それが勇者というものですな
砂漠蟲の散り際は盛大であった。竜をものともしないネギの勇者、それを無力化せしめる存在とは如何なるものか。膨大な魔力が爆発を起こしたその日、レジナス王国は揺れに揺れた。
王都トトリまでは流石に爆発音は伝わらないが、赤色の火花と突き抜ける白色光を前に、人々は恐怖の念を抱く。早くもレジーム王は、黒鎧の大英雄へ王国中に異変が起きていないか調査を命じた。
曰く、白は何者にも染まり切らぬ色。人間種を、主神アイリスを喰らおうとした魔神ムドラ・ヴォークリッサの色だ。遥か昔、人間の勇者が討った魔神が、再びこのフルゥエラ大陸に顕れるのではないか。空を駆け抜ける白色を見れば、誰もが怯えを隠せずにいた。
「少しばかり、厄介だな」
その様子を俯瞰する存在は、緑色の瞳を凝らす。白色光の影響よりも、民心が乱れることに対して、闘神は危惧する。
神とは不滅の存在だ。肉体の滅んだヴォークリッサが休眠中であることなど、同じ存在である神の間では旧知の事実。今更慌てるようなことはないが、何ともタイミングが悪い。レジナス王国では、ここのところ立て続けに動乱の芽が頭を覗かせている。
「リィィーック、見ましたか? 見ましたか、見まーしたか?」
「ちっ――、五月蠅いのが来やがった」
妙に間延びする語りを大声量で垂れ流す存在に、ルファイドは誰憚ることなく舌打ちと悪態を吐いた。
確かにタイミングが悪かった。先程までサリナ教皇と話していたため、闘神は未だ神々の共有空間に留まっている。寵愛する精霊の動向を見守ろうとしてところでの爆発と、人間種たちのどよめき。それらは、覗き見が大好きな神に付け入る隙を見せる結果となっていた。
五月蠅いと呼ばれるにも関わらず、柿渋色の瞳をした青年は懲りずに言葉を続けた。
「ああー、つれいない。つれないなぁ、リィーック。ワターシは貴女と、下界の惨事について語ーりたいだけだと言うのに……」
拗ねるような声音に、闘神はその美貌を歪める。右手の親指と中指、それでこめかみを押すようにして顔を覆った。
「オレと会話がしたいなら、持って回った言い方はやめろ。とっとと本題に入れ、アーレンクロイム」
「そんなこーと言わずに。貴女との会話も久しいのでーすから、だってリィーックは用件すんだら引き籠っちゃうでしょう?」
「……今すぐ、帰ってもいいんだぞ」
「おぅ、シィィーット。話します、用件を話しますとも!」
神同士は同格であれば、礼を払い合う必要性はない。瞳が緑色の方は視線を合わせず、柿渋色の方は相手に構わず喋り倒していた。相性という言葉で済ませると負けた気になってしまうが、ルファイドはこの神――アーレンクロイム・ケイマラードが見せる一面を、ともかく苦手としていた。
栗色の髪は長く、ゆったりとしたクリーム色のローブを身に纏ったこの神は、一言で表せば美丈夫だ。目鼻立ちのハッキリした青年的な風貌をケイマラード神はしている――が、長い睫毛と熱っぽい瞳を向けられることに、ルファイド神はうんざりとした表情を浮かべてみせる。
妙齢の女性のような姿形をしているが、ルファイドには性別という概念がない。それでも形に引っ張られるのか、べっとりと絡むような視線を男から向けられては、流石に嫌悪を覚えてしまうものだ。
「いーやー、貴女に会えたこーとで喜びが。んんっ――調子に乗って、すまない。本題に入ろう」
「道化はお前の役回り。謝る必要はないが……オレはそっちの、元の顔の方が好きだよ、アル」
