いざ、王都へ 2
この世界に生けるものには、多かれ少なかれ魔力があると認められている。内包される分量には種族の他個体差はあるが、犬や猫のような小動物からゴブリンやオークのような魔物まで、生命の中に魔力は確認されていた。
魔法にまで昇華される程の量と質があるかはさておき、魔物と呼ばれるものの凡そは脅威だ。むしろ、人間種から見て脅威となる魔力量を誇るものが魔物と呼び習わされる。
「あ、ははははは!」
「嬢ちゃーん、だから身を乗り出したらいけねぇってば!」
麦わら帽子を外して、一身に風を受けながらマリィは無邪気に笑う。灰色の髪が流れていく様は爽やかに見えないでもない。
楽しむのは結構なことだ。それでも従者としては、主の妹分が転げ落ちはしないかと気が気でなかった。粗野な口調の割に、この手足の長い男は小心なところがある。
そのコーディーの小心さを差し引いても、今の状況は単なる人間では十二分に震えてしまうものだ。かと言ってはしゃぐ少女を放っておくことは出来ず、自分に言い聞かせるようにしてぶつぶつと呟き始める始末であった。
「落ち着けコーディー、傍には旦那がいる。竜なんてバカげているが、旦那はもっとバカげた存在なんだ。安全だ、ここは安全だ……」
彼らが乗る馬車、それを掴んで羽ばたく大きな存在があった。それこそが魔物の中の魔物、竜種である。
体の大きさはそのまま魔力量が人間の比ではないことを表している。もっと言えば、砂漠蟲と同様に、これ程の巨体は魔力の支えがなければ自重に潰されてしまい兼ねない。
「緑色――ジオ殿、どうだ! やはりエディンは最強であろう? 格好いいであろう? どうだジオ殿、このまま私と一緒にエスジレーヌへ来られまいか?」
くふふふ、とバカ笑いは何とか避け、白銀の女騎士は愉快気に語られた。相棒の首元に跨ったまま、背後の人物へと顔を向ける。冑があっても一層上機嫌であることが窺える。
後半に付け加えられた言葉は、勢いのままに出されたものであったが、テンションの上がってしまったエドワンは押し切れとばかりに語っていた。
「んー、そうだな」
緑色の全身鎧に包まれた少年は、竜の背で胡坐をかきながら曖昧に応えた。いつもながら顎元に手をやりつつ唸る姿は、きちんと相手の話を聴いているやらいないやら。
一行は馬車を遥かに越えた速度で移動しており、身に付けられた外套は風で喧しいくらいにはためき暴れる――特に会話の後半は風音で聞き取りづらくもあった。
「最強かどうかは知らんが、エディンは強いと思うぞ」
「そうだろう? そうだとも。うむ、エディンはとても強いのだ。それを認めてくれて嬉しいが、やはりジオ殿はつれないなぁ……」
このようなやり取りが繰り広げられている間に、一行は目的地である王都へと辿り着いた。バサリと竜がする独特な音を立てて、地面へと降り立つ。
仮にも大陸の覇権を握るレジナス王国へ竜が飛来する――この竜に跨った者が友好を示す王族であったこと、その他にも干渉が難しい地帯へと降りたことで大きな騒ぎはなかった。それはあくまでも政治上の話ではあったが。
「……惜しい。本当は、ジオ殿と食事でもしながら語らいたいところだ。友好……そう、私は友好を深めたいのだ。しかしながら、残念なことに戻らねばならない」
「んあー、もう行くのか? 飯くらいはいいだろ?」
飛行の興奮冷めやらぬマリィを脇にあやしつつ、緑色の勇者は好敵手であったエドワンへと向き直る。その表情は勇者らしく、間の抜けた受け答えとは異なりキリっと引き締まっている。彼女の美貌が気にならないと言えば嘘になるが、単純に異種族の勇者と語り合いたい気持ちが勝った。
冑のバイザーを上げたエドワン、その瞳は鋭くも鮮やかな琥珀色に輝く様が印象的だ。美人を間にすると何かと煩いコーディーも、彼女の美麗さにはただただ黙る他なかった。尤も、今の彼は過度の緊張から解放されたばかりで、馬と一緒に地面に蹲っていたが。
