緑と橙 4
太陽光の届かない先、暗がりが広がる中で緑と橙の光が交錯する。
「ティアー、疲れたー」
「えぇい、もうちょっとじゃから、我慢せぇ!」
僅かな光源がルファイドの精霊を照らし出す。その顔からはやる気が窺えないが、余力はまだまだといったところだ。
紫の瞳をした魔女が苛立ちを隠すことなく叫んだ。両掌に集められた魔力は臨界寸前、魔法へと昇華する手前であるがまだだ。いつ放ってもよいが、十分ではない。
「私が出よう」
「お、いいぞ勇者っぽいの」
レティア近辺で見た神殿の時とは打って変わり、シャロはガッシュへ任せると告げた。一瞬の後には精霊とスイッチした形で、山吹色が橙色と激突する。
暁の勇者が手にするのは、神造剣である宝石剣だ。星を断つとも謳われるこのシンボルが激突するも、相手の獲物に弾かれて二合目へと続く。
「剣を振るいながら言うものではないが、鎮まってはくれまいか?」
「吾輩の怒りが収まれば、そうしよう」
短いやり取りの後、神剣と石くれがぶつかり合う。
暗闇の割合が勝るこの地下で、激突時に火花が散らされた。普段は涼やかな表情を浮かべるガッシュも、歯を食いしばりながら石の拳を弾き散らす――一瞬の灯りのなかで見えたものは、身体のほとんどを石に覆われた異形である。
「やるではないか……宝石剣の担い手だけはある」
尊大な話し方ながらどこか相手へと敬意を払うような声。不機嫌であるが、感情が爆発しているかといえばそうでもない。じりじりと炙られるような不快感を石くれの神、フィロッサ・ロジェクトはぶつける。
「リア、後どれくらいだ?」
「もうちょいと言ってるじゃろうが! 集中乱すな!」
「短気はいけないぞー」
「やかましぃわ、元はと言えばシャーロットが――ヌシ、何を寛いどるんじゃ!」
剣を正眼に構えたまま、言葉だけで背後に尋ねるも、返ってきたものは怒鳴り声だった。
「精霊と勇者が相手となると、この身体のままでは分が悪い。造り替えようぞ」
周囲のやり取りなどは知らんとばかりに、造形の神は橙の光を放ちながら歩み来る。
神の行使する魔法は人間のものとは根本が違う。魔力をコントロールする必要はない、そうあるように望むことで魔法が実現してしまう。
石くれが剥がれ、中には橙に発光する人型が見える。小さなその人型に再び石が宛がわれると、銀白色の金属で出来た巨人へと造り替わった。
「お、こりゃ勇者っぽいの、死んだな」
他人事だとばかりに精霊は呟き、立ち上がる。神を前にしては人間は無力だ。
弟以外の勇者がどうなろうが、彼女は知ったことではない。だがガッシュも人間種の勇者であれば、助けておいてやらねばならぬか――そのように考えながら、ロジェクト神の前に緑色の光を放つ。
「神殿を荒した罪、その身で贖え!」
ぞんざいに金属の腕が振るわれた――ただの中段突きだ。ただし、竜の手とも見紛うサイズであれば、人間を殺すには十分過ぎた。
「あ、目測誤った。もっと壁いったか」
不定形の緑色光が神と人間の間に割って入ったが、押し留めはしてもすぐに光は霧散する。勢い留まらない金属の拳が勇者へと迫る。
「しぇああぁっ!」
一閃。
闇の中を剣が奔り、神の向けた拳を擦り抜けていった。魔力で覆われた神剣は水色の軌跡を描く。
「……何と」
振り抜いた拳を引きながら、ロジェクトは驚愕の声を溢す。鉱石を断ち切る腕前を持つ者は、確かにいる。だが、この大きな拳をバターへ切り入れるように引き裂いてしまうことには、神ですら眼を見開いてしまう。
「面白い、面白いぞサリーの選びし人間!」
