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ネギの勇者って、何ですか?  作者: 三宝すずめ
第四話「ネギを讃えよ、吟遊詩人」
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吟遊詩人は鬼を見る

「何が、一体どうして……」


 白煙に包まれる村の中を、ラリィは当てもなく彷徨っている。


 兄や勇者を見送り、また一番に出迎えられるように村の入口へ陣取った。結果、村で起こった異変を一番最初に目撃することとなった。


 逃げなさい――そのような言葉を聞いた気がする。馬の駆ける音も聞いた気がする。ただ、何が現れ、何から逃げねばならないのかがわからない。


「誰か、誰かっ!」


 先程から村人とまるで出くわさない。焦りや不安から声を上げるが、それすらも煙に吸い込まれ消え行く。


「……どうしたらいい? どうした――あれ、僕は何をしようと?」


 霧のように村に広がる白色を進む度、思考力が落ちている。だがそのことに少年は気づくこともない。現状への認識すら溶かしてしまうのがこの神秘の恐ろしいところであった。


「わからない、逃げるなら村の外に向かってじゃないのか? どうして、村の中に? なんで、なんで――――」


 何やら恐ろしいものを見た気がするのだが、ラリィはそれが何であるかが思い出せない。間抜けなことに、村人へ危険を知らせに走ったその理由がわからない。


「真反対にも村人発見……むしろ、ここが中心か? 神父」


 自失に膝から崩れた少年の肩を掴む者がいた。黒ずくめの上、鳥の仮面などを身につけた人物だ。王都を守る黒騎士の存在を、日頃ならばラリィは訝しむに違いない。今はまともに思考も出来なければ、ただ助けが来た程度にしか感じられない。


「カーラ、外ではもう少し丁寧な言葉遣いをなさい。私はこれでも司教の立場にあるのです」


 煙の中から、次いで長身痩躯の男が現れる。叱るような口調であったが、声音は優しい。連れの鳥仮面と同じく黒ずくめの神父は、ラリィを一瞥する。


 操られるようにして、広場に集められていた人たち。そのほとんどが今の少年と同じく、何も考えることが出来ない状態となっていた。煙に長く触れればどうなるのか、興味はあったが実験に村人を付き合わせる訳にもいかず、素直に助けたものだ。


「言葉遣いと言われてもだな、村人も自己喪失状態だ。何を言っても記憶に留まらんじゃないか」

「そういう問題ではありません。カーラ、あなたも国教の黒騎士なのですから、立場と役割を考えなさい」

「ふーむ……人間とは、面倒なものだな」


 仮面の騎士はおどけるようにして肩を竦めた。わからずとも、アジードの求めに応じはする――飽きっぽい子どものような口調、その音韻を以って神父の結界を少しばかり拡大させた。


「あ……れ、神父様?」


 白色の侵蝕を免れ、ラリィは正気を取り戻す。同時、黒衣の二人連れを瞳に収めれば、呆けた声を上げた。


「少年、このアレクラに何が起こったのですか?」

「そうだ、マイロが――勇者が突然この町で!」


 頭にかかっていた靄が晴れ、ラリィは鈍色の鎧を纏った人物が語ったものを思い出す。逃げろとは、マイロに引き摺られた女が出した言葉だ。


「ここに檻を作る。そう、言っていました」


 全てを白色に包み、男は恨みを晴らすと嘯いた。仮面の騎士は背の高い神父を横目で見やる。


「アジード、お前の読みはバッチリだな。本当にややこしいな。人間とは何処までも傲慢なもので、本当にややこしい、面倒でややこしぃな!」


 溜め息混じりに、カーラは呟く。本人に自覚があるのか、台詞の最後は口調も強く、笑うような怒るようなものへと変わっていた。


 傲慢さそのものが悪い訳ではない。己を知らず、人を妬む――その様が醜いと憤ってみせたが、この人物もまた自身への自覚は十分ではなかった。矛盾に満ちた考えに、相反する想いにこの信徒は揺れる。


「考えることは後になさい。アイリス神へ祈る民たち、それを救うことが先決ですよ。それが――」

「それが我々の為すべきことだな。それはいい、シンプルでわかりやすくて、いい」

 