「む、やはりジオ殿は私を口説いて? いやいや、それは早計か――人間の文化はまだよくわからぬので、また教えてくれるような機会があれば嬉しい。こう言っては何だがな、望む望まざるに関わらずとも、私は王族だ……責務から逃れて、父を悲しませるようなことはしたくないんだ」
では、さらば――早口に言葉を告げようとしたところで、不意にネギの勇者が手を挙げていた。制止の動作を見せられ、あくまでもクールに決めようとしていたエドワンは、美貌を崩さぬ程度にたじろいでしまう。
「さっき上手く聞き取れなかったんだが、俺のことをエスジレーヌへ誘ってくれていたか?」
「何だ、聞こえないだけであったか。貴方も竜が――否、人が悪い。これでもう三度目になるが、改めて言おう。私はネギの勇者、ジオ殿をエスジレーヌへ迎え入れたく思っている」
白銀の騎士は真っ直ぐに視線を逸らすことなく伝えきった。こうして善意や好意をぶつけられることに少年は慣れていない。だが、悪いものではないと頬を掻きながら、一瞬の間黙考してみせる。
竜人種の文化というものは愚か、王族の振る舞いというものはジオには理解出来ていない。それどころか、人間種の文化ですら理解は曖昧だ。ただ、相手の立場がどうあれ、愚直な程に見つめられては、真摯に応えるべきだと勇者として思った。
「あのな――」
口を開こうとした彼だが、少し躊躇いが生まれた。
その原因の方を見ると、マリィが腕を引っ張っているところだ。名声はなくともジオは勇者、であれば少女の力で引かれたところでビクともしない――その代わり、心は引っ張られたように、さざ波が立った。
「あのなエドワン、非常に嬉しい誘いだ。だが、俺にはまだやらねばならないことがある」
心の揺らめきは何であったか。小さなものでも、温かいようなこそばゆいような……それは確かにこの少女が傍に居てくれてのものだ。
何処かに行きはしないかと不安がる少女の頭に手を置き、兄代わりは続ける。
「バカな回答ですまない。いつかはエスジレーヌへ、あんたが護る国を訪ねてみたい……こんなところで、許してくれないか?」
「許すも何もない。ジオ殿が何処へ行くかは、ジオ殿が決めること。貴方が気に病むことはない」
竜人の寿命は長い、気長に待とうとエドワンは微笑んだ。
「バイバイ、竜のお姉ちゃん!」
「これ、マリィ。そんないきなりバイバイだなんて、エドワンが困るぞ?」
ブンブンと手を振る様を叱ってみるものの、今日のマリィは何かと聞き分けが悪かった。早く帰れ、そう言わんばかりの態度を前にして、エドワンはこれまでとは異なった柔らかな笑みで応える。
「そう言いなさるな。このお嬢さんは兄ちゃんが盗られるのが嫌なのだろうよ……そう、優しい兄には憧れるものですな」
私も貴方のような兄が欲しかった。そう告げるが早いか、エディンは翼を大きく広げた。
「では、さらばだ」
「また会おう、今度はゆっくり食事でも、な」
ネギの勇者の言葉に、エドワンはまだ何か言いたげであった。しかし名残り惜しさを振り払うようにして、赤い竜は翼を一つ打って上空へと飛び立つ。
方角からすれば王都の中枢、王城である。雄大なアイリスの樹に向かって、徐々に影は吸い込まれていった。
「ちょっとそこ行く貴婦人!」
やや胡散臭い声が王都に響く。声をかけられた人物は怪訝そうに眉を潜めたが、次の台詞でやおら足を止めてしまう。
何故と問われても、彼女は困ってしまうことだろう。流しの商売人が珍しいと言えば珍しかった。何となく、そう、何となく話を聴かねば損をしてしまうような、そんな不思議な感覚に貴婦人は捉われていた。
「足を止めてくださって、まずはお礼を。貴女、王都暮らしで満たされてしまった貴女。王都での流行はもう既に押さえてしまっているようですが、今これからこの国で流行るものを知りたくはないですかいね?」
滑らかに口を動かしながら、コーディーは大きめの革袋へと手を突っ込む。