咳払い一つで、青年の姿は変貌した。ローブに備えられていたフードを被れば、本来の顔が現れる。フード下に、髑髏の仮面を付けた男が見えるが、実際には仮面ではなく彼の骨そのものであった。元からこのようなものだと言われるのも納得出来る程、仮面と見紛う程に骨と肉の境い目がくっきりとしている。
神となる際、そうあるようにと期待され、青年風の姿を得た。結果、下界では吟遊詩人らしい態度を取り、人格もやたらと煩いものに引き摺られる。が、今は悩み多き賢者と称するに値するような顔つきに変わっていた。
骨ばった神が対面へ座れば、ルファイドは美貌に相応しい笑顔を浮かべた。他の神がどう思うかは知らないが、彼女にしてみれば、神とは数少ない同胞である。この髑髏の顔に満ちる苦悩の表情は、先程の青年がするものよりも美しいとすら思っている。
「リック、白色光だ。休眠中のムドーが絡むのは何故か……それも気になるが、ともかくとして、人間種にあの光は毒だ。無用な混乱が起こる」
「そう、だな。オレは人間種の行く末なぞ興味はないが、やはりエリーが悲しむ姿は見たくない」
「十二の神と呼ばれているものの、今は十か。いや、減ったことを嘆く必要はない。そもそも、エリーに協力的でムドーと友好的に関われるとなると、私か貴女しかいない」
骨剥き出しの顔つきは一つとて変わらぬが、眼窩はやり切れぬ感情に黒をより深くする。他の神が主神か邪神かで対立するなかにおいて、この骸骨は珍しく人間種に肩入れをする神であった。
神ではなくヒトに力を貸すから、悩みが増える――それはわかりきったことであるが、彼の願いは好ましいものだとルファイドは微笑む。
「気立てのいい中立勢に嫌われる、そいつはムドーの自業自得だ。あいつ嫌いじゃないが、オレでも始終付き合うのはご免被る……あとな、アル。現存の神の数は十三だ。エリーの意向は汲んで欲しい」
さらりと訂正を加えると、それには特に抵抗もなかった様子で、アル――骸骨の神は頷いた。
「まぁ……控え目に言っても陰険だからな、ムドーは。問題はだ、あいつがどうして人間たちに影響力を与えられるのか、だ。奴さんは、邪神連中にも嫌われてしまってるじゃないか。今や肉体もないのだから、誰かが手を引いているとしか思えんのだ」
白骨は腕組みをし、器用にも困った雰囲気を醸し出してみせる。左腕は骨そのもの、人の身の名残りある右腕を見つめれば、過去を思い出す。二百年程も遡った当時の勢力図を思い出せば、眉根を寄せたくもなった。
十二の種族による、神の代理戦争を一定周期で行っていた時代だ。結局のところ、アイリス陣営の勝利で終わっていたが、業を煮やした神の行い一つで一変した。邪神ランギスを勝たせようと、魔神ヴォークリッサは直接下界へ手を下したのだ。結果、ランギスを含めた神々の間で孤立したことは、悲劇というか喜劇であるが。
それぞれが肩入れをする種族へ神秘を与えることはあっても、対立する種族へは直接介入しない――唯一にして絶対の規則であった筈だ。何者にも縛られぬ存在である神たちは、自らで縛られねば無秩序に陥る。主義主張は違えども、みな戒律を遵守すると決めていた筈だ。
「今思い出しても、傍迷惑なことだった。ヤツのオレに対する怒りは、セルペーに見向きもされんことへの八つ当たりだろ? あのカエル面が苦渋で満たされた様には存分に笑わせてもらったから、もう恨みもないが」
「それに関してはだな……お前がエリーばっかり構うから、セルペーが嫉妬するんだと指摘しておく」
髑髏がやれやれと、左右に頭を振った。その様に褐色肌の闘神は、眉間に皺を寄せて唸る。アルに代わって、今度はルファイドの方が腕組みを始めていた。
(オレが悪いのか?)
