第50章 挑戦
発表当日。
会場には、物理学、気象学、天文学など、さまざまな分野の研究者が集まっていた。
前方のスクリーンでは、ひとつ前の発表が続いている。
真司は後方の席で、手元の資料に目を落としていた。
大学で講義をすることには慣れている。
だが、今日は違う。
周囲にいるのは、それぞれの分野で研究を続けてきた人間ばかりだ。
その中で、真司の専門だけが少し離れている。
哲学。
「緊張してます?」
隣から小さな声がした。
舞だった。
「……してないように見える?」
「全然」
「じゃあ、そういうことにしとこう」
舞が少し笑った。
前の発表が終わる。
拍手が収まると、司会者が次の資料へ目を落とした。
「続いて、日和大学非常勤講師、間宮真司さん」
真司は顔を上げた。
「発表題目は――『認識と並行世界線に関する一考察』。専門は哲学です」
会場の何人かが、手元のプログラムへ目を落とした。
「発表時間は十分、質疑応答は五分です。それでは、お願いします」
真司は立ち上がった。
壇上に立つ。
真司は一度だけ息を吐いた。
「間宮真司です。よろしくお願いします」
軽く頭を下げる。
最初の資料を表示した。
スクリーンに、三つの言葉が並ぶ。
――雷光現象。
――航空機消失。
――月蝕時に観測された、もう一つの月。
「今日は、この三つの現象から始めたいと思います」
真司は会場へ目を向けた。
「一見すると、まったく別の現象です」
画面を切り替える。
「ですが、一つ、共通していることがあります」
少し間を置いた。
「あるはずの痕跡が、ありません」
雷光現象の観測記録を表示する。
「雷光現象では、衛星から瞬間的な高熱が確認されています」
発生地点と、その周辺の観測結果。
「ですが、現象が消えたあと、その熱による痕跡は周囲に残っていない」
次に、航空機の航路を表示する。
「航空機は飛行中、レーダーから突然消失しました」
航路は途中で途切れている。
「墜落したのであれば、機体や破片など、何らかの痕跡が残るはずです」
一拍置く。
「ですが、現在まで発見されていません」
画面を切り替える。
月蝕時に観測された月が映し出された。
「そして、月蝕の際に起きた現象です」
本来の月。
その近くに現れた、もう一つの月。
「一時的に、月が二つ観測された」
会場の視線がスクリーンへ集まる。
「ですが、もう一つの月は、その後消えています」
真司は三つの現象を、もう一度同じ画面に並べた。
「熱が観測されたのに、痕跡がない」
「航空機が消えたのに、その先がない」
「存在しないはずの月が現れ、消えた」
会場は静かだった。
「もちろん、これだけで三つの現象に同じ原因があるとは言えません」
真司は続ける。
「雷光現象には、まだ分かっていない自然現象があるのかもしれない」
「航空機は、まだ発見されていないだけかもしれない」
「月の現象も、観測上の問題だった可能性があります」
画面に、一つの言葉が現れる。
――仮説。
「原因が分からない以上、考えられる仮説を立てて、一つずつ確かめていくしかありません」
「違うものを、一つずつ消していく」
画面を切り替える。
――並行世界線。
「その仮説の一つとして、僕が考えたのが、並行する別の世界の存在です」
何人かが顔を上げた。
「僕たちの世界とは別の世界が存在していると仮定します」
次の画面には、二本の線が並んでいた。
「それが遠く離れた別の宇宙ではなく、僕たちには普段認識できないだけで、同じ場所に存在しているとしたら」
二本の線の一部が重なる。
「そして、何らかの条件で一時的に干渉する」
真司は重なった部分を示した。
「そう仮定すれば、こちらには存在しないものが、一時的に現れることを考えることができます」
もう一方の線へ目を移す。
「逆に、こちらに存在していたものが、痕跡を残さず消えることも」
真司は会場へ目を戻した。
「ただし、これは説明ではありません」
一拍置く。
「仮説です」
画面を切り替える。
――認識。
