第37章 演算
数日後。
真司は、浅田正人の研究室にいた。
向かいには正人。
隣には舞が座っている。
机の上には、いくつもの資料が広げられていた。
ヴェリタスが観測した二つのブラックホール。
銀河団。
以前確認された天体の座標のずれ。
そして、月の観測画像。
正人はしばらく黙っていた。
「舞から聞いた。正司のノートも見直したそうだな」
「はい」
真司は頷いた。
「ただ、専門的なところは、ほとんど分かりませんでした」
「だろうな」
「そこは否定してくれないんですね」
「事実だろ」
舞が小さく笑った。
真司は机の上の資料を見る。
「なので、別の見方をしてみました」
「別の見方?」
「哲学的に、です」
正人が真司を見る。
「聞こう」
「今、意識についての論文を書いてます」
真司は少し考えた。
「それで、意識の元にあるものについて考えてるんです」
「元?」
「方向性です」
正人は黙って聞いている。
「物質にも、人間が決めたわけじゃない変化の方向がある。それが複雑になったものが、意識なんじゃないかって」
「ずいぶん大きく出たな」
「僕もそう思います」
真司は苦笑した。
「まだ仮説ですけど」
正人が資料へ視線を落とした。
「それと、これがどう繋がる?」
「分かりません」
真司は答えた。
「ただ、舞さんから送ってもらったデータを見ていて、少し気になったんです」
真司は資料の一つを手に取った。
「こっちは、ガスが二つの位置に見える」
五千五百光年先のブラックホール。
続いて、千六百光年先。
「でも、こっちは逆です」
銀河団の観測データを見る。
「あるはずのガスが、一時的に薄くなってる」
「ああ」
「増えたように見えるものと、減ったように見えるものがある」
真司は二つの資料を見比べた。
「それで、父のノートを読み直しました」
舞が整理したデータの中から、一枚を開く。
――別の次元につながっている可能性。
その下には、
――別の世界との関係?
とある。
正人は、その文字を見つめた。
「間宮が最後まで気にしていたものだ」
「浅田さんは、どう思ってたんですか?」
「当時は、証明できない仮説だと思っていた」
「今は?」
正人はすぐには答えなかった。
ヴェリタスの観測結果へ目を向ける。
「……無視はできなくなってきた」
舞が月の画像を表示した。
「だったら、これもですよね」
画面には月面が映っている。
静かの海。
雨の海。
よく知られた地形。
そのほとんどが一致している。
だが、一部のクレーターが違う。
「ほとんど同じなのに、完全には同じじゃない」
真司が言った。
「はい」
舞は別の資料を開いた。
山中で発見された、朽ちた旅客機。
現在も運航している機体と一致した識別情報。
正人が画面を見る。
「同じものが、二つある」
「でも、同じ状態じゃない」
舞が続ける。
真司は月の画像を見る。
「月も……同じように見えて、違う」
三人は黙った。
ブラックホールだけなら、未知の天体現象かもしれない。
月だけなら、まだ観測上の問題を疑える。
だが、旅客機は地上に残っている。
正人は椅子にもたれた。
「……一度、整理し直そう」
「何をですか?」
「全部だ」
正人は机の上の資料を見渡した。
「今までは、それぞれ別の原因がある前提で調べてきた」
そして、正司のノートへ目を向ける。
「今度は逆に考える」
舞が正人を見る。
「逆?」
「間宮の仮説が正しいとしたら――」
正人は一度、言葉を止めた。
「これまでの現象を、どこまで説明できるのか」
「別の世界が存在すると仮定して?」
舞が聞いた。
「ああ」
「お父さん、本気?」
「仮定するだけだ」
正人は淡々と答えた。
「違えば捨てる」
真司が少し笑った。
「哲学と似てますね」
「一緒にするな」
「ひどいな」
舞が笑った。
正人は資料を手に取った。
「まず、条件を整理する」
舞もパソコンを開いた。
「私もやる」
「ああ」
真司は二人を見る。
「僕は?」
正人は少し考えた。
「間宮のノートを読め」
「それだけ?」
「物理の計算を任せるよりいい」
「……それはそうですね」
真司は父のノートを手に取った。
正人は観測データを開く。
舞は、それぞれの現象を時系列に並べ始めた。
二つの位置に見える高温ガス。
一時的な天体のずれ。
朽ちた旅客機。
もう一つの月。
一時的に薄くなった銀河団のガス。
別々の場所で起きていた異常が、初めて一つの机の上に並んだ。
正人は、正司のノートへ目を向けた。
――別の世界との関係?
「……確かめてみるか」
正人が呟いた。




