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再演  作者: らいと
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第36章 天体

ヴェリタスの打ち上げから、数日が経っていた。


 浅田正人は、研究室のモニターを見つめていた。


 衛星は予定された軌道に入り、機器の確認も順調に進んでいる。


 そして、少しずつ観測データが届き始めていた。


 正人が待っていたデータも、その中にあった。


 約五千五百光年先のブラックホール。


 以前から追い続けてきた天体だった。


 ヴェリタスの観測によって、周囲の高温ガスがこれまでより鮮明に捉えられている。


「…………」


 正人は画像を拡大した。


 ブラックホールの周囲を回りながら、内側へ落ち込んでいくガス。


 これまでの観測でも、その流れは確認されていた。


 だが、ここまで細かく見えたことはない。


 正人は時系列に沿ってデータを送った。


 一枚。


 もう一枚。


 その手が止まった。


「……なんだ、これ」


 一つ前に戻す。


 もう一度進める。


 ブラックホールへ落ち込んでいくガス。


 その一部が、途中からわずかにずれている。


 さらに拡大する。


 一本だったはずの流れが、二つの位置に見えていた。


 正人は解析方法を変えた。


 結果は同じだった。


 別の時間帯のデータも確認する。


 やはり、ずれている。


「分かれてる……?」


 だが、正人はすぐに首を振った。


 単純にガスが二方向へ分かれているようには見えない。


 二つの流れは、あまりにもよく似ていた。


 正人はしばらく画面を見つめた。


 そして、別の観測データを呼び出した。


 約千六百光年先。


 以前、一時的な座標のずれが確認されたブラックホール。


 正人は周囲の高温ガスを拡大した。


「…………」


 時系列に沿って確認していく。


 一枚。


 もう一枚。


 そして――


「……こっちもか」


 ガスの流れが、二つの位置にずれて見えている。


 五千五百光年先とは、ずれ方が違う。


 それでも、現象はよく似ていた。


 正人は二つの観測結果を並べた。


 五千五百光年。


 千六百光年。


 距離も違う。


 周囲の環境も違う。


 それなのに、同じような現象が起きている。


 正人は千六百光年先の過去の観測記録を開いた。


 以前確認された、一時的な座標のずれ。


 現在のデータと見比べる。


「……前から起きてたのか?」


 正人は呟いた。


 まだ分からない。


 同じ現象だと決めるには早い。


 正人は、さらに観測データを調べ始めた。


     *


 しばらくして、正人の手が再び止まった。


 今度はブラックホールではない。


 遠方の銀河団だった。


 銀河と銀河の間には、高温のガスが広がっている。


 ヴェリタスは、そのガスが放つX線も捉えていた。


 正人はデータを順番に確認する。


 広い範囲に、高温ガスが分布している。


 次のデータ。


 変化はない。


 さらに次。


「……ん?」


 正人は画像を戻した。


 見比べる。


 銀河団そのものに、大きな変化はない。


 だが――


 高温ガスが、異常なほど薄い。


「こんなに減るわけないだろ」


 観測値を確認する。


 機器の状態。


 解析条件。


 別の観測データ。


 一つずつ確認していく。


 それでも結果は変わらない。


 正人は時系列を進めた。


 薄い。


 次も。


 そして――


 元に戻った。


「…………」


 正人は前後のデータを並べた。


 異常が起きる前。


 異常が起きている間。


 その後。


 高温ガスの分布は、ほとんど変わっていない。


 ただ、その時間だけ――


 観測される量が極端に少なくなっていた。


 正人は五千五百光年先のブラックホールを表示した。


 続いて、千六百光年先。


 そして銀河団。


 二つの位置にずれて見えるガス。


 一時的に薄くなるガス。


 正人は三つの観測結果を見比べた。


「…………」


 これまで考えてきた原因だけでは、説明がつかない。


 重力。


 磁場。


 観測機器。


 解析上の誤差。


 どれか一つなら、まだ疑えた。


 だが、違う場所で、違う形の異常が起きている。


 正人は椅子にもたれた。


 しばらく画面を見つめる。


 頭に浮かんだのは、かつて正司が話していた仮説だった。


 別の世界。


 正人は小さく息を吐いた。


「……現実味を帯びてきたな、正司さん」


          *


その日の夜。


 真司のもとに、舞からメールが届いた。


 パソコンで開くと、いくつかのファイルが添付されている。


 舞が整理を続けていた、父のノートの残り。


 それに、最近観測された天体異常のデータ。


 メールには短く書かれていた。


 ――正司さんのノート、残っていた分を整理しました。


 ――それと、父から最近の観測データも預かったので、一緒に送ります。


 ――時間があるときに見てみてください。


「…………」


 真司は添付ファイルを開いた。


 図。


 数値。


 観測記録。


 数ページ進んだところで、苦笑した。


「……やっぱり、難しいな」


 専門的な部分までは分からない。


 真司はメールへ戻り、返信を打った。


 ――ありがとうございます。


 ――ちょうど意識についての論文を書いていて、少し行き詰まっていたところです。


 ――専門的な部分は分からないと思いますが、哲学的な視点から見てみます。


 送信した。


 真司は椅子にもたれ、煙草に火をつけた。


 机の上には、冷めた珈琲。


 その横には、何度も書き直している論文がある。


 意識。


 進化。


 方向性。


 進化の結果として、意識が複雑になったのではない。


 意識が複雑になることで、進化が起きたのではないか。


 では、その意識はどこから生まれたのか。


「…………」


 真司は煙を吐いた。


 老化。


 エントロピー。


 物質の変化。


 人間が名前をつける以前から、そうした変化は存在していた。


 真司は以前、自分で書いた文章を読み返した。


 ――意識とは、方向性が複雑化したものではないか。


「……飛びすぎだな」


 消そうとして、手を止めた。


「…………」


 根拠があるわけではない。


 だが、最初から答えが分かっているなら、考える必要もない。


「……仮説なら、いいか」


 真司は、その一文を残した。


 机の上の紙を見る。


 以前書いた言葉が、丸で囲まれている。


 ――物質にも、方向性がある?


 もし、あるとするなら。


 老化にも。


 エントロピーにも。


 物質の変化にも。


 意思があるわけではない。


 それでも、変化には向かう方向がある。


 その方向性が複雑になったものが、意識なのだとしたら。


「…………」


 真司は、舞から送られてきたファイルをもう一度開いた。


 今度は、数値を理解しようとはしなかった。


 父のノート。


 天体の観測記録。


 二つの位置に見える高温ガス。


 一時的に薄くなり、再び元へ戻る高温ガス。


 ある状態から、別の状態へ。


 そして、戻る。


「……これも、方向なのか?」


 真司は首を傾げた。


 違うかもしれない。


 そもそも、同じものとして考えていいのかも分からない。


 真司は論文へ戻った。


 ――意識とは、方向性が複雑化したものではないか。


 その下に、新しい一文を打った。


 ――では、その方向性は、どこから生まれるのか。


 真司は、しばらくその一文を見つめていた。


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