半分になった手に橙の色を纏わせ、光沢ある黒色へ拳を造り替える。怒りはあるが、人間種を殺すつもりはない。難度の高い目標を相手に、戦闘向きではない神は心躍らせていた。
「ご苦労、ちぃっと端へ避けい」
「了解だ」
「何を――」
山吹色の勇者が身を翻すと、両の手を掲げる魔女の姿がロジェクトの視界に収まる。
魔女とはいうが、見た目には幼い。ただ、その者が向ける眼光は鋭く、両掌に集められた紫の光は禍々しい。
「因果束ねし神の雫」
囁くように紡がれた呪文、そっと腕が前方へ傾けられると魔法はロジェクト神の胸へと到達した。
「あ、あ――」
非常にゆっくりと時は進む。
自身の声すら遅れて耳に届く様。胸に紫の光が当たれば、黒々とした穴が顕れて絶大なる威を示した。
(胸、穴? 空いてない――直前の空間が捻じ曲がっておるではないかっ)
何ということはない。邪神の奇跡に、ただただ絶望的な魔法の発現に、神ですら体感時間を圧縮して脅威を覚えた。拳大に開いた穴が、どこまでも恐ろしい。
「がははは、見たか! これが、これこそが邪神の魔法の粋――」
ランギス神は災を齎す神であるが、冠する名前は嫉妬――捻じれた空間より邪神の恋い焦がれるものが這い出した。艶のない闇が如き色をした足が、造形の神の胸へと突き立った。
造る者の天敵は、壊す者だ。
「おー、時間をかけただけはある。ティアもなかなかやるねー」
神に寵愛を受ける精霊もまた、その結果に満足気に言葉を投げていた。
「これ、リ、リリリ、リックの足、足ーーっ!」
ティアが作った穴、そこより闘神の身体の一部が呼び出されていた。
ただの足ならばロジェクトがここまで取り乱す必要もない。今この場にあるものは、彼女が金属を纏う様と同じく、真なる力を発揮したルファイドの足であった。
薄氷を割るように、造り替えた身体がゆっくりと踏み砕かれる。造形の神は狼狽えを隠すことなく叫ぶ。
「き、貴様、セルペンティアの眷属じゃろ! 扱えるのは重力とかじゃ、何で、何で空間を――」
作品を壊され涙する神へ、魔女は口元を吊り上げながら応えた。
「重た過ぎる愛は時空すらも突き抜ける。そういうもんじゃろ? ……自分で言ってて、何だかなぁとは思うのじゃが」
嫉妬の神、セルペンティア・ランギスが齎す最上級の奇跡は、闘神の一撃を呼び起こしていた。神の使役など、考えるべくもなく途方もない奇跡だ。しかし迷惑な程溢れる愛がそれを実現する。
「決まったな。流石は本気ルファイドの足、最強だね! セルペさんの力で呼び出されたのが、ちょっと不満だけど」
たったの一撃である。精霊が溢した通り、爽快感すら覚える。破壊の権化たるルファイドの攻撃を許した神の作品は瓦解した。
「それで、何じゃ。吾輩を捕えてどうしようというのじゃ」
作品を壊された神は怒りに燃える。その一方で人間に敗北したこともあり、不機嫌ながらも応じようとしていた。
顔こそ石の仮面に覆われて窺えないが、灰色のツインテールが感情に揺れる。表情は読めないものの、むっつりとした雰囲気を醸し出すこの神の背丈は低い。控え目に表現しても、幼女であった。
「神に対して不敬じゃが……これまた面妖な」
神を打ち負かした魔女が感想を漏らすが、彼女もまた成人を迎えても見た目は立派な幼女であった。すかさず、ツッコミが入る。
「いやー、ちびっ子ティアちゃんも不思議生物だよ?」
「精霊に不思議生物って言われるのは、心外じゃ」
むすっとしつつ、ティアは紫の瞳をロジェクト神へと向けた。神殿と呼ばれているが、薄暗い地下は洞窟のようなものだ。光源に近くに据えられた神ならばいざ知らず、少し離れた少女の顔は判然としない。