 仮面の下、いつもの調子を取り戻したカーラは嗤う。魔物を払うが勇者の為すべきであれば、人を律するが教会の為すべきであると。


「あの、僕も連れて行ってください! 村の人たちや、緑の人、オッサンが心配なんです」


 少年の言葉に、カーラは肩を竦めて応えた。反対する理由はないが、態々好き好んで争いに身を投じる必要性もない。やはり、人間というものは理解に苦しむ。


「村人はもう大丈夫だが……まぁ、いいか。いいよな、アジード神父?」

「ええ。この先にネギの勇者がいるならば、我々はそれ程争いにも巻き込まれないでしょう」


 なるべく離れないように――安全とは言うものの、村はまだ煙に包まれている。神父は、自身を中心に広がる円柱状の結界、人々を守る奇跡の維持に努めた。






 アレクラはラスパに比べることも憚られる程、田舎である。小麦生産のために日がな一日、農耕に明け暮れるだけの面白みもない村だ。幾ら弓が得意でも、村では農耕の単純労働力の方が歓迎されてしまう。


「……」


 とうに棄てた故郷であるが、滅んでしまえとまで恨んだ覚えはない。白煙に包まれた村に引き摺るように連れられ、アンナは無言で勇者を睨む。逃げ出すつもりはないが、僅かな動きにも首に付けられた鎖がジャラリと音を立てた。


「まだそんな反抗的な目が出来たのか」

「いやいやでも、あんたの傍には永らく居たからね。その煙にも多少の抵抗は身についてるさ」

「まったくお前は……だがいい。これからのことを目にすれば、嫌でも従順になるだろう」


 億劫そうに言葉を吐くマイロへは、ただ機械的に言葉を返していた。先程は村の入り口に居た少年を逃がすために反抗してみせたが、今喚いたところで、男の嗜虐心や支配欲を刺激するだけだとよくわかっている。


 赤が滲む口の端を引き絞り、アンナはそれ以上の言葉を出すことはなかった。片目にかかる前髪のお陰で、嘗ての仲間を直視せずに済む――職業勇者は舐められてはお終いのところはある。だが、それでもたかが一人のオッサンを追ってここまでするマイロなど、彼女は見たくなかった。


 町に居た時はゴロツキの延長線上にしか見えなかったマイロも、今や重(フル)装備だ。顔まで鈍色の金属で囲った男は、五年も前であれば羨望の目を向けられていた筈だ。大型の魔物にも勇猛果敢に挑んだことから、付いた字は“大食らいのマイロ”。食欲が満たされぬのか、ピークを過ぎた勇者は目の前に現れる者は、小物であっても貪欲に口腔へと運びたがる。


(何がいけなかったのかねぇ)


 自問しながら、アンナは輝かしかった頃の彼を顧みる。駆け出し傭兵であった彼女をギルドへ導いてくれた、そんな頼もしい男の姿はやはり思い出せない。少なくとも、自分が憧れた大食らいのマイロは、報復に村丸ごとを標的にするような卑劣な男ではなかった。


「さぁて、行こうか」

「……マイロ」


 馬上から鎖を引く人物へ、女は名を呼んでみせた。顔が顰められているのは、首が締まったからではない。首以外、胸の辺りに覚えるよくわからぬ痛みが、諦めに近いものを持っていた彼女に言葉を紡がせた。


「あんた、いつまでこんなことをするのさ。それで、どうなるのさ?」

「黙れ!」

「――っ」


 声を出した途端、再び鎖が音を立てる。馬の上から放たれた蹴りであるが、女を黙らせるには十分であった。痛みはあったが立ち上がることもせず、女は英雄の座に足を掛けられた筈の男を睨み上げる。


「何だ、何なんだその眼は!」


 英雄であることを放棄したマイロは、鈍色の金属で覆われた足を更に振り上げる。誰も彼の邪魔は出来ない。人の手にすら負えない大型の魔物さえ食らった男のすることだ。止められる人間などは、そうはいない。


「……面倒だ。本当に、面倒だ」


 顔まで鈍色で覆われた男は、やはり億劫そうに言葉を吐いた。


 彼の足、鉄靴には先端の尖った投擲武器がぶつかっていた――棒手裏剣と言われる武器であるが、フルゥエラ大陸ではマイナーなものだ。飛来先を見据え、中年に差し掛かった男は冑の下で瞳を鋭く引き絞った。