自身の判断のどこに間違いがあったのか。少しばかり対立構造にある二神について黙考する。
白い肌、煌めく金髪に長い耳をした主神。水色の透き通った瞳の何とも輝かしき様よ。他方は赤い肌、透き通った白髪に角を生やした邪神。紫の瞳が持つ妖艶さは形容しがたい程だ――二人の姿を思い浮かべるが、ルファイドにはやはり甲乙付け難い。
エリーの優しい笑顔は守りたいし、幾つになっても健気な少女然とする姿は美しく思える。一方、セルペーが時折見せる儚い笑みも守りたいし、素直に嫉妬を露わにする姿は愛くるしくて堪らない。ぶっちゃけると、どちらも等しく愛している――今は敢えて主神アイリスを優先しているが、邪神ランギスのことも無論気に掛けている。
(セルペーにばかり構う時期もある。うん、オレは悪くないな)
しばし考えてみたものの、眼前の髑髏を納得させられる答えは出なかった。取り敢えず、黙って待ってくれる友が気の毒になってきたので、ルファイドは口を開く。
「問題は、ムドーが誰とどのようにして接触しているかだ。あの大陸には魔獣の類は愚か、魔人種すら希少になっている。依り代になりそうな知性体は、ほとんどいないだろ?」
「そこだ。奴と同調出来る生き物はそうはいない……おい、しれっと話題を変えやがったな」
間に立たされる私の身にもなれ、そのように髑髏は悩みを吐露した。
「あちらを立てればこちらが立たず、難しいところだ。取り敢えずだな、状況を打破しようにも情報が足りん。結局、ムドー本人が出て来るまでオレらは手を出せないから――」
苦労人の友には気の一つも払いたいが、地上にはおいそれとは手が出せない。そうとなればと、会話の途中に関わらず、何もない空間にルファイドは手を突っ込んだ。その様を見れば、骸骨は「干渉出来る者に頼むしかないな」と呟き頷く。
何もない空間ではあるが、何かとは繋がっている。差し入れられるに従い、手首の先から消失していく。それも引き抜く動作がなされれば、再び現れた手には寵愛する精霊が掴まれていた。
「シャーロット、ご苦労だったな。これ程ボロボロなのは、二百年振りくらいか?」
「やー、見てのとおりだよ。まさかこんなことになるとは思わなかったなぁ。あ――アルさん、こんちわ」
ボロボロになった精霊は、とほほと笑ってみせる。片手を挙げて応える髑髏を視界の端に収めながら、ルファイドは少女を見つめる。彼女が浮かべる笑みの中に、何処か哀愁のようなものを見つけては、眉根を寄せた。
「……今回は、何に触れてきた? 少年勇者は、よくやっている方だろうに。何を憂うことがある?」
「んーー、わかんない」
神のために用意された席に、シャロは遠慮なく座る。顎元に手を当てながら、うんうんと唸る姿は愛らしくもあるが、今は無責任に愛でる訳にもいかない。
下手をすれば、この精霊は十四番目の神になるかもしれない存在なのだ。この高位存在が気に掛けている人間種の勇者、その動向は闘神としても気を払わねばならないところである。魔物を屠り続ける彼へ、一体どのような憂いがあるというのか。
「取り敢えず、ムドーの影響下にあるだろう魔物を滅してきたのだ。このお嬢さんを十分に労ってやれよ?」
腰を持ち上げ、ローブを着込んだ骸骨は笑う。
「何だ、もう行くのか?」
ルファイドとしては、旧友ともう少し語り合いたいところでもあった。何せ、用件でしか会話らしい会話をしてはいない。
「おいおい、用が済んだら帰れとは誰の言葉だったかな?」
「それに関してはオレの落ち度だな。ドクロのお前は好きなんだよ。もうちょっと、喋っていかないか?」
留まるように出された言葉に、アルは片手を振って立ち去った。悩める男は、何かと忙しい。性格的には、髑髏と青年の中間あってくれば望ましいと、そう思わずにはいられない。自身の我儘さを自覚しながら、ルファイドは友を見送った。
