ネギと天敵 2
荒れた大地に、緑の風が唸る。発生点は風と同じ色の全身鎧を纏った少年だ。度が過ぎる大型の魔物を前に、仲間を後ろにネギの勇者は心を落ち着ける。
「レティアで積み上げたもの、トトリで学んだもの――俺が勇者として歩んできたその全部をぶつけてやる」
自身に暗示をかけるかの如く、ジオは呟いた。出会い頭の一蹴りで、一撃の破壊力はこちらが上であることは把握している。それでもまだまだ足りない、耐久力は相手に軍配が上がる。
引き絞られた弓矢のように、起点となるジオの拳はギリギリと震え、やや乾いた地面にヒビを作った。
「――――――――っ!」
体勢を整え直した砂漠虫が咆哮を上げる。複眼に白色光を灯しての激昂――さながら神の加護を纏ったかのようですらある。
開かれた口からは、ついでのように白い煙が撒き散らされた。工夫もなく繰り返される様は、眼前の魔物に複雑な思考力がないことの証明だ。それでも、ジオとしては侮ることは出来ない――あの煙は単純ながらネギの勇者にとっては脅威となる。
「出遅れたが、行くぞ!」
白色が広がるなか、ついにジオは持てる力を爆発させた。緑色の風は逆巻き、彼を取り巻くようにして盛大に迸った。
「速い、ジーオの突進する先に煙のトンネルが出来上がる! 解説のティアさん、これは一体?」
「赤風の勇者なる者の移動術を応用したもんじゃろな。壁なんぞ作らずとも、風で煙を散らせばいいと考えたんじゃろう……解説はしてやらんでもないが、私は大魔法の準備に忙しいんじゃからな?」
背中に受ける声にニヤりとしながら、ネギの勇者は直進する。煙が邪魔ならば、吹き飛ばせばいい。
緑色鬼と呼ばれる形態は、装甲を増やすことを目的としたものではない。己を護るためではなく人を護るため、より攻勢に出るための状態変化だ。加護による身体能力の向上、魔法効果の向上、持久力・回復力の増強……幾らも恩恵はあるが、代償に狂人化の状態異常を得る。
「殴りながら考えたいがー……今回はそんな余裕はないな」
いつもであれば、魔物を屠ることしか頭には残らない。暴力に煮え滾った単純思考しか取れぬが、今のジオは化け物じみた見た目に反して理性的な言葉を吐く。尤も、いつもの通り考えを放棄していることには変わりない。
「レティア闘技場で見た際、あの姿のジーオは緑色鬼の噂に違わぬ恐ろしさがありました。今はどことなく優しげに見えーるのですが……」
「解説か? まったく……闘神の加護は余りに強いから、複数を同時に使えば状態異常の罰則がおりる。じゃから早々に相手を倒すため、鎧をより攻撃的な形へ変える――これが普段の緑色鬼。今は、そうじゃな。あれの力が強くなってきていることと、もう一つの要因で狂人化に抵抗できとるんじゃろうな」
片目を瞑りながら、ティアは吟遊詩人の疑問に答えた。広域魔法の詠唱をしたいところであるが、ジオの現状については彼女自身も整理したいところであった。
詠唱は後回しにして、魔力を集めることだけに意識の半分を切り替えたところで「もう一つの要因とは?」と、当然の疑問が耳に入った。
「単純じゃ。加護が弱まっとる。だから、罰則が少ない」
「へぇ……何ですって?」
実況者らしからぬ、鈍った声をハインドは上げた。
「ケイマラード神より授かった加護を用いて、見てみぃ。同じ緑でも精彩を欠いていることがわかろうぞ」
「そんなバカな、いや、その、とおりですか」
瞳を凝らせば、猛り狂う緑色の風がどことなく明るさを一段も二段も落としているように見えた。突進スピードこそ衰えぬように、外からは思える。だが、加護による力が減れば肝心要の攻撃力はどうなるのか。
「じゃからな、私がこうして広域魔法を準備しとる。あれも頑固なヤツだが、頭は悪くない。自分で手に負えないとわかれば、こちらへ助けを求めるじゃろ」
待つしかない。加護の影響力が低下したとしても、魔女が身体強化の魔法を施している。万全とは言い難いが、それに近いところまでは取り繕えた筈だ。
本人がわがままを自覚しているならば、止めることも彼女には出来ない。
