廃坑の外で役に立ち、ブリキは黒鉄になる
三人組が封筒を掲げて坑道から飛び出してきたのは、夕焼けがちょうど石室の入口に落ちる時刻だった。
「受かった!」
栞の声が、山じゅうの鳥を飛び立たせた。
封筒の中には、C級救助資格の合格証が三枚。外部の協会が出す試験で、迷宮の外、つまり山や川や廃屋でも使える資格だ。航は封筒を握りしめて、赤くなった耳を隠すように帽子を深くかぶった。帽子のつばが、入口の梁に当たった。梁の下では、いつも少し屈む。この三人は三日と空けずに通っているのに、まだ屈む癖が抜けない。
「俺たち、迷宮に通ってるだけじゃ、足りないと思って。外でも役に立つ技を持ちたかったんです」
ロッジの食卓で、栞が試験の話を始めた。話が長い。要点は、模擬要救助者を演じた試験官が、足を挟まれた登山者を本気で演じていた、というところにある。
「俺が一番先に着いたんだ」と航が口を挟んだ。「でも、助けられなかった」
「は?」
「助けようとして、足を引いた。そしたら悲鳴が上がった。試験官は演技じゃなく、ほんとに痛がってた」
栞が顔をしかめた。
「あれは減点だと思ったよ」
「うん。でも俺、そこでやめた。引くのをやめて、しゃがんで、顔を見て、待った。十五分」
「その間にわたしと匡で、救護の準備をして」
「で、合格した」
「試験官がね」と、航は照れくさそうに続けた。「帰りに言ってくれたんです。『君は待てる人だな』って」
食卓が静まった。匡がスプーンを置いた。
「アインの礼が長いのも、同じことだろ」と、俺は言った。
「え?」
「進める奴は、探索者の中にいくらでもいる。止まって待てる奴が、いない」
航がスープの皿に顔を埋めた。耳の赤さは隠れていない。
*
夜、ロッジの外で核の表示を確かめた。
《自由に使える建築ポイント:一万二千》
予約は二週間先まで埋まりかけている。テスターが毎日回す試運転が、静かに積み上がっていた。
「詰めないんですか」
雫が隣に来て、訊いた。
「何を」
「予約です。もっと入れれば、ポイントが増えます。でも昨日から、空き枠を減らしてますよね」
見抜かれている。俺は、坑道の入口に立つ小さな影を指さした。
アインは今夜も、警備に立っていた。盾を胸に当てて微動だにしない。錆びた関節が、風でわずかに軋んだ。
「毎日、四組と戦ってる。三十センチの体で。盾の凹みが、前より少し深くなった」
「進化、ですか」
「一万かかる。でも、そのための記録は揃った」
「記録」
「三人組が崩し方を見せてくれた。足音の周期も、盾の下縁も。あれをアインが覚えるには、小さい体じゃ入らない」
「雫の指摘もある」と付け足した。「音で探されたら足音を消す動きが必要だと、アインに気づかせたのは、あの日の雫だ」
雫は何も言わなかった。夜風が髪を揺らし、耳の先が赤くなった。
俺は気づかないふりをして、図面を広げた。
坑道の奥にある記録室へ降りる、七段の石段が、図面の隅に描いてある。手すりの金具だけ、先に打ってあった。右脚が逃げ腰になるせいで、毎日あの金具を握って降りていた。
*
進化の夜は、満月だった。
躯体は、四日かけて仕上げた。黒鉄の骨組みに、背丈百八十センチに合わせた関節。魔導鍛冶の設備はまだ貧しく、源蔵は炉の火を三度落とし、そのたびに「鉄がまだ話を聞いてくれん」と文句を言った。手のひらは火傷だらけで、それでも最後の肩甲を打ち終えたとき、老人は何も言わずに煙草に火を点けた。
石室の中央に立つのは、俺とアインだけだ。雫は帰還座の横、源蔵は壁際、三人組は入口で息を殺している。核の表示が、静かに点滅した。
