彷徨える者たち【幕間】
鐘の音を耳に、少年は顔を大きく顰めた。神職に就く身であるのに、表情を取り繕う気配すらない。その背丈は高く、首はやや傾けられて不機嫌さが露わにされていた。
尤も、艶のある黒い全身鎧に覆われた身は、傍から顔色など窺えずにいる。そもそも黒騎士へ不用意に近づける者も少なかった。また彼――スティンの雰囲気が見て取れる程に近寄れる人物であるならば、その事情を察して早々に離れるものだ。
レジナス王国の首都トトリ、その北部直近に構えられた小さな町では今日も鐘が高らかに鳴り渡る。大きさも人口も地方の村程度、特産品も工芸品もない町であるが、二つばかり他の村や町ににはないものがあった。
国教であるアイリス教の主神を祀る大聖堂が備えられ、白く厳かな託宣の間には教皇サリナ・アイリスが座する――それは嘘か真か、世間は知る由もない。何せここカルデレナは一部の王国民、それも敬虔なアイリス教徒しか足を踏み入れることは許されないためだ。
「ちっ――」
冑に隠れることをいいことに、スティンは舌打ちを堪えることもなかった。日頃ならば美しいと思えるこの鐘も、今はともかく神経に障る。
騎士として鎧は与えられているものの、序列ではまだ下から数えた方が早い身分である。しかしこの態度を咎める者はいない。
むしろ、厄介事から逃げるようにして道が出来ていた。出自のみでなく、若くして黒騎士に上り詰めた彼へ態々ケンカを売ろうという者などいるであろうか。
小さな町であるが、大聖堂までは黒騎士がズラリと居並ぶ。その人の波を割りながら少年騎士は場合によっては王都以上に大切とされる地へ足を踏み入れんとする。
「何の用向きか? 今は託宣が行われている最中であるぞ」
国教の砦たる大聖堂は、黒騎士と言えどもすんなりと入ることは敵わない。少年よりも更に身の丈――オークに届こうかという程の人物が、身長に匹敵する大斧槍を地面へ打ち鳴らしながら問うた。
しわがれた声を出す者は、同じく黒色の鎧に包まれた騎士だ。ただし声に相応しく、鎧は少年のものよりも二回りは大きい。冑に顔を隠す黒騎士であるが、彼を知らぬ騎士はモグリとすら言われる。
図体に似合わぬ“旋風”という二つ名を持つガレックは、門兵などではなく歴戦の騎士であった。
「主神アイリスに、祈りを」
スティンは黙ったまま手を組み合わせ所作を披露する。この国では言葉の覚束ない幼子すら知る、祈りの所作だ。
「ほぅ……」
珍しいものを見て、老人は呟きを漏らした。
黒騎士は敬虔なる信徒にして、神の刃である――とは表向きの話だ。
アイリス神が望んだものは心強き者であるが、力がなければ異種族――人間種に限るが――へ主神アイリスの素晴らしさを説くことも出来ない。高潔さよりもまず力が彼らには求められた。
黒騎士の間では祈りの所作は形骸化されている。未来を担う若者たちは特に思うこともないようで、憂うものは年寄りばかり。このガレックもまたその一人であった。
「見事な所作であった。何を願った?」
「願うなど……ただ、矮小なる我が身が為すことをご覧くださればと。ただただ祈るのみです」
「ほぅ、ほぉぅ!」
魔物との大戦を生き抜いた老兵は大きく眼を開く。
魔物の脅威はあれど平和になったこの時代、祈らずに願望ばかりを口にする輩を多く目にしてきていた。神に望みばかり告げる民へと辟易としてきたところ、まだ年若い騎士がこのような祈りを届けることを見ては相貌を崩そうものだ。
「願望ではなく、祈りをただ届ける……そちらは若き黒騎士にして、名のある神官か?」
「大層な名などは、私にはありません。ただの七光りですよ」
刮目する老騎士を前に、スティンは冑のバイザーを上げて応えた。聖職者とは思えぬ鋭い眼光、その片方は縦に走った傷により潰れている――これを見て彼が誰かわからぬ者がいたとすれば、それこそモグリだ。
「ぬ? 嗚呼、そなたは七光りなどでは――要らぬことを申した。通りなされい」