「ティアさん……オジサンが突撃してますが、いいんですか?」
「な、何ぃ?」
素っ頓狂な声が荒野に響く。
颯爽と駆け出す中年、その背中が目に入る。主が任せろと言ったにも関わらず飛び出してしまうのは、如何なものか。
「フラティラリア、指示待ちだとジオ様に置いてかれますぞ」
一度足を止め、振り返ると姪っ子に向けてオッサンは言い放った。
「お、伯父上! あ、コラ――」
魔力を練り上げる最中、意識の半分はそちらへもっていかれているために反論が遅れた。その隙に言い逃げのような形でキョウジは一目散に走り去る。
「嬉しそうな顔してましたね」
「憎たらしいくらいな……あー、もうよい」
爽やかな笑みを浮かべた姿は、まるで少年のようであった。何が嬉しいのか、生憎とティアにはわからない。恐らくは三代目ネギの勇者の考えを理解してのことだろう。永年付き従った彼ならではの勘が働いているのだが、そいつが少女には羨ましかった。
「考えたら、負けね」
昔からエル少年がすることは想像もつかないことを思い出し、少女は素の顔に戻った。それもすぐ様、溜め息と共に吐き出されてしまう。
「フラティラリアさん?」
「気にせんでくれ。私は私に出来るだけのことをやるから、ヌシも己の出来ることをしやれ」
魔女は瞑目し、浪費してしまった魔力をチェックしながら準備に取り掛かる。ネギの勇者が無残にやられるとも思えないが、弟分は割と無策であることが多い。それでもあの少年は矢のように飛んで行ってしまうのだ。
「主神も目ん玉を引ん剥く程の大魔法、見せてやろうぞ」
何を考えているかはわからない。ただ、きっと何も考えてないのだろうと結論に至り、ティアは不敵に笑った。
属性など関係なく、それこそ跡形もなく消し飛ばせる規模の魔法が必要だ。勇者の信頼に応えるため、邪神の力を呼び起こしにかかった。
勇者は不敵に笑う。己の力量を上回る相手と向き合う度、彼は口元を持ち上げてみせた。
何故笑うのかと尋ねられても、本人は困ってしまう。自覚なしにされるそれは、一種の癖であった。精霊に指摘されるまで気づかなかったが、知った時には密かに喜んでみたりもした。
ピンチの時こそ、人々を安心させるために勇者は笑う――彼がなりたかった者に近づいていると知れば、喜ばずにはいられない。
「全力で、五分五分。楽しいじゃないか!」
顔までを金属で覆われたなかで、ジオは言い切った。それは後ろに控える者への信頼と同時に、挑戦出来ることへの喜びであった。
魔法による身体強化を得ながら、どこまでも心許ない感が拭い切れない。いつもの調子で守りに使った左手を中心に、少年は痺れを覚えていた。ネギの勇者になって以来、こんなことは初めてだ。
だが、呆れ返る程の修行の果て、己のことを知るジオはこれが異常状態ではないと理解していた。
(結局、煙は浴びてしまうのだから、短期決戦だ)
決意と共に地面を踏みしめ、バカでかいミミズへとそろそろ差し掛かろうとしている。
彼の直観が間違いでなかったことは、姉代わりが身を以って証明していた。己のみならず、途方もない力を持った精霊が一瞬にして無力化された――これがヒントであった。思えば、自身もレティア闘技場でこれに近いものを披露していたではないか。
「加護が――否、自然との繋がりを断ち切られる前に、倒し切る」
静かに、その想いが紡がれた。踏み込まれた足に纏われた鉄靴は、地面に深く跡を残す。頭をもたげた砂漠蟲と目が合ったような気がする。途端、甲高い鳴き声が響けば、耳に障る。が、程度は低くとも狂人化の影響にあるジオは、それに任せて頭を煮え滾らせ、更なる一歩を踏み出した。
「高い! 跳躍から弓なりに身体が引き絞られている……蟲の眼下、ではない。眼前にまで迫り繰り出されるは――」
ここに来て、繰り出されたものは足であった。
「づおぉ、りゃああぁ!!」
どちらか魔物かもわからなくなる程の雄叫び。大声量を伴って、勇者は渾身の蹴りを放つ。中段突き一つで、ゴブリンの頭を粉砕する膂力をネギの勇者は有する。対人相手には滅多に放たれないこの一撃は、大型の魔物を再起不能にするためだけに振るわれた。