「女性を足蹴にする……私には考えられないことですな」


 穏やかながら、怒気の篭った口調が鈍色の勇者へと届けられた。半裸の中年、キョウジは肩当てから更に手裏剣を抜きつつ、牽制してみせる。


「来たか」


 標的が現れた。マイロはそれを受け入れる形でほくそ笑む。


 こうでなければならない。アレクラという田舎くんだりまで来たのだ、こうならなければならない。


「余程、腹に据えかねていたのでしょうな。ですが、それを私ではなく別の人間に向ける……そいつはまぁ、何と言いましょうかな」


 流石に醜悪でしょうよ。割って入った半裸の中年は、そう言い切った。


「醜悪結構。俺は、大食らいのマイロだ! お前ら庶民が届かぬ、夢見て終わる英雄の座に至る男だぞ!」

「……結構。貴方の言い分は理解出来ませぬが、わかり申した。何か言いたいことがあるならば、聞くだけは聞きましょうぞ」


 ネギの勇者、その従者である男は突き出した手、その先にある人差し指を折って相手を挑発する。


「誰が下りるものか」


 にんまりと、マイロは嗤う。安い挑発に乗ることはない。


 同時、拳を握れば用意されていた魔法が猛威を振るった。仮にも、人の身をして魔物を屠れる力を持った人物のすることだ。首を鎖で繋がれた女共々を巻き込む白煙が起こり、オッサンもそれに巻き込まれる。


「ひゃ、は、は、ハハハ、ははっはあはっはは!!」


 眼前の光景に、勇者であった男は嗤いを堪え切れない。


 大食らいの果ては、何も残らなかった――胸中でそう溢す中年に差し掛かった勇者は、青臭いことを言う男を真っ白に染め上げた。己の持つ力を再認しては、ただただ嬉しそうに笑うのみ。


「では、それが貴方の最後の言葉でよろしいか?」

「――――っ!?」


 言葉の他に、大きな拳が煙を割って出る。飛び出したオッサンの一撃に、マイロは馬から転げ落ちた。その拍子に握られた鎖も引かれるが、何かに押さえれては女の首を締め上げることはない。


「あんた……」

「おっと、先日お世話になったお嬢さんでしたか。お話は後で」


 笑顔と共に、鎖に繋がれたアンナへとオッサンは歩み寄る。鎖が握り締められれば、人を思うがままにしようとする者へと睨みを強くしてみせた。


「立てぃ! ラスパで偉そうに言ったのですから、そのようにやってみせてはいかがか?」


 らしくもない、挑発するような言葉をキョウジは出した。視線の先には、因縁をふっかけてきた鈍色の勇者が居る。全身を金属で覆ったマイロは、目元に空いた穴から怒りに燃ゆる瞳を真っ直ぐにオッサンへと向けた。


 この間にも白煙が吐き出されている。「往生際の悪い」キョウジはゆったりと呟きながら歩む。それでもマイロは片膝を突きながら、内側から暴れ来る感情を叩きつけるようにして吐き捨てた。


「気に入らねぇ、気に入らねぇなぁ!」


 不機嫌さを露わに、鈍色の男は叫んだ。歪んだ冑の奥、赤に染まるところを白くした男は憎き中年を睨む。


「……それで、どうするのですかな」

「殺す。お前は、俺を邪魔するお前は、殺す」


 赤黒い感情に揺さぶられるマイロは、揺さぶられるに任せて想いを言葉にした。思えばこの男を滅ぼすために、己の無様さを自覚させる中年を見せしめにするためだけに、今はこの地にあったのだ。


 飢餓感に苛まれる男は、最早何を置いても暴れ切らねば気は収まらぬ。


「かかってくるのならば、よかろう。私の主が到着するまでに、この村は平和にしておきたい……つまらぬことで――否、あなたにとって重大事であろうとも、他人を巻き込む男は、私も主も許さぬでしょうしな」


 タンっと軽やかに地を蹴り、オッサンは拳を振り被る。さながらネギの勇者が見せるような様であり、この一撃が振り切られれば全てが終わる。


 その筈であった。


「……美しく、ありませんな」


 振り抜かれた拳、それが標的に当たる前に中年は身を捻ってまで動作を止めた。吐き捨てられた言葉には嫌悪感が多分に込められている――男たちの間には、首輪に繋がれた女性が身を投げるようにして割って入っていた。