「今回は負けると思った」
「そうか?」
代わりに精霊が話を始めていた。椅子に腰かけているものの、前のメリに倒れるようには頭を下げている。天真爛漫な、いつでもお気楽なところがシャロのよいところだとこの神は考える。それがここのところ、ルファイドの前では深刻な表情をすることが増えつつあった。
「あの子は、どうしたいんだ。勇者になりたいことは間違いないんだ。けど、けど……」
その悩む姿すらも生長の糧とはなる。
だが、人間とは異なる理の中で生きる彼女には、少年勇者の置かれた境遇と想いを理解することも難しい。神の身としては下界を気にするべきであろうが、ルファイド個人としてはこの娘の行く末の方が余程心配であった。
「おいで、シャーロット」
両腕を開いて、ルファイドは寵愛する精霊を呼び込む。素直にその胸に飛び込んだ彼女を抱きしめながら、優し気に神は語った。
「いいのさ、今はわからなくとも。人間ってやつは複雑な背景を元にして、妙ちくりんな考えを出す生き物だから。時に合理的であったり、時に感情的であったりする。我々は、それを見守ってやればいい……人間の勇者を導くために我々がすべきことは、もっとずっと単純なことだ。シャーロット、お前は何をしたい?」
「ジオ、勇気づけたい」
豊満な胸に顔を埋め、シャロは子どものように単語で応える。その姿に闘神は緑の瞳に穏やかな色を携え、精霊の頭を撫でた。
「ああ、いいじゃないか。応援してやろうな。ジオグラフィカエルヴァドス、あれはオレも好きだぞ。何せ、お前の弟分だ。グリオが強過ぎる魔物を平らげたこの世で、あれが何を為すか、それを焦らずに見守ってやろうじゃないか」
「……うん、そうする」
答えながら、シャロは瞳を閉じた。
自然霊との繋がりが強すぎるがために、彼女は精霊となった。一時的とは言え、その繋がりを絶たれた後では気弱にもなる――父のような、母のようなルファイドに包まれ、精霊は呼吸を健やかなものへ変えて眠りについた。
「何処となく、不機嫌そうですね」
カッポカッポと、馬の蹄が立てる音ばかりが響いていた。いい加減、沈黙に耐え兼ねたハインドが言葉を漏らす。
「……そう、見えるかの?」
馬のすぐ傍に浮かぶティアは一度否定しようとはしたが「そう見えるのだな」などと口ごもる。彼女の視線は、先導する中年の背中に向けられていた。従者に背負われ、彼女が気に掛けるジオは今も意識を落としたままだ。
「色々、気になることがあってのぅ」
ぶつぶつと呟く少女は、幼馴染みの少年を取り巻く、過去未来現在に機嫌を損ねていた。
「こんなにボロボロになってまで、闘うことに対してですか?」
「それもある」
現在への問いに応じながら、魔女はネギの勇者を見つめる。全ての力を吐きだした彼は、鎧を保つことも最早出来なかった。闘神が最初に与えた状態、緑の篭手にまで戻っている。
「あの大きな爆発と、その後に対してですか?」
「それもある」
未来への問いに応じながら、魔女は思案する。
あの規模で魔力が弾ければ、大人しくしていた魔物が騒ぎだすかもしれない。否、広いフルゥエラ大陸では、未だ見ぬ強者がジオへ挑みたがるかもしれない――魔物ならばいざ知らず、人間相手では苦しめられる方が多いのではないかと懸念が残る。
「じゃぁ、何なんですか?」
「ヌシもしつこいのぅ。しつこい男は嫌われるぞ?」
吟遊詩人という職業を考えれば、他人事が気になるのも仕方ないとは少女も思う。だが、それにしても出会って間もない人物へ根掘り葉掘り聞こうとするのは、あまり上品なことではないだろう。
「すみません。ジーオや貴女たちに救ってもらえて……恩返しをと、焦りました」
ははっ、と乾いた笑いを溢しつつ、ハインドは謝罪する。あの憎き砂漠蟲を屠った勇者は、彼にとっては最早大英雄だ。その勇者がズタボロになった姿を見て、憂う人がいればどうにかして力になりたいと思ってしまう。