《アインを進化させますか。必要:応答記録、躯体、一万。第一の対応:重装剣士》
「アイン」
小さな兵隊が、俺を見上げた。錆びた首がきしりと鳴る。
「怖いか」
首が横に振られた。
「俺はな、ちょっと怖い。大きくなったら、足音が変わるだろ。三十センチのお前の足音に、俺はまだ慣れてない」
自分でも変な告白だと思った。けれど嘘ではなかった。かたん、かたん、と半歩ずつ石室を歩いてくる音は、この数週間の、俺の朝のはじまりだった。
アインは盾を胸に当て、深く、長く、頭を下げた。いつもより長い礼だった。
「……承認する」
光が爆ぜた。
白でも青でもない、鈍く光る鉄の色が、石室の隅々まで走った。小さな体が光の柱に溶けて、錆が剥がれ、鉄粉が雪のように舞い、ブリキの輪郭が膨らみ、伸び、重くなっていく。床が、ずしん、と沈んだ。
光が収まったとき、そこに立っていたのは、俺より頭一つ高い黒鉄の騎士だった。
漆黒の重鎧。肩幅は広く、胸は厚く、背に大剣。兜の奥で双眸だけが青く灯っている。
左手の大盾は、体の半分を隠すほどの大きさだった。その中央に、錆びた缶の蓋が、そのまま嵌め込まれていた。
凹みのある、あの盾だ。
「お前……」
喉が詰まった。
アインは片膝を床につき、胸の盾に拳を当て、頭を垂れた。主に捧げる礼だった。
後ろで航が洟をすすり、栞が「うそ、でか」と呟き、源蔵が煙草の灰を落とした。
アインが一歩、こちらへ歩いてきた。ずしん、ずしん、ずしん、ずしん、ずしん。六歩目だけ、半拍遅れた。雫が小さく、あ、と声を漏らした。
*
静けさのあと、足が軽いことに気づいた。
石室の床を踏んだ右足から、痺れが消えかけている。補助具を外して三日目。雫の決めた二十分の稽古を、この数週間欠かさなかった。核との同期が、足の回路に流れる魔力をなだらかに整えはじめていたのだ。
七段の石段の前に立った。手すりは、まだ付けていない。
雫が息を止めたのが分かった。
一段、降りた。足の裏を全部使って。二段、三段。
金具には、手を伸ばさなかった。
七段目に足が着いた。膝は震えず、足の裏も逃げなかった。
「……降りれた」
自分の声が、他人のもののようだった。
「降りれましたね」
雫の声が、少し潤んでいた。
*
翌朝、新しい体の取り決めをした。
初期の姿が消えたわけではない。ブリキの兵隊の記録を元に、低出力の「訓練像」を作って、第一層の入口に置く。初心者がいつでも、最初の勝負を楽しめるように。黒鉄の騎士は、これから、もっと深い階層で、本気の挑戦者を迎える。
「小さいのも、好きだったな」
雫がそう言って、入口の訓練像の頭を撫でた。三十センチのブリキの兵隊は、無言で礼をした。人格のない練習用だ。本物のアインとは別物だと、ちゃんと分かっている撫で方だった。
その背後で、本物のアインが身をかがめて雫に礼をした。目線が、俺の胸の高さまで降りてくる。
そして、立ち上がろうとして、坑道の入口の鴨居に兜をぶつけた。
ごん。
梁が軽く鳴った。航が毎日屈んでいる、あの梁だった。
アインは動きを止めた。石室の全員が、一瞬、息を止めた。
「……天井、上げるか」
俺がそう言うと、源蔵が真顔で頷いた。
「梁は上げられん。お前が屈めばいい」
アインは屈んだ。兜の奥の青い目が、少しだけ逸れた。
航が小声で言った。
「屈むの、慣れると楽ですよ」
アインの兜が、航のほうへ、ゆっくり傾いた。
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