「――――――っ!?」
大絶叫。引き絞られた声が響くが、惜しむらくは断末魔の叫びではなかったことか。
「まだだ、まだまだだ!」
蹴り足を引きながら、ジオは残った魔力を動員する。出し惜しみはしない、してはならない。大型の魔物は、顔の半分以上に及ぶ口から煙を未だ燻らせている。
走りながら地面を見た時、彼はこのミミズがネギの勇者の天敵であることを確信していた。
僅かながら地面に生える草、煙に煽られたそれらは茶色に変色して土へと還る。草花の生長を奪うどころか無に帰すそれは、除草剤とも呼ぶべきものだ。自然霊との繋がりを絶たれた精霊が地に堕ちるのも納得がいく。
「魔力尽きるまで魔力塊!」
背後に足場を発生させ、次なる蹴りを打ち込み、更に身を捻る。反転した先にも足場、空中であっても、不定形の光を踏み込めば常に全力の蹴りが連続して繰り出され続けた。
「と、止まらない! ネギの勇者が、空を飛び回っている!」
興奮を隠すことなく、ハインドは叫ぶ。
レティアでは移動速度と姿勢制御を、トトリでは限界までの魔力運用を学んだ。それらの融合が、光の壁に魔物を捉えての包囲網だ。
ただ、残念なことに異様なまでの耐久性を持つ魔物は、竜すらも砕かんとする蹴りを受けながら仰け反るに留まった。まだ、足りない。
「激しい連撃、それでも届かないのかっ!」
「シャロ――」
吟遊詩人の言葉を聞きながら、勇者は次の手を搔き集めるために口を開いた。
「はいはい、姉遣いが荒いヤツめ」
精霊は片膝を付いたまま、手を翳す。自然霊との繋がりが断ち切られども、未だその身の内には人間では持て余す程の魔力が渦巻いている。
魔法とは、生命に含まれる魔力を元にした奇跡である。であれば、紅い瞳の人外は平然と、祈りの所作の如く奇跡を行うのだ――ここに、緑色の光による檻が出来上がった。
「どぉりゃぁああああ!!」
叫び、勇者は壁を、蟲を蹴って檻の中を暴れ回る。
魔力が尽きれば加護を、加護が弱まれば気力を。全力の一撃をひたすらに繰り返し、ミミズを圧殺せんと飛び回り蹴りを続けた。
「解説のティアさん、ミミズが細くなってきているような、それでいて何かでかくなっているようにも、わたーしには見えるのですが……間違いでは?」
「ないな。体組織のほとんどが水の塊だ。最初の一撃はともかく、以後は下から順に蹴り上げているのだから、体液も血液も上へ上へと昇るんじゃろ?」
平然と語られたが、果たしてその言葉通りに魔物はその身を細らせ、太らせていった。
風を纏い、繰り返される勇者の連撃。魔物の規模が余りに大き過ぎるため、破壊し尽くすには至らない。それでも一撃を加える度に、その身を捩じらせ捻り続ける。
「最早残すところは頭のみ、こうしている内にも神速の蹴りが討ち貫いている!」
実況の最中、一際強い一撃を勇者は放った。
限界ギリギリまで引き絞られた砂漠蟲の身体。軟体であれども、内側からの圧力に耐え兼ね、ついに頭頂部から体内に収まっていた青色の液体を吹き出し破裂する。
「破壊、破壊破壊、破壊ー! 流石はネギの勇者、賛辞をわたーしは贈りたい、が、それを素直にさせてくれないから魔物なのか!」
再度、金切り声が上がった。
勇者が魔を滅する力ある者であれば、魔物は人を食らい尽くす暴力の権化だ。
「ジーオ!」
破裂した頭、そこから噴き出した白色の煙に勇者が呑まれる。瞬く内に輩が打ち砕かれることを想像し、ハインドは思わず実況を忘れた。
「――――――――っ!?」
三度響く金切り声。それは、聞くに堪えないものであった。人の神経に障るものを表現するならばこうだ。断末魔だと、吟遊詩人は確信していた。
「斬り裂かれて、永遠に散れ!」
白色の煙の奥底、少年の雄叫びが確かに聞こえた。彼の生存を示すべく、白色の靄を貫く光がそこにはあった。
「あ、あれは……わたーしの記憶が確かであれば、そうですとも。忘れておりましたとも、ネギの勇者は剣を手にしていた!」
呆然から立ち直った青年は、矢継ぎ早に口にする。