動作がもたつく間にも、王都ではお目にかかかれないもの、などと口上を垂れては注意を逸らさせない。
ヴァリスナード邸に竜が降りたものの、目当ての大英雄は不在であった。これまで見たことのない大邸宅を前にして、この幸薄そうな青年は興奮を隠せないでいた。が、のんびりすることもままならず、主の命に従って行商に出ているのだ。
「さぁさぁ、ここに取り出した小瓶、何に見えますかいね? ただの透明な液体に見えるでしょうよ。ええ、見るだけなら何の変哲もない水ですぜ。ですがそれが大きな価値を持つってのは、ホンモノの方にしかわかりませんでしょうよ」
キュポンと小気味よい音を立て、ガラス瓶の蓋が取り外された。途端、芳醇な香りが辺りへと漂うこととなる。
「まぁ――」
どこかで嗅いだことのある、だがこれまでになかった香水を前にして貴婦人は完全に足を止めていた。
「でしょ、奥様。いい匂いでございましょ?」
「いい香りですこと。私、食欲不振だったのですが、何やらお腹が――やだ、はしたない」
キュルルと音が婦人のお腹元から鳴ってはいたが、それには触れることもなくコーディーは口上を垂れ続ける。
「そう、その通りですぜ奥様。お腹が空く、素晴らしい! 人間の三大欲求ってやつがありまして、飯が食えないってのはともかく辛いものですよ。それがこいつで治るなら――いやいや、ちょっと嗅いだだけで奥方に効果があるなら、日頃労働に疲れたご主人にはもっと、ずっと、きっと効果があることですますよ?」
「あ、あの――」
「いえいえ、胡散臭いことこの上ない。勿論ですとも。ですがね、考えてもくださいませんか? 世に出回ったもの、それはもうその時点で最先端を過ぎた陳腐なものですぜ? 今買わなくて、いつ買うの。買い手を選んでいいなら、おいらは選ぼうものです。しがない商売人のおいらはさっさと移動しちまおうと思いますが……奥さん、今感じたときめき、他でも得られると思います?」
一気に捲し立てた上に、有無を言わさぬ勢いで差し出される小瓶。王都暮らしの貴婦人は、押しに弱かったのか「買います」の一言を漏らしていた。
「毎度ありー」
コーディーは笑を硬貨の重みに比して花咲かせてみせる。満面の笑みであるということは、革袋に十二分に重みが加わったことを示していた。
幸薄かれど、商才は厚い。そんな男はあっしはこれで、などと溢しながら革袋を大事そうに抱え込む――彼が売る物はネギの勇者が先日に試作した香水だ。植物を基にして、魔法的措置を施されたそれは下手なものよりも品質が高い。
焦がしネギのように香り高く食欲のそそられるものであるが、コーディーが売るものは商品そのものではない。目の前の実物以上に、今この場で購入することへのお得感、プレミアを彼は販売するのだ――騙している訳ではないが、過剰に煽っているのは確か。
実は試作品なのでたたき売りして良い物にも関わらず、市場に出回る香水の価格に少し上乗せして販売したことは、主へは秘密だ。
「お待ちなさい」
「あ、はい」
凛とした声に何となく振り向いていた。彼が得意とするのは若年層ではなく、奥様方――もっと言えば壮年の女性が中心だ。であれば、張りのある声が聞こえた時点で、早々に立ち去るべきであった。
しかして、コーディーは常日頃から若いお嬢さんたちにチヤホヤされたい念を持っていれば、これはもう避けることは出来なかった。
「誰の許可を得て、ここで商売をしているのですか?」
「へ――」
続き出された言葉はこのようなものであった。
若いお嬢さんから声を掛けられた、そう喜んだことも束の間。ただひたすらに、コーディーは目玉を回して情報の収集に努めた。
声こそうら若き女性のものであるが、きちんと見れば悍ましいことこの上ない。声をかけてきた人物は金髪碧眼――これだけであれば、単なる王都住まいのお嬢さんであった。
だが、不穏当にさせるのはこの女性の装いだ。日光に照らされ輝く青、それは重厚な鎧からもたらされていた。