 他者の思考に影響を及ぼす白い煙、それはオッサンではなく、態々ラスパから連れて来ていたアンナが狙いであった。


「おい、おいおいおい、どうしたどうした? さっきまでの余裕は何処へと行った? えぇ!?」


 ゴロツキさながらの剣幕で、鈍色の勇者は捲し立てる。今更ながら、これまで面倒を見てきたアンナには飼い犬に手を噛まれるような想いであった。それすらも、彼女が手にした短剣の行方を目に収めることで許すことが出来る。


 柄が腹元に当たるまで捩じ入れられ、中年は顔を歪めた。ゆらりと立ち上がり、近づくマイロへは奥歯を噛みしめて睨みつける。


 この展開は読めなかった訳ではない。ラスパでのやり取りから、鈍色の勇者が人質を取るだろうことも考えられていた。それ故に安い挑発を繰り返し、相手に手札を切らせようとしていたのだ。これ以上の隠し玉がない限り、マイロに勝ちはない。


「満足か? 仮にも私は最強たるネギの勇者に仕える者。一撃で決着を付けられなかった時点で、あなたの負け――」

「俺の手数を勝手に決めつけてくれるなよ」


 台詞の途中であったが、喉から空気が絞り出されたことによって中断された。


 胸元には刃が差し込まれている。問題は二撃目を受けたことではなかった。


「ああ、そのために私を……」


 高い声で、諦めが出された。マイロとオッサンに挟まれていたアンナ、その肩口を鈍色の金属が貫けば、衝撃から白煙の効果を断ち切っていた。


 前後不覚から戻ると共に、理解せしめる。マイロは初めから、自分諸共このオッサンを斬り殺そうとしていたのだ、と。


「俺を虚仮にするヤツは許さないし、裏切る者も許さない主義だ――だがなアンナ、ここで役に立ったからお前は許してやろうか」


 後はこの剣を引き抜くだけ。致命傷に至らずとも、十分な失血が見込まれる。死に至らずとも、十分な戦闘力低下が見込まれる。


「ここまでで、手打ちにしてくれまいか」


 オッサンは静かに吠えた。敵の剣を握り、引き抜かれないようにすることが精一杯であった。瞳には苦渋の色が浮かんでいるが、それはこの後に出来ることは精々、男へと懇願するくらいのものでしかなかった。


 己の主であれば、もうとっくに殴り飛ばしている筈だ。殴りながら考える――ジオのように振る舞いたいとは思うが、それは人間離れしている。英雄の座に手を掛けられる人間にしか許されない。


(何と、無様な)


 実力ならば、マイロに引けは取らない。だが結果はどうか。眼前でゆったりと目を閉じるアンナを見れば、後悔や申し訳なさが腹の奥底から湧き上がる。


「頼む。幾らでも謝ろう。頭も下げよう……だから、剣はそのままにしてくれまいか。引き抜けば、この女性もただではすまない」

「んー……」


 首を鳴らしながら、鈍色に包まれた男は思案している風を見せつける。一秒にも満たない時間であり、答えは既定路線であるようにさらりと出された。


「嫌だね」


 中年に差し掛かった割りに、無邪気な子どもかと錯覚すら引き起こす。実に楽しそうにして、剣は引き抜かれた。


「何と、愚かな」


 突き立てられた刃が離れることに痛みがあった。しかし、それ以上に眼前の光景が衝撃的過ぎた。女は赤い花を舞い散らせながら、キョウジに向かい「ごめんなさい」とだけ溢している。


 痛みがあった。人が死ぬかもしれない。なるべく人が死なぬよう、彼は勇者と共に旅をしてきた。一度は死んだ身であれば、いつでも身を投げ出すつもりであった。


 しかしそれは、魔物から人を護るための決意だ。目の前に、進んで人を殺そうとする者がいる――この人の好いオッサンには、まるで理解が出来ない。人が人を殺す、そのことは理解出来ぬが、わかることはある。