「しつこい男は――って、ジーオは案外しつこいと思いますけど?」
思い切って話題を逸らそうとすると、小さな魔女の肩がピクリと震える様が視界の端に映った。
「私が話したのは一般論。あの子は別……じゃからこそ、気になっとる」
ほれ、と彼女が指差す先を吟遊詩人は目で追った。眺望の加護を得ている彼は、魔女が勇者の左腕を示していたことがすぐにわかった。従者に背負われて腕は力なく垂れ下がっているが、左手には今も金色に輝くネギが握られている。
「あのネーギは凄いですね。視たところによると、ウィッツ神の黄金剣という概念を持ったネーギですよ。概念武装なんて代物、わたーし初めて見ました!」
「使用者の身体能力を引き上げる神造剣、確かに素晴らしいものじゃが。私が言うておるのとは違うわ、もっと手元を見てみぃ」
興奮するハインドを一蹴。神が授けし剣すらも眼中にないと、魔女は一層機嫌を悪くしてみせる。
言われるままに黄金ネギから視線をズラせば、間もなく「あぁ」と青年は漏らした。どうやらこの小さな魔女が、巻かれた赤い布を気にしていたと理解に至る。痺れる手から黄金剣を取りこぼさぬよう、そのようにされた工夫こそが懸念材料であった。
「レティア闘技場でも見ました。赤いスカーフですね、あれを額に巻いてから、ジーオは実に勇者らしい力を見せてくれました……想い入れ深いものなのでしょうが、ひょっとしてティアさんからの贈りも――すみませんでした、黙ります」
ティア自身、あんなものは知らない。赤いスカーフなど、エル少年が好んでつける姿など想像もつかなかった。それどころか“あれは女からの贈り物だ”と、何たらの勘が自動的に働いてしまう。
自動的な思考であるため、不機嫌さを止める手立ても見当たらない。冷静に考えれば、とんでもない目で睨んでしまったのだろう。ハインドの委縮振りは、ティアから見ていても可哀想なものであった。
「自身の知らぬジオ様の過去、そんなものばかりを見つめていたら、心を悪くしますぞ?」
「……わかっとるわぃ」
立ち止まった伯父に追い着けば、そのような忠告が投げかけられた。非常に耳が痛くなる言葉であり、反論のしようもない。
「わかっておりますれば、リバーハインド殿に謝りませい」
「何で私が……」
「謝りなさい」
「――むぅ」
伯父が真っ直ぐに視線を向けるものであるから、ティアは素直にとは言い難くとも、きちんとハインドへと向き直った。杖からは下りて、とんがり帽子も外してみせる。
「すまない。あなたは悪くないのに、不快な想いをさせてしまった」
「あ、いや――そんな。私が不躾にも質問を繰り返したのが悪かったのです」
お互いにいつもの言葉遣いを正してしまう。下げた頭を戻せば、ティアはまた魔女らしい表情に戻る。
(筋を通すために謝りはしたが、吟遊詩人にも多少の非はあった。むしろ私が謝って恐縮してしまうなら、こうも……ん? 何か変じゃないか)
むす、と今度は年相応の顔へ変わる。考える程に伯父には嵌められた気がしてならない。
「よくぞ謝りましたな。さて、それではアレクラへ戻りますぞ」
「待て、伯父上。反省はしよう。私が悪かったのはそりゃぁわかるがの、露骨に話題を逸らさなかったか?」
ジロリと下から睨み上げれば、中年の男は黙って歩き始めた。勇者を背負った背面を向けてくる辺り、「そりゃ汚いじゃろうて」と悪態を吐かずにはいられなかった。
「よろしいか、フラティラリア。世の中、知らない方がいいことや、知らないでいいことがあるものですぞ?」
「疑問に疑問で返しやるでないわ。それな、そのスカーフの持ち主がエルの情婦じゃって言ってるようなもんじゃないか」
己で語りながら、徐々に心が冷えていく感覚にも陥っていた。何故かはわからないが、杖を握る手が震えたため、空いた方の手を重ねる。