バーンと背中を張られながら、少年騎士は大聖堂の門へ手を掛けた。振り返ればガレックがバイザーを持ち上げて祈りを贈っているところであり、思わず口元に笑みが浮かぶ。
高名な騎士に認められているようで、機嫌の悪さも少しばかり持ち直していた。
「スティン、先の竜人共の襲撃には肝を冷やしましたな。苦々しく思う者もいるようですが、ヴァリスナード様の一派がいらしてくださり、助かりました」
「……ええ。悪く言う者は何処にでもいますから。ただ、剣に生きる者は彼の大英雄へ向けられるものが嫉妬であると理解していますよ」
大聖堂内の護りに就く黒騎士と挨拶代わりのやり取りを行う。丁寧な言葉遣いであるが、黒鎧に装飾の施されている彼はスティンよりも遥かに格上の人物だ。旧知の仲であれば冑越しであってもお互いを認識出来る。
スティンにしてみても、僧籍でありながら剣の道に生きる中年――エスティトと会えると素の己に戻ることが出来た。今現在の彼を育ててくれたエスティトへは、第二の父とでも呼ぶべき敬意を抱いている。
「直に託宣も終わりますが……どうです? このところ王都は何かと騒がしいですが」
無骨な鎧に身を包みながらも、中年は穏やかに言葉を紡ぐ。冑の下には、今も主神と同様の博愛に満ちた笑顔があるのだとスティンは理解している。
聖人然とした顔の下に苦悩を忍ばせるからこそ、少年騎士は彼を慕う。
「そうですね。幻惑の魔女であるとか、大工房の魔導士であるとか、国内だけでもここに来て気になることが多いですね。後は、やはり竜人でしょうか。その王族が王都に滞在しているとかで……両国の未来にはいいことでありますが、民が不安にならないかは心配です」
顎元に手をやりながら悩む若い騎士。「頭にバカがつく程に真面目ですね」エスティトは仮面の下で微笑まざるを得ない。
他愛ない会話の中でも、憂う先は牙なき民たちへのものだ。鍛えた者としてその成長は嬉しくも、憂慮が残る。
「ですが主神の意志を思えば、博愛を体現せしめんとすれば、人間種に留まらないで友好的な異種族へ手を伸ばすべきだと思うのです」
成人はすれども、まだ十六と若い少年だ。それも神官の家系に生まれておきながら、他種族への偏見に塗れることはなかった。
「それは、その通りです。ですけどスティンが知る通り、人間は弱い。強くはなれますが、多くの人はその過程を耐えられる程強くもない」
「……そうですね、我々が強ければ誰に憚ることなく博愛を説くことが出来たのでしょう。先生、あの――」
「さて、託宣が終わったようです。アジード司教は忙しい身、お早くお行きなさい」
言葉の途中であっても、背中に大きな手を添えられて少年騎士は歩き出した。
ただの扉一枚であるが、随分と重たく感じられる。恐らくは、この先にいる司教は今もこめかみに指を添え、不機嫌さを露わにしているのであろう。
得も言われぬ想いに、少年の手足からは力が抜ける。だが、真に民を憂うのあれば行かねばならぬ。
「アジード司教、失礼します」
扉を開けばそこには金髪を後ろに流した不健康な神父が佇む。予想通りにこめかみ指を当てながら、スティンには考え寄らぬ程先へと思惑に耽っている筈だ。
「……何か?」
光を多く採り入れたこの部屋では、眼鏡が照り返して表情を読むことも出来ない。
だが、退く訳にはいかない。今この場には黒騎士の小隊を預けられた身として彼は立っている。
「先日からの調査結果を、急ぎご報告に参りました」
泥人形を押し留める神殿、その調査は疾うに済んでいる。急ぎとなれば、国を揺るがしかねない程の力を持った人物の居所についてであった。
「わかりました聞きましょう。騎士スティン、報告なさい」
「はい。司教が睨んだとおり、北方に――」
再び腸が煮えくり返る程の激情にスティンは駆られたが、それはそれ。黒騎士としての務めを果たすべく、久方ぶりに顔を合わせた父へ向かって淡々と報告は続けられた。