「ここからが、僕の専門に近い話になります」
「僕たちは、存在するものすべてを認識できているわけではありません」
見えないもの。
聞こえないもの。
直接触れることのできないもの。
「ですが、認識できないことと、存在しないことは同じではない」
スクリーンに、一文が表示された。
――人間が認識できるものだけが、存在するもののすべてなのだろうか。
「僕は、違うと思っています」
真司は会場を見渡した。
「だから、今は認識できていないものについても、仮説を立てることはできる」
三つの現象を、再び表示する。
「雷光現象も、月蝕で起きた現象も、まだ原因は分かっていません」
真司の視線が、航空機の項目で止まった。
「それに、航空機の消失は、人命にも関連しています」
会場が静まる。
「原因が分からないままなら、同じことが再び起きる可能性も否定できません」
真司は会場へ目を戻した。
「だから、考えられる可能性を、確かめる前に消すべきではないと思っています」
最後の画面が表示された。
――並行世界線からの干渉。
「並行する世界が存在すると仮定した場合、これまで個別に起きていると考えられてきた複数の現象を、一つの仮説のもとで検証することができます」
少し間を置く。
「違うなら、消せばいい」
「でも、確かめる前に消すことはできません」
真司は軽く頭を下げた。
「僕が提示したいのは、その可能性です」
「以上です」
拍手が起こった。
司会者がマイクを取る。
「それでは、質疑に移ります」
一人の研究者が手を挙げた。
「確認ですが」
真司はそちらを見る。
「あなたは、この三つの現象が並行世界との干渉によって起きていると考えている?」
「いえ」
真司は答えた。
「そこまでは言えません」
「では、今の発表は何を示しているんです?」
「可能性です」
「可能性?」
「はい」
真司は頷いた。
「三つの現象が、同じ原因で起きているという証拠もありません」
「それでも、並行世界という仮説を?」
「はい」
「なぜです?」
「まだ、否定できていないからです」
研究者が真司を見る。
「考えられる仮説を立てて、確かめる。違えば消す」
「並行世界も、その一つです」
「検証して、違っていたら?」
「捨てます」
真司は迷わず答えた。
「そのための仮説です」
別の研究者が手を挙げる。
「あなたは哲学が専門ですよね?」
「はい」
「物理学的に検証する方法は持っているんですか?」
「持っていません」
「なら、なぜここで発表を?」
「確かめてもらうためです」
「誰に?」
「僕より、それを確かめる方法を持っている人に」
会場の何人かが顔を上げた。
「正しいと言いたくて、ここに来たわけじゃありません」
真司は続ける。
「僕には検証する方法がない」
一拍置いた。
「だから、ここに来ました」
研究者はしばらく真司を見ていた。
やがて、ゆっくりと座った。
司会者が時計を見る。
「時間です。間宮さん、ありがとうございました」
真司は頭を下げた。
席へ戻る。
「お疲れさま」
舞が小さな声で言った。
「……十分って、短いな」
「話してる方は、そうでしょうね」
「もう少し話せた気がする」
「それくらいでよかったと思いますよ」
真司は椅子に座った。
次の発表が始まる。
スクリーンには、別の研究者の資料が映し出された。
会場の視線も、少しずつそちらへ移っていく。
真司の仮説が認められたわけではない。
並行世界の存在が証明されたわけでもない。
ただ。
何人かは、まだ真司の資料を閉じていなかった。
翌日。
浅田正人は、研究室にひとりでいた。
机の上には、舞が持ってきた真司の研究発表会の資料が置かれている。
浅田は、その資料に目を向けた。
しばらく眺めたあと、小さく息を吐く。
「……歳を取って、臆病になったな」
ひとり呟いた。
浅田は椅子を引き、モニターへ向き直る。
これまで集めてきた観測データを開いた。
画面を見つめる。
「今度は、俺が確かめる」
モニターの光が、浅田の顔を照らしていた。