視力が良過ぎる吟遊詩人はそれに気づいていたが、黙って馬を進ませることに集中した。
「な、何を今更と言うものじゃ。あれも英雄を目指す身、現地妻の一人や二人……」
呟きながら、手が震えることの理由が朧気ながら腑に落ち始める。頭を上げてゆっくりと首を振る伯父の姿を見れば、それこそ思考は止まってくれない。
「グリデルタとかいう、小娘か」
小さな声で、少女は呟いた――パチリと寸分違わずに空いていたピースが埋まるような感覚であった。確かに、知らないでいいことだ。
そもそもからして、とっくに気づくべきだった。ぶっきらぼうなジオが熱心に手紙を書いていることから、当然にして気づくことが出来た。彼は父親の名を世界に轟かせるため、父の名を名乗って旅をしていた筈だ。
最近になって自分の名前を名乗るようになった。ジオなりに、なりたい勇者像を考え始めた――それは“勇者になるために人を救う”などと、手段と目的を入れ違えていた彼の目を覚ませた者がいることに相違ない。
「……やっぱり、私はただの魔女なんじゃろうなぁ」
とんがり帽子の唾を握り、ティアは手にした帽子を深く被り直す。そこに居たのは魔女ではあるが、ただの少女のようでもあった。
「まぁ、そういうことですな。私の姪が、広域魔法をところ構わずに放つような生き物でなくて、胸を撫で下ろしているところですぞ?」
「本当に撃ってもいいんじゃがな――そうじゃ、どうしてエルはこんなに広域魔法を禁じた? 今回の魔物相手ならば、魔法に頼った方が確実だったろうに」
少女としては落ち込みつつも、今は魔女としての好奇心が勝った。
エルという少年の中身を考えたところで、父親越えに拘る理由が見つからない。先程も考え至ったが、彼が当初願ったことは二代目ネギの勇者の名声を轟かせることであった。
「あの……」
馬を歩ませていたハインドが、おずおずと口を開いた。今にして思えば、そのような前置きを聞いて、キョウジもティアも耳をそちらへと向けてしまう。吟遊詩人が語るは憶測、だが誰もが納得出来るものであった。
「わたーしの生まれ故郷を想ってのことであったのかと」
ジオたちが砂漠蟲と向き合ったあの場、丁度背中を向けたところには小高い丘があった。そこに積まれた小さな石に眠る者……その存在をオッサンたちは知りもしないが、この一言で勇者の一団は穏やかな笑いを浮かべた。
「バカ、ですな」
「ああ、バカじゃ。エルは底なしのバカじゃ……じゃがのう、何て言おうか、そんなバカは嫌いじゃない」
一時は殺伐としていたものの、叔父も姪も何かに通じ合ったのか笑い合う。意固地になって広域魔法を禁じた少年であるが、何と言うこともない。ただ、己を友と呼んだ青年、その家族の静かな眠りを妨げたくないというものであった。
「ですがそのバカさ加減、それが勇者というものですな」
中年は、主の勇者らしさに触れて。少女は、幼馴染の優しさを再認して。いずれにせよ、ジオグラフィカエルバドスが勇者らしかったことを、掛け値なしに喜んでいた。
「フラティラリア」
「何じゃ?」
穏やかなやり取りの後、余韻を切るようにしてキョウジは姪へと呼びかける。
「正直に申してな、ジオ様は女性にうつつを抜かすタイプではない。お前もよく知っていると思うが、あの方は勇者バカ……バカ勇者? ともかくな、フラティラリアが落ち込み過ぎる必要はないのですな」
優しい言葉かけであったが、それでも想いを寄せる少年のこととあらば、ティアはツッコミどころを潰しにかかってしまう。
「なら、私を応援せぇ。可愛い姪っ子の頼みじゃ、聞いても罰は当たらんぞ?」
「……とは言え、ジオ様はフラティラリアを女としては見ておりませぬからなぁ」
「それも知っとる。じゃから、育て親の伯父上の力が大事なんじゃなかろうか」
口調は穏やかなものの、少女の胸中は冷や水とマグマが交互に入り乱れるような心境であった。ジオのオッサンに向ける想いは強く、ただの一言が欲しいところだ。