「あ、ははは、これはこれは騎士さん。ちょっと待ってくださいね、許可証、許可証――」
今朝トトリに到着したばかりのコーディーは、無論そんな都合のよいものは手にしていない。ただ、捕まったら危ないという認識の元、胡散臭い小芝居を続けて後退りを始める。
「では、さらばだ!」
竜人の王子よろしく。颯爽とコーディーは別れを告げて飛び出した。哀しいかな、彼は竜でもないために翼もなく手足を振って走る他ない。
「待ちたまえ」
「お、おぉう!」
進路を塞ぐ人物が現れ、思わず戸惑いの叫びが漏れた。
毅然とした態度で、手は前に突き出されている――手は愚か、全身を黄土色の金属に包まれた彼をコーディーは見た覚えがあった。
「げ、暁の――」
「キミは確かネギの従者か」
止まりたまえと言われても、騎士に捕まる訳にはいかない。小心の男は自身の保身と主の不名誉を鑑み、暁の勇者ガッシュを全力で振り切るために拳を振り被っていた。
ネギ神の加護によって一撃での絶命は有り得ない、それがこの男に蛮勇を抱かせた。
「ままよーー!」
「正気かっ?」
チンピラ崩れに、ガッシュが負けることはない。しかし、ここで二つの戸惑いが生まれていた。
一つは町中で剣を抜いてよいかどうか。もう一つは自身を暁の勇者と知りながら突き進んで来る人物がいることに。
「ぐぇっ――」
結果、胸元に正拳を受けたコーディーは舌を出して呻く。よくぞ呻けたものだと、彼自身も思う程であった。突き抜けた衝撃は骨を砕くこともなかったが、肺にある空気を絞り出させていた。
(え、何で、生きて……手加減?)
無神論者の筈も、祈りながら瞑っていた目を開く。胸を打たれたのは確かだが、同時に右の拳は相手を打った感触を確かに得ていた。
ネギの勇者と暁の勇者。その二人が相見えた時は、最強と思われた主が膝を突く結果となった。それが、今や暁の勇者の方が彼の目前で蹲っている姿が映し出されている。
「ぐ……」
苦し気に零れる言葉があった。それはコーディーの一撃がもたらした結果であると、しばしの時を経てから理解に至った。
「や、やった! 俺が、勝っ――」
感動の余り、男はしばらく立ち尽くしていた。ようやくも勝ち名乗りを上げようかという頃には、時既に遅し。
「まったく、王都で不法に商売しようなど、黒鎧の大英雄が赦しても私が許しません!」
容赦なく拳を振り切った金髪の女性騎士――ジュラスは前のメリに倒れ行く手足の長い男の襟首を掴んで唸った。誰が見ていた訳でもないが、やはりというか、勝てると思った際に慢心することが彼の幸薄さを招き込んでいる。
「ガッシュ、貴方は人間種の勇者なんですから、市井の争いには口を出さない。これは先生にも言われていたことでしょう? それに、しばらく留守にしていたと思ったら突然出しゃばるんですから!」
今度は辛辣な言葉を、負けた勇者へと吐き出す女騎士。ヴァリスナードの一番弟子とは言え、国一番の勇者へと出すべき言葉ではない。
「すまないな……わかっていても、揉め事を見るとどうしても動いてしまうんだ」
悪戯を咎められた子どものように、ガッシュはバツが悪そうに笑う。
膝を突いたことは演技にも思えたものではない。しかし、時間が経てばしゃんとした姿勢で、勇者然として青年は幼馴染へと詫びの言葉を告げていた。
「はいはい、もういい加減慣れなきゃならんのでしょうね。わかりましたから、この不法労働者を憲兵へ差し出すまで待ってもらえますか?」
聞き飽きた言葉を流しつつ、男を引き摺るジュラス。いつもならばこれでお終いである。ただ、この手足の長い男に見覚えがあれば、ガッシュはつい引き止めてしまう。
「そいつはな、ジオグラフ殿の従者だ。恐らくは彼も王都へ来ているのだろう」
穏やかな言葉遣いは確かに勇者らしい。
「……ネギの勇者に対する口調が、少し変わりましたね」
幼馴染みだからこそ、些細な変化にも違和感を覚えてしまうもの。ヴァリスナード不在の中、不穏な気配をジュラスは感じ取っていた。