 三度、刃を突き入れようと勇者だった男が剣を構えている姿を捉えた。


「こ、こぉ、この――」


 プツリと頭の何かが切れる感覚があったが、言語化も上手く進まぬ状態ではそれが何かはわからない。わかることはたった一つだ。


 人を殺そうとする者を目の前に、許すことが出来るか否か。魔物との大戦、その凄惨さを目にしてきた男は、進んで人を殺そうとする生き物を許さない。


「この、腐れ外道があぁ!!」


 これまで抑え込んできたものが一挙に溢れ出す。閉じ込められていた加護が暴れ狂う。姪と同じく、瞳は紫に染まった。


『我慢は毒だ。お前が慕う勇者のように、暴れてみるといい』


 嫉妬の神、セルペンティア・ランギスが囁いた。






「ティアさん、ティアさん!」


 馬を走らせるハインドは、驚愕に目を見開いた。半ば強制的に飛び込んでくる視覚情報、これが現実のものであるのか疑いを持ち、魔女へと呼びかける。


 今彼の瞳には、半裸の男が暴れ狂う姿が映し出されていた。剣を素手で叩き折る姿、それは巨大な砂漠蟲(サンド・ワーム)を引き止めたことからして、驚くことではない。


「伯父上め、私にキンジョーの力を使うなと説教を垂れてこれだ」


 紫の瞳の少女は苦々しく呟いた。目には見えずとも、同じ神の恩恵を受けるものとして何が起こっているかは容易に想像出来た。恐らくは自身と同じく、肌に白い紋様を浮かばせて暴れている筈だ。


「紋様……というか、古い文字ですか。あと、あの肌の赤さ、まるでランギス神ですよ」

「そんなに変わっておるのか。ちぃ、私は先に行くぞ!」


 言うが早いか、魔女は魔力を高めてすぐ様飛び出してしまった。


「ちょっ――私はどうすれば」


 手綱を握りながら、吟遊詩人は困惑を露わにする。ネギの勇者は、この見ることしか出来ぬ能力すらも活用してくれた。だが一人になってしまっては、語る相手もおらねば出来ることはない。


 こうしている間にも、鈍色の鎧を着た人物がどんどんと追い詰められて行く。正確に言うならば、既に追い詰められ切った上で更に責め苦を味合わされている。


「これが、あの優しいオッサンのすることか?」


 独り言を溢すしかなく、せめても刻みつける思いでハインドの口が開かれた。


 大食らいのマイロと言えば、以前は名の通った勇者であった。無論、吟遊詩人はその有名人を知らぬ訳はない。傭兵を取りまとめ、北方を中心に活躍する彼の真骨頂は、見た目に似合わぬ器用さにあった。


 へし折られた剣の次に、男は棍を取り出す。携帯を主眼としているため、殺傷力は低いが頑丈さがある――しかし赤肌の男は全力で振り切られたそれを躱すことすらしなかった。額にぶち当たるが、武器の方が音を上げて中腹から折れ曲がる。


「まるで、鬼じゃないか……」


 流石はネギの勇者に従う者と評してよいのか、複雑な心境にもなる。レティア闘技場でジオが見せたものと動きがよく似ている。


 攻撃を受け、お返しに一撃を放つと鈍色の鎧が盛大にへこんだ――まだ距離が離れているにも関わらず、ハインドの耳には音が伝わってくるようだ。


 白い煙が噴き出される。吟遊詩人は魔法すら放つマイロの技量へ、感嘆の言葉も贈りたい程であった。が、ケイマラード神より授かった眺望の瞳は、白色が起こす状態異常が見て取れる。


 元来は沈黙や混乱といった異常を届けるものであっただろう。それが今や、邪神の加護により全て狂人化の状態変化に読み替えられていた。


「一方的じゃないか」


 いっそのこと、瞳を閉じてしまいたくもなる。種々の武器を取り出して抵抗するものの、それらはまるで赤肌の男には効果が認められない。諦め悪く白色をぶつける程に、鬼は益々狂人化を果たし、力を倍加させた。


 近接戦闘にも関わらず、構えられたボーガンが叩き潰された。そのついでのようにして、膝にあてがっていた鎧が砕かれる――へたり込んだ男は手を振り、止めるように懇願しているが、狂人化した相手には無意味。