「いや、そうは言われてもな。グリデルタ殿を愛せよと言うつもりもありませぬが、身内に肩入れするのもなぁ」
思いの外、オッサンは頑なであった。おどれが首を縦に振れば――そのように思わないでもないが、魔女として思考を回すティアは搦め手で粘る。
「想像してみせぃ、伯父上。私とエルの間に子どもが生まれたとしよう」
「ふむ?」
耳をぴくりと動かしたものの、男は耐える。だが、既に興味に駆られていたようで先程までとは姿勢が異なっていた。
「可愛い可愛い、ややこじゃ。したらば、よう考えぃ、その子は伯父上にとって何じゃ? 血縁のややこしさは放って考えてみぃ、最早、孫ぞ?」
「ジオ様のお子が、我が孫――」
瞬間、主を背から取り溢し兼ねぬ程の衝撃が彼を襲った。
『じぃじー』
おぼつかぬ声、足取りで駆け寄る幼子。その姿は黒髪黒目、主はおろか嘗て己を救った大恩ある勇者を彷彿とさせる子どもが、脳内に棲み付いてしまった。
強き存在へ必ずなると約束されている子どもである。だが、その子はまだまだ庇護すべき存在なのだ。
「若、なりませぬ、このような荒れ地で走ってはなりませぬぞ!」
「……落ちたか」
ふ、と半ば呆れたような形でティアは息を吐いた。ジオのこととなれば頑なになる伯父であったが、案外と簡単に硬さが砕け散る。
実際、半裸の中年が虚空へと向けて手を伸ばす姿は、事情を知らぬ者が見れば衛兵を呼ぶ程の案件かと思われた。
「で、実際どうなんじゃ? 伯父上が協力してくれるなら、今からでも魔女を辞めて、私は主婦になるが?」
地に足をつけ、跨っていた杖で伯父を殴る。実際には額に触れさせた程度であるが、衝撃は小さかれども現実に戻るには十分であった。
「しばし見ぬ内に、謀略に長けるようになりおって……まぁ、何といいましょうか。とんでもなく魅力的な話でしたな」
ですが、とオッサンは付け加える。
「結局は、ジオ様のご意志が一番ですな。彼は、我が主は魔物との大戦を収めた勇者の御子息。その御父上を越えるまでは、まー女性に目を向けることもないでしょう」
「じゃろうな。じゃから、それまでの間に悪い虫がつかんようしてくれたら、それでよかろうぞ? 伯父上、孫が可愛いのはじゃな、親よりも無責任に可愛がれるからじゃとものの本にも書いておったわ」
「お――」
「ふ、落ちたな」
再びニヤリとした表情をティアは浮かべた。元より、少年勇者を今すぐどうこうとは思ってなどいない。
ならば、彼が落ち着いた時、一番近くに居られるようにしていたい――ティアという少女はそのように思えば、将を討つため、まずは馬であるキョウジを落としにかかっていた。
「お二人さん、すみません!」
バカなやり取りを続けるキンジョーの一族へ、吟遊詩人の青年は逼迫した声を届ける。
「何じゃ? 今は忙しいと――」
適当にあしらおうとしたティアが、表情を凍り付かせた。目にすれば一瞬で現実世界へと引き戻されてしまう。
「あれですよ! ねぇ、アレクラが、アレクラが……あそこはアレクラだったでしょう?」
吟遊詩人らしからぬ、細い声が響く。
「何の冗談じゃろうな。疾うに魔物は倒したと言うに」
先程とは異なる呆れを、魔女は表す。
眼前に迫る予定であった村。そこが、まるで存在を隠すかのように煙に覆われている。性質の悪いことにその色は白を示している。
「ジオ様のこと、頼みましたぞ」
弟はどうなった――ハインドが力なく溢す音を聞くや否や、オッサンは単身で駆け出した。
「おい、伯父上!」
魔女という性質上、どうしても状況把握を優先してしまう。出遅れたティアは、未だ眠るジオが放り出されてきたのを受け止めることで精一杯であった。
麦秋に爽やかな風が吹く。
それでも、忌まわしくも村に纏わりつく白き煙が晴れることはなかった。