対する神は腕を組み、何もない空間に腰を下ろしては足を組む。仮面の隙間からは橙の光が零れ、魔女と精霊がする一連のやり取りをむっつりと待っている様が窺えた。
観念しつつも悠然と座る姿からは、まだまだ本気は出していないと力が誇示されているようでもある。
「ロジェクト神、まずは非礼を詫びよう。拘束するつもりはないが、怒れる貴女と対話するにはまずは実力を示さねばならなかった」
ボケの応酬を繰り広げる二人はおいて、ガッシュが相変わらずの涼やかな顔で語る。洞窟内は暗かれば、これもまた認識されることはない。そうであっても、幼女の姿をした神はにやりと笑う。
「そうじゃ、吾輩を讃えるがよい。つい最近サリナとも会ったところじゃ……カラシ色の、貴様はそこそこ見応えがありそうじゃな」
うんうん、と納得したようにしてロジェクトは笑う。傲慢ながらも、満足そうにする幼女は見ていて何処か微笑ましい。
「ティアティア、ロスさんはのじゃ言葉のロリっ子だから、キャラが被る。気をつけろ」
「……何を言っとるんだ、ヌシは」
癖となった溜め息を吐き、ティアは精霊の言葉を受け流す。
「何だか、最近苦労が多いようですね」
幼馴染みを思いやってガッシュが喋り出せば、放ったらかしにされた神は組んだ腕に添えられた指をトントンと叩いてリズムを取る。
「むしろ、この勇者っぽいの向きか? ティアティアが好きだとか、お前ロリ――」
「黙っておれ、ヌシが入ったら碌なことにならん」
なんでー、とシャロが返しているが、そこは無視をして話を進める。ティアとしても、神が本気であの一撃に無力化されたなどとは思っていない。
「さて、お待たせした。用件はじゃな、神殿の話じゃ。ロジェクト神よ、何か探し物でもあるんじゃないか?」
「――ほぅ」
これまでの幼さを置き去りに、神は首を傾げてみせる。
笑い声こそないが、仮面の下ではニヤリとしていると想像出来た。
「三つも神殿を荒らされてみれば、そうか。企みがあったか? だが、どうしてここまで吾輩の神殿がわかった?」
ここに至るまでの間、魔女たちはレティア近くの神殿を探索後に別なる神殿へと足を向けていた。三つ目を荒らしたところで、造形の神の介入に出遭っていた。
「それはじゃなぁ……おい、シャーロット」
「やだ!」
「やだ、じゃない。早うせぇ!」
種明かしをしようにも、精霊はいやいやと首を振る。それもティアの鋭い瞳で睨まれると渋々ながらも呪文を唱えた。
感覚接続――呟かれれば紅と紫、鮮やかな瞳の少女たちが淡い発光に包まれる。
「遅延魔法・連続付加――魔法中和、感覚調整、分析!」
精霊と感覚を共有した魔女は、一息に補助魔法を唱えた。その身体が黄、青、白の順に光れば腕を徐に伸ばしやる。
「やっぱ止め――」
最後まで台詞を紡ぎ切ることもなく、後頭部を掴まれたシャーロットは神殿最奥部のオブジェへと頭を叩き込まれた。
「何度見ても、エゲつない光景ですね」
「これは必要悪じゃ」
勇者の抗議もさらりと無視して、ティアが魔力を通す。精霊と繋がることで、神殿のコアたる橙色の球へとアクセスが可能となる。
ただ、解析を進める度に魔力が流れ、シャーロットの身体がビクビクと震えてみせる。
犠牲を払っただけはあり、洞窟内には光が灯った。次いで、空間に地図が表示された。
「お、おぉ、我が神殿がいいように操作されとる……」
驚きと呆れ、その両方を内包した表情でロジェクト神は眼前の光景を見送った。
ヴァリスナードが発見した神殿でしたことの再現だ。