 ただ手が振られるに留まるが、それも本人の意思に依るかはハインドには判別出来なかった。ゆっくりと繰り返し拳が叩きつけられる度に、マイロの手が跳ね上がる。


「ティアさん、間に合え……」


 祈りが通じたか、高く振り上げられた拳は止まる。魔女が何の工夫もなく、魔力を放出して伯父の背中へ直撃させていた。


「伯父上、その辺にしやれ」


 距離が詰まってきたことで、魔女の声が届いた。彼女もまた衣服から覗く肌の部分に白い文字を浮かび上がらせている。


 狂人化した人間相手であるが、魔法的措置でも備えたか。ティアは止めるように説得を始めた。


「ダメだ。こいつは、ここで殺す」

「何を言うておるか……そんなことより、手を下ろせ。回復魔法を唱えながらじゃと、伯父上を止められる程の魔法は出せん」


 馬を止め、ハインドは倒れている女へと駆け寄る。ネギの勇者を放っておくことには気が引けるが、剣を受けた彼女の方を何とかせねばならないとの判断だ。ティアが語ったとおり、緑色の魔法が傷を塞ぎにかかっているが、砂漠蟲との闘いでの消耗もあり快癒させるには至っていない。


「いいから引け! そんなことをしてどうなる?」

「それはこの先にわかること。こんなヤツを生かしておく方が、世のためにならん」

「えぇい、結局狂人化が強く作用しとるか……このままでは母の二の舞ぞ」


 言語を操っていたとしても、感情に赴くまま語られている。平素の話し方が失われていることから、魔女は判断するしかない。


 判断と言えば、大きなものはこの後に控えている。生半可な魔法では伯父は止まらないし、消耗し切っているこの状況を考えれば、一度引く方が賢明であった。ぴくぴくと震える鈍色の男、あれを生け贄に時間を稼ぐことすら魔女は考慮を始めていた。


「終わりか? なら、黙って見ていろフラティラリア」


 赤肌の鬼は、冷静過ぎる程に言葉を紡ぐ。狂人化とはいうが、その精神の状態変化は個々人によって差が見られる――尤も、キョウジの場合はランギス神の加護による強化と罰則を同時受け、人格変化とも呼ぶべき現象が生じていた。


 悪鬼は憎めども、人を護る。その優しさを反転させれば、人を護るために悪鬼となるのか。


「わかった。黙っておろう」

「ティアさん!」


 魔女があっさりと言葉を出したことに、ハインドは驚きを隠せない。何が出来る訳でもなかったが、おろおろと視線を右往左往させるに留まる――動揺のため、ティアの視線が彼の背後に向けられていたことには気づけなかった。


「私が黙っておっても、止めてくれるやつがおるからな」


 地に降りた魔女は鼻を鳴らし、それ以上は伯父を見ることもなかった。魔力が目減りした状態で、二人を同時進行で回復させるとなると、そんなことには構っていられない。黙っていたところで、煩い吟遊詩人が事細かく状況を教えてくれるのだから、そもそも見る必要はなかった。


「ジーオ、立ち上がって大丈夫なのですか!?」


 背後からのっそりと現れた人物へ声をかける。引き摺るように歩く勇者の表情を吟遊詩人の青年は窺うことが出来なかったが、代わりに緑色の少年は手を振って応えていた。


「加護も意識があってこそ。バーンとキツい一発お見舞いしてやるのじゃ」


 魔女はただ信じて、幼馴染を送り出した。彼女が持つ魔法ではすぐ結果を出すことは出来ない。同じ神の信奉者が相手では抵抗力が邪魔をしてくれる。


「ジオ様のお手を煩わせることではない」

「うるせぇよ。なら俺の手を焼かせないよう、とっとと戻ってこい――鬼の姿は俺のお株だ。優しいオッサンには似合わねぇから」


 言葉の端々から、少年のイラつきが滲み出ていた。淡々と語る従者に、いつも以上に饒舌になって毒を吐く。砂漠蟲を相手にした後とあって、ネギの勇者は瞼を半分程落としている。


 寝ていたいが、どうにもそれを従者がさせてくれない。イラついていることは重々承知しているが、勇者としての手本が父であるならば、人間としての手本はオッサンなのだ。その彼が人を殺すところなど、見たくもない。


