第一種・民間試練迷宮
認定書は、拍子抜けするほど薄かった。
A4が一枚。上に迷宮庁の紋章、下に響子の署名。真ん中に、大きな活字が一行。
『第一種・民間試練迷宮として、黒神山試練迷宮の運営を認める』
その下に、小さな文字で条件が十七行並んでいる。期間は一年、更新制。四半期ごとの第三者監査。避難訓練の定期実施。
「ただし」
響子が、眼鏡の位置を直した。
「抜き打ち監査を、月に一度、行います。毎月、違う日にわたしが来ます。不備があれば、止めます」
「事前連絡は」
「しません」
雫が小さく「うわ」と言い、源蔵は黙って釘を二本、口にくわえた。
「せめて前日に」
「前日に連絡をしたら、前日に直します」
「直してはいけないんですか」
「直した跡が見たいのではありません。普段が見たいのです」
反論できなかった。響子が一歩、近づいた。黒い缶コーヒーの匂いがした。
「あなたは、作っている最中の人間の顔をしています。そういう人は、完成した後に、自分の作ったものを疑えなくなる。わたしが月に一度来るのは、あなたを疑うためです」
「……ありがたい、です」
「ありがたくなくていいです。嫌ってください」
「嫌いませんよ」
響子は一瞬、目を瞬かせた。それから、咳払いをひとつして、認定書を俺に押しつけた。
「嫌わない人は、扱いに困ります」
そう言い残して、彼女は小屋を出た。
*
源蔵が、無言で認定書を取り上げた。
受付小屋の壁、入口の真正面。金槌で四本の釘を打ち、紙を引っ掛けて、剥がれないよう上から薄板を一枚、斜めに当てた。額縁はない。
「額縁、買いますよ」
「要らねえ。直せない物は、飾るな」
「ぶっきらぼうだな」
「釘は取り替えられる。額は割れたら終わりだ」
雫が、壁の認定書を見上げて言った。
「毎朝見えますね」
「ああ」
「ところで、予約の受付は何時からですか」
そうだった。
*
その夜九時、予約の受付が始まった。
人数は一日四組。一組四名まで。初回は先着で受け付ける。
雫がモニターを睨んでいた。
「創真さん。受付、始まって三分です」
「どうだ」
「予約サイトが、落ちました」
「は」
画面には、白い背景に「アクセスが集中しています」の文字。更新ボタンを押しても、三十秒おきに同じ表示が返ってくる。
「待て、設備増強は」
「してません」
「予約の枠は、三十日分で百二十組だぞ」
「あっという間に埋まったみたいです。……いえ、まだ入れてない人のほうが多いです」
俺と雫は顔を見合わせた。それから、同時に吹き出した。
笑い声は小屋の壁を抜けて、夜の山に散った。源蔵が、外から木戸を叩いた。
「うるせえ、寝かせろ」
「すみません!」
二人同時に謝った。声が、重なった。
*
翌朝、探索者協会の掲示板が燃えていた。
黒神山の映像が、三万回、五万回と再生されている。切り抜かれたのは、三分間の最後の十二秒だった。アインが最後の一人の前に立ち、剣の腹で刃を静かに落とし、深く礼をする場面。
コメントが、画面の端から端へ流れていた。
『この礼、やばい』
『副隊長の人、最後ちょっと笑ってない?』
『床の線、公示されてたよね。誰か読んだ?』
『盾の割れ目の位置、毎回同じなんだが。誰か検証して』
『鐘が三種類ある。低い音は退避、高い音は開始、短い二連は危険。ここは本当に、聞いてほしい』
『次の予約、いつ? 作戦立てたい』
「検証班が、もう立ってます」
「早いな」
「しかも、正しい」
雫が指さした画面の一つに、手書きの図が貼られていた。聖堂の床の線を写した絵に、矢印がいくつも引かれている。誰かが公示を読み込んで、反動の流れを自分で図にしたのだ。
矢印は二十本。公示と食い違うのは、一本だけだった。線の引き方は的確で、その一本は、俺が最後まで迷った分岐点だった。
間違っているのに、その間違いのほうが、面白い。
「これを、残しておこう」
「残す、ですか」
「攻略の仮説は、客の財産だ。正解より先に出た間違いは、後で見るともっと貴重になる」
雫が手帳の端に、小さく「仮説メモ」と書き込んだ。
*
昼前、受付小屋の電話が鳴った。
雫が受話器を取り、五秒後に、受話口を手で覆って俺に目を向けた。
「創真さん、お客様の電話です。……天嶺ギルドの、広報の方だそうです。『先日の件について、広報としてお詫びを』と」
受話器を受け取って、耳に当てた。
『夜久さん、このたびは弊社の者が、大変な——』
「謝罪は、迷宮庁を通してください」
『いえ、あの、その、個人的にも』
「個人宛なら、受け取りません」
『……あの、せめて、氷室の私物の件で。黒神山の関係者席に、置き忘れた物があります。ご返却を』
見ると、観客席の前列の床に、革の手帳が一冊落ちていた。拾い上げると、中に、几帳面な字で予定が並んでいた。
査定の日の欄には、赤い丸で囲んだ一行。『黒神山、昼過ぎ。杭、事前に隠匿。A級に任せず自分で』
読んでしまった。すぐに閉じた。
「橘さんに渡します」
『え?』
「証拠品の可能性があります。広報の方にお返しはできません」
受話器を置いたら、雫がちょうど麦茶を二杯、盆に載せて持ってきたところだった。
「お疲れさまです」
「ああ。……雫」
「はい」
「予約が、ひとつ入っている」
画面の隅に、一通の予約メールが点滅していた。
『桐生玲 個人予約 来週火曜午前』
雫が、麦茶を取り落としかけた。
「もう!? 早すぎます」
「約束した」
「約束は、守る人なんですね、あの人」
その下に、もう一通。
『天野カナタCh マネージャーより。取材および挑戦のご相談』
「……来ましたね」
「来たな」
雫の目が輝いた。俺は、メールを開く前に、一度だけ深呼吸をした。
予約金の扱いだけは、昨夜のうちに決めてある。預かり金だ。利益に入れない。枠は増やさない。審査前に動かしすぎると、監査が止まる。
だから、今は舞い上がっていい。
雫と、同時に、頷いた。
そのとき、受付の戸が叩かれた。
響子だった。抜き打ちには、まだ早い。
「手帳を、受け取りに来ました。広報の方から、先に連絡が入っています」
「どうして、早い」
「抜き打ちというのは、こういうことです」
彼女は手帳を受け取り、壁の認定書に一瞥をくれた。釘の位置が、わずかに曲がっている。
「釘が斜めです」
「源蔵さんです」
「直させてください」
「額縁、いらないそうです」
響子は何か言いかけて、やめた。帰り際に釘を指で弾いたが、釘は曲がったまま動かなかった。




