初めて、一般の客に破られた日
二十四時間後、三人は同じ時刻に、同じ入口に立っていた。
昨日と違うのは顔だった。眠れなかった顔をしている。目の下に隈があるのに、目だけが冴えていた。
「昨日の記録、見直してきたの」と、栞が言った。「四時間かかった」
「徹夜か」
「寝た! ちゃんと寝たよ! 三時間!」
雫が黙って、三人分の水筒を差し出した。栞は両手で受け取って、ごくごく飲んで、むせた。
「急ぐな。時間は十分ある」
「急いでない! 喉が、先に走っただけ!」
航が栞の背中をさすり、匡が「その言い訳は初めて聞いた」と小声で言った。
俺は三人の装備を順に見た。航の大盾。匡の鈴。栞の槍が、昨日と違った。穂先を後ろに、石突きを前にして、肩に担いでいる。
「槍、逆じゃないか」
「持ち替えただけ」
栞はそれ以上言わなかった。測量屋の目が、俺の足元から天井までを一度撫でた。何かを数えている目だった。
公示は昨日と同じ。課題、時間、入場者。変更なしと確認して、俺は区画の外に立った。
昨日と同じ形で来るなら、結果も同じになる。先頭の航が壁を擦り、栞の視界が潰れ、匡の鈴が回廊で濁る。その三つの穴は、塞がれていない。塞がれていないはずだ。
「開始」
三人は、入るなり立ち止まった。
動かない。昨日は我先に突っ込んだのに、今日は横一列にもならず、縦に詰めて、入口の石畳でじっと風鳴りを聞いている。
航が盾の下端を床に立てた。ずん、と重い音が響く。栞が槍の石突きで壁をこつこつ叩く。匡が鈴を小さく鳴らす。
三つの音が、重なった。
「……おい」
思わず声が出た。
「聞こえました? 創真さん」と、雫が横で囁く。「音を、揃えてます」
揃った音は、回廊の壁を伝って奥まで届いた。奥で待っていたアインの足音が、止まった。
*
そこからの十分は、俺の人生でいちばん、見ていて楽しい十分だった。
航は盾を斜めに構えて、壁に擦らないぎりぎりを進んだ。昨日の擦過音が、今日は出ない。盾の縁に布が巻いてある。その陰に栞が入り、壁の光印を目で追って、声を出さずに指で方向を伝える。後ろの匡は、鈴を一定の拍で鳴らしていた。
「いち、に、さん、し、ご」
数えている。声は小さい。回廊の壁が鳴らないぎりぎりの大きさだった。
三つ目の角で、アインが姿を現した。半歩、半歩。針金が、航の脛を狙う。
「来る、ご!」
匡が叫ぶのと同時に、航の盾が脛の前に落ちた。針金が盾を叩く。重い手応えがあって、航の足が床に半分めり込んだ。
「受けた!」
「もう一回、来ます。いち、に」
アインの針金が、次は逆の脚を狙った。航が受ける。その肩越しに栞が槍を突き出したが、アインはそれを読んで盾を傾け、穂先を滑らせた。
アインの足音が、六歩目で、ひとつ遅れた。
「今、遅れた!」
栞の目が光った。
「五歩に一度。数えて、匡!」
「いち、に、さん、し——ご!」
数えていたのは匡だった。鈴を鳴らす手を止めずに、耳だけでアインの足音を拾っている。昨日、壁で濁って誰にも届かなかった鈴が、今日は三人の拍子木になっていた。
遅れる半拍に合わせて、航が盾を押し出す。アインの針金が盾の表で止まった。その一瞬の停止で、アインの体がわずかに浮く。
栞が槍を引いた。穂先ではなく、石突きを返す。
「だから、拍だよ」
柄の根元が、アインの盾の下縁を、こつんと叩いた。
《課題達成を確認》
風が止まった。
石室の中で、誰も動かなかった。三人は息を止めたまま、足元の小さな兵隊を見つめていた。アインは盾を下げて一歩下がり、頭を下げた。昨日よりずっと長い礼だった。
航の目が赤かった。
「やった……」
「やった、のか」
「やったんだよ!」
栞が槍を放り出して航の首に飛びつき、匡は鈴を握ったまま、その場にしゃがみ込んだ。雫が指で目尻を拭った。
俺は、喉の奥が焼けるように熱かった。
*
少し遅れて、気づいた。
あの勝ち方は、俺の想定にはなかった。
足音の周期を崩す表は、俺が組んだ。幅は公示してある。周期までは書いていない。三人は昨日の記録から揺らぎを拾い、役割を割り振って、石突きの一打に変えた。昨日突っ込んで負けた順番を、そのまま部品にして。
一瞬、口が動きかけた。
「それは、想定していた攻略の順序じゃ」
飲み込んだ。
公示に順序は書いていない。禁止も書いていない。書いたのは、盾に一度、攻撃を当てる、それだけだ。
紙を取り上げて、全文を声に出して読んだ。それから三人に向かって言った。
「条件を満たしている。正式な勝利だ。おめでとう」
栞が泣き笑いをして、航が背中をばんばん叩かれた。
そのとき、足元で小さな音がした。
アインが、盾を床に置いていた。三十センチの騎士が、盾を置いたまま、俯いて立っている。叱られた子供みたいに、動かない。
俺は膝をついた。
「アイン」
兜の下の片目が動いた。
「負けてない。お前は昨日より強かった。三人が、昨日より強くなっただけだ」
針金を拾って、アインの手に握らせた。
「お前の稽古は終わらない。今日の負けは、明日の稽古だ。どうして負けたか、俺と一緒に考えよう」
アインはしばらく動かなかった。それから盾を拾い、胸に当て、勝者に向かって深く頭を下げた。三人は慌てて頭を下げ返し、航が一番深かった。
「あの、ずるくなかった?」
帰り際、栞がおそるおそる訊いた。
「何が」
「五歩の周期を見つけたの。設計の裏を突いたみたいで」
「ずるくない。見抜かれるように仕込んである」
「じゃあ、次は」
「次は、もっと難しくする」
栞がにやりと笑った。
「それ、待ってる」
「魔石は、昨日と同じ数だぞ」
「えっ」
「勝ったから増える、という規則はない」
「ケチ!」
三人が帰ったあと、アインは入口の石段で、自分の足の裏を見つめていた。
俺はその隣に座って、同じように自分の足を見た。補助具の継ぎ目が、少し擦れている。
雫が背後から、湯呑みを二つ持ってきて、石段の端に置いた。
「アインさん、悔しそうでした」
「悔しいのか」
「悔しいから、足の裏を見るんです」
そこで言葉を切って、雫はもう一つ湯呑みを置いた。三つ目だった。置いてから、数が合わないことに気づいたらしく、自分で取って、啜った。
「アインさんの分は、ないですよね」
アインの兜が、ほんの少しだけ傾いた。
三つ目の湯呑みは、騎士の足元に置かれたまま、手をつけられずに冷めていった。