「人を殺してはなりませんぞ、だろ? 俺に説いたあんたがそうして、どうなる」

「だからです。貴方は人間側の勇者でないといけない。殺しは私がする」

「ブチ切れてんなぁ……」


 今の状態で話すことは無駄と悟り、少年は吐き捨てるようにして会話を打ち切った。鎧を形成しようとすれば出来たが、敢えて無手のままの右を引き絞る。ジオとしては、出来ることならばこの辺りでオッサンに目を覚まして欲しかった。


「邪魔をするなら、容赦はしません」


 勇者がする相似形のように、オッサンも拳を固めて放つ準備を行う。狂人化の影響は強く、ここ三か月の間、主から逃げ回っていた理由に彼は直面させられていた――意識下では押さえ込んでいた感情だ。主人には誰よりも強くあって欲しい、だが己も強くありたい――決して言葉にはしないが、少年とは肩を並べられる己でありたかった。


 歪んだ形ではあるが主との真に力比べをする、その願望が叶うに際し、男の身体は爆ぜるようにして地を飛び立った。


「飛び出した! 進行方向は一直線であるが、身体が捻られている!」


 実況よろしく、ハインドは疲れ切ったネギの勇者へ言葉を届ける。実際には、この音が到着する頃には決着していた。だが、後ろで誰かが見守ってくれている、そのことだけでジオという少年勇者は最後の一絞りまで戦い抜くことが出来る。


「あ、赤鬼の拳が、ジーオの額に……何故です、何故反撃しなかった!」


 ゴッ――硬い物を殴りつけた音が響けば、吟遊詩人は疑念の声を上げた。右の腕を引いたまま、ネギの勇者は赤い拳をまともに喰らう。


「青い。青過ぎますぞ、ジオ様」

「そりゃそうだ。俺はネギの勇者、これが俺の闘い方だ」


 じゃあ、反撃行くぞ? 断りを入れ、引き絞った腕が放たれる。眠たげな瞳が見開かれれば、割れた額からは血液が流れ出して涙の如く眦を濡らした。怒っているような、泣いているような表情をして、少年の拳は家族の胸を打った。


 大した音もなく拳が肌に触れる、それだけで終わる。既に力の残っていないジオは膝から崩れ始め――従者に受け止められた。


「何故、全力で来なかったのですかな……私が人を殺さないと、そこまで信じておいでで?」


 いつの間にか肌の色は戻り、紋様も消えている。口調もいつもの調子であるが、声が震えることは止められない。


「いや? オッサンを信じているが、そういうことじゃない。あんたにとって、俺を裏切るってのが一番とは言わなくとも、相当に辛いもんだろ? だから、態と打たせた」

「それはもう、青いを通り越してバカですぞ! 私が人を殺したところで――――」

「オッサンの帰りを待ってるのは、俺だけじゃない」


 人を殺してはならない。それはその通りだ。だが、勇者にだけその規則を当てはめようとする男へ、ジオは怒りが湧いていた。優しいのは結構なことだが、自身のことを考えろと言う。


「こっちは三か月の間、毎日毎日神経質なギルド受付嬢の憂い顔を見せられてるんだ。主人を想うなら、とっととあの姉ちゃんを笑顔にしてやれよ」

「む――」

「オッサンはグリデルタのことで俺を笑ってたが、そんな場合じゃないぞ? ずっと待ってます……彼女の伝言、確かに伝えたからな」


 三十を目前にした女が言うと、重みが違うな――そこまで言ってやろうとしたジオであったが、気力も底を尽きて意識は途切れた。


「いや、私はその伝言を貰ってどうすればよいのですかな」


 問い掛けるも、既に主人は深い眠りに落ちている。揺さぶって起こしたい程の葛藤を中年は得ていたが、少年の身体が浮かされたことで水が入った。


「はぁ……こんな時でも別の女の名前を出すか。私は何でこんなバカを好いてしまったんじゃろうか」


 やれやれと首を振りながら、ティアは地面に倒れた人々を魔法で運ぶ。


「いいじゃないですか。勇者バカではないジーオはジーオではありません。私、決めました。彼の武勇伝を語り継いでいきます」

「あー、好きにせぇ。もう、私の周りはバカばっかじゃな」


 一度堪えた溜め息を溢しつつ、白煙の晴れた村へと向かう。湯治どころではないか――そのようにも思ってみるも、やり切って眠る少年の顔見ればティアはこっそりと残金を数え始めていた。




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