アクセス権限のないシャーロットが不用意にオブジェへ振れたために、魔力の流れも痕跡も消えた――ならばと、途方もない魔力の持ち主である精霊をぶち込み、外部からコントロールを奪う――無理からにでも魔力を流すことでフィロッサ・ロジェクトが造った神殿の権限の移譲を受ける。
「と、言う訳じゃ。神殿はまだ後五つあるようじゃが、どれがロジェクト神の本命じゃ?」
陸に打ち上げられた魚のようにシャーロットが撥ねる、それを意に介することもなく魔女は邪悪な嗤いを浮かべていた。
「まさに、邪神の眷属じゃ。うん、まぁええわい」
ん、とロジェクトは空中に浮かぶ地図の一点を指差す。
ガッシュが眉をぴくりとさせてみるが、そこは王都トトリにほど近い丘陵地であった。思った以上に身近なところに探し物があったことに、黒鎧の英雄へ文句も言いたくなる。
「それが多分、我が子ごと大量の泥人形を封じ込めたところじゃ。よいか、吾輩の望みはそれの回収。本当は神殿を壊されて怒っておるのじゃが、この悲願が達成されれば水にも流そう」
感情の篭らぬ声で神は言う。
「あいわかった。シャーロット、もうええぞ」
「――んは、ティアは本当に精霊遣いが荒い。ジオに匹敵する」
「エルと一緒というのは、何か複雑じゃな」
膝に手を着き、虚勢を張る形で魔女は息を吐く。複数の魔法を同時展開することは相当に精神を削ってしまう。展開が思っていたものと異なれば、更に疲労は蓄積された。
「何じゃ、セルペンティアんとこの眷属よ」
顔を上げれば、神と目が合った気がした。この際、眷属と呼ばれたことは放っておいて、ティアは疑問を口にする。
「いやな、探し物はもっと別とこにあったと思ってのぅ……移動したのか?」
む、と唸りながら独り考え込む。ティアからすれば、ジオの拾った少女こそがこの神の落とし物で間違いない筈だ。
灰色の髪に橙の瞳、ロジェクト神と同じ出で立ちの少女などそうそう出会えるものでもない。
「何を言っておるか知らんが、まぁよい。吾輩は造るに特化した神であるでな、泥人形を生産するはいいが、間引くのが追いつかんのじゃ。しかも探しておる息子は、困ったことに吾輩を越える勤勉さで生産を繰り返してのう……結果、我が子の判別すら出来なくなったときた。この神を嗤わば嗤え」
「リア、聞きましたか?」
「ああ……私の耳がおかしくなってしまったんかのぅ」
青年と少女は訝しさを隠すこともせずに顔を見合わせた。
状況の理解が追いつかない精霊だけが、何々? などと視線をさ迷わせている。
「ロジェクト神、すまなんだが、もう一度今のところをお願い出来まいか?」
「嗤わば嗤え――」
「もっと前じゃ、探しているもののことよ!」
焦燥感のようなものが魔女の胸へと降りてくる。今までの当てが外れたとしたのならば、悠長に三週の時を過ごしたことに後悔が募ることにもなりかねない。
「我が子の判別すら、ここか? 己の失態を何度も口にするのは、まぁ何とも歯痒いことじゃ」
「その子じゃ、その子のことを何と言うた?」
「……息子と言ったが、何じゃ。幾ら吾輩が超絶美少女であったとしても、自分と全く同じ物を造る趣味はないぞ?」
異性の子程可愛いものはなかろうぞ――造形の神が呟くも、ティアは誤算に頭を殴り付けられたと同じ衝撃に見舞われていた。
「それじゃ、あの灰色頭の娘は、一体何者じゃ?」
ジオが拾ったというロジェクト神と同じ色をした少女。容易く闘神の加護を使用する勇者の懐へもぐりこんだ、その異質な存在を思い返し、魔女は焼かれるような焦燥に追い立てられた。




