者としての矜持で、腕を伸ばして妹分を護ろうとしてみせるが、状況からして随分とズレている。
地味な活躍ばかりをしていたからか、この少年勇者は美人に好意を持たれるという状況を受け入れることが出来なかった。
「お兄ちゃんと私は王都へ行くところだよ、騎士のお姉ちゃん」
「そうか。私は緑色――ジオ殿へ質問していたところだが、明確な答えだ。うん、礼を言おう!」
ジオと会話しているんだぞ、そんな気持ちを隠すことはなく、むしろ率直に語りながらも竜の王子はお礼を述べたりする。人間種と文化の違いはあれど、悪い人ではないと伝わったようだ。マリィは竜を操る騎士へにっこりと笑顔を向けていた。
「よし、ならば話は早い。エディン、頼むぞ!」
「――――――っ!!」
意気揚々と発するエドワン。ガチャリと金属音を立てながら仮面を被れば、そこには最強竜すらも従える竜騎士の姿があった。永らく友好を結んでいれば、赤竜は大きく咆えて了承の意を示す。
「だ、旦那ーーーっ!」
不意に起こる浮遊感、それは魔法の類に縁がないコーディーには喩え難い脅威であった。
横ではマリィがキャッキャとはしゃいでいるが、馬車ごと地面から引き離されていく様は、大地が裂ける程の恐れと言えば伝わるであろうか。ともかく、手足の長い男は身を捩って恐怖を訴えていた。
「ああ、エディンに乗ってるのだから、やっぱりエドワンだよな。怪我が治ったか」
うんうんと、今更ながら主の方は納得してみせる。
「思い出していただけたか? 積もる話もあるが、ともかく王都へと向かおうよな」
翼を広げた赤竜は馬の移動速度、その比にならぬ速さで空を翔けた。
一日がかりでの移動を瞬く間に成し得る竜は、やはり脅威的な存在である。無邪気なマリィはともかく、常識を遥かに超えた出来事を前にコーディーは言葉を失っていた。
「なー、エドワン」
「何か?」
竜人種の姫は、ふと投げかけられた言葉にも生真面目に返す。
同族には見られない黒髪黒目、その色に目を奪われていたのは確かだ。それでも珍しいものに、一時ばかり心を奪われただけかと思えた。何ということはない、こうして見るとこのぶっきらぼうな人間の勇者が不可解で、どうにも動悸を覚えてしまう。
王子としてでなく、ただの一個人としてこの少年は己を見てくれている――そのように思えるのだ。そんな男が、真面目腐った顔をして言葉を紡ごうとすれば、どうしてもエドワンはいつも以上に構えてしまう。
「あんた、王子だったんだろ? いつの間に女になったんだ?」
出され言葉は、このようなもので、調子も随分と間の抜けたものであった。
ジオの側に立てば、身を削る激闘の末の話だ。王都に幽閉されるなどのショックが祟って記憶を飛ばしているので仕方がない。だがそんな彼の事情など、闘いに明け暮れるでしかなかった竜人種の姫には関係ない――というより、通じない。
「……今も昔も、私は王子だ。この身は女には見えませんでしたか、そうでしたか」
拗ねるを通り越し、不機嫌な表情を隠すこともない。相棒の感情変化を知ってか、エディンはジオを振り落とそうと何度か急降下をするなど、抵抗を示していた。
途中で二度ばかりコーディーが落下する危機があったが、大した被害もなく、ネギの勇者一行は目的の王都トトリへと破格の速さで到達してみせた。