斬撃の影響で、煙の隙間からは光が覗いていた。それは、ネギの勇者らしからぬ黄金色であった。
「そうです、そうですとも。レティア闘技場で黄金剣士が手放した黄金剣、それをジーオは持っていた」
冷静に語るが、妙なところがある。間近で煙を浴びたジオは、闘神の加護を一時的に失っている筈だ。だからこそであった。
剣を手に出来ない勇者であるが、今手にしているものは剣であって剣ではない。ルファイド神の加護、その影響によって黄金のネギへと変わったそれは、ネギであり剣となる。
「剣は、やっぱりつかえない……だがな、力任せに振り抜く程度は出来るんだぜ?」
尾から頭までを黄金のネギで引き裂き、ジオは呟いた。魔力、加護、気力、それらがいい加減に尽きつつあったが、最早問題ではない。
水を敷き詰めたミミズを破裂させ、尚且つその身を引き裂いた。明らかな決着に、ジオは篭手だけに戻ったシンボルを撫でながら、落下するに身を任せた。
長大な魔物を引き裂くべく、飛び上がった代償に高い位置から地に堕ちる。だが、それ自身は問題ではない。
「問題だ……」
吟遊詩人が呟くよう、問題があるとすれば、それは未だ魔物が絶命していないことであった。
口も巻き込み裂かれたそれは、最早悲鳴も溢さない。だが、十五年という歳月を溜め込んだ魔物は、体内中枢、傷つきはすれども健在である魔力炉を赤く輝かせていた。
「いやいやいや、こんな魔力の塊、一体どうするってんだ!」
投げやりにハインドは嘆く。心臓部とも呼ぶべき赤黒いものが怒張し破裂寸前にまで魔力を迸らせる。
「我が掲げるは嫉妬の神、全てに滅びを与えるべくその力を示さん――」
いよいよ緊急事態であると、ティアは広域魔法を詠唱し始めた。詠唱は永くとも、既に放たれん程の魔力で溢れる。これこそが彼女の持つ最大威力の魔法である。その威力は凄まじく、ランギス神が持つ力を広域に捉えながら、局所的に留めることにより対象を圧殺せしめる。
「御免――」
呪文の成立前、そのような声を魔女は聞いた。
「んあぁ、後は頼んだ」
落下の最中、肩を踏み台にされた勇者は気の抜けた声を上げる。彼を押し退けて飛び出した者、それは魔女に匹敵する信頼を持つ者だ。
「ホオォ、ワーチャーー!!」
金切り声までは届かずとも、飛び出した中年の叫びは高く響いた。
次の時には砂漠蟲の心臓部に届いた足が、主に代わって全力で蹴り抜いてみせる。
「な、何と――わたーし、度々言葉を失います」
言葉を区切り、ハインドは首を持ち上げ、魔物が最後の抵抗をするのを遥か上空に見た。
「あー……爆発四散、そのように言えば惨たらしいのですが、魔法の火になって魔物が散り散りになる。えぇ、今や他人事ですから、この感想も許して欲しい。爆発する様は、綺麗なものです」
ゴム毬のように蹴上げられたものの結末を、吟遊詩人は語った。
「何でしょう、何なのでしょう……言葉に、なり、ま、せん」
十五年前、村を襲った存在が散り行く様を見て、ハインドは言葉を詰まらせる。結構な高い位置から勇者が落下していたが、それには目も今は届かない――眺望の加護を持つ吟遊詩人であれども、瞳に水が溢れては像が歪む。
「今は語らずとも、よいではないですか。貴方は、泣きたいだけ泣けばいい」
精霊が現わしていた緑色の壁を蹴り、地面へ急速に迫ったオッサンが優し気に語る。その腕には、全てを使い切り意識を飛ばした主を抱いている。
「フラティラリア、ジオ様の勇姿、その眼に焼き付けたか?」
離れた位置にいる姪へ、男は笑みを浮かべながら告げる。
「……ん、ああ、見た見た」
盛り上がる男たちを他所に、少女は適当に相槌を打って応じた。
詠唱途中、莫大に溢れたこの破壊現象を伯父へとぶつけてやりたい。だが、やり切った幼馴染の安らかな寝顔を見て、少女は踏み止まった。
「よかった……本当に」
それでも、鼻声で言葉を紡ごうとする吟遊詩人を見て、ティアは遥か上空に顔を向けた。天を貫く程の魔法がなっていたが、正直、割とどうでもなくなる程に少年の勇者の活躍は胸に落ちてきていた。




