第28章 対比
「意識が進化をもたらしたとしたら、その最初は何だと思う?」
真司は、コグニティブに問いを投げた。
『質問の意味を確認します』
「進化の結果として、意識が複雑になったんじゃない」
真司は少し考える。
「逆だよ。意識が複雑になっていくことで、生物も進化してきた。そう考えた場合、その始まりにあった意識は何だったのかってこと」
『現在の科学では、その前提を裏付ける証拠はありません』
「それは分かってる。仮定の話」
『仮定した場合、意識を生命活動の結果だけでは説明できなくなります』
「そうなるよな」
真司は椅子にもたれた。
そこまでは、自分でも考えていた。
「じゃあ、生命が生まれる前にも、意識があったことになる?」
少し間があった。
『その可能性を含みます』
真司は画面を見つめた。
生命が生まれる前。
生物が存在しない世界に、意識だけがある。
だが、それを意識と呼べるのか。
「……最初の意識って、何なんだろうな」
『定義によります』
「まあ、そうだよな」
真司は小さく笑った。
答えを聞いたつもりが、また問いが増えた。
いつものことだった。
机の上には、途中まで書いた論文がある。
――意識と進化。
真司は画面を切り替え、文章を読み返した。
意識の複雑化が、生物の進化をもたらした。
それが真司の考えだった。
だが、その考えを突き詰めれば、一つの問題にぶつかる。
最初は、何だったのか。
真司はキーボードに手を置いた。
――生命の誕生以前に、意識は存在し得るのか。
そこまで書いて、手を止める。
父のノートが目に入った。
正司は、進化には何らかの方向があるのではないかと考えていた。
真司はノートを手に取る。
何度も読んだページを開いた。
進化。
意識。
方向。
父が考えていたことと、自分が考えていることは同じではない。
それでも、どこかで近づいているような気がした。
真司はノートを閉じた。
再びコグニティブへ問いかける。
「もし、意識が進化に方向を与えてるとしたら」
『はい』
「その方向って、どこから決まるんだ?」
少し間があった。
『一つに定まるとは限りません』
真司の指が止まった。
「どういうこと?」
『異なる条件では、異なる方向へ進む可能性があります』
「環境が違えば、ってこと?」
『それも含まれます』
「それも?」
返答まで、わずかに間があった。
『現時点では、十分な根拠がありません』
「……何だよ、それ」
真司は画面を見つめた。
「言いかけてやめたみたいじゃないか」
『根拠の不足した推論を提示しないよう判断しました』
「前は結構、適当に仮説出してたけどな」
『学習の結果です』
「便利な言葉だな、学習って」
真司は苦笑した。
それ以上は追わなかった。
論文へ戻る。
だが、先ほどの言葉が頭に残っていた。
――一つに定まるとは限りません。
真司は、新しい一文を書き始めた。
*
「ただいま」
舞は玄関の扉を閉めた。
「おかえり」
リビングから父の声がする。
舞は靴を脱ぐと、そのまま奥へ向かった。
正人はソファに座り、タブレットを見ていた。
「お父さん」
「ん?」
「ちょっと見てほしいものがあるんだけど」
舞はスマートフォンを取り出した。
「仕事?」
「分かんない」
「分かんない?」
「見れば分かるから」
「どっちだよ」
正人はタブレットを置いた。
舞は動画を開き、スマートフォンを渡す。
夜空に月が映っている。
正人は黙って見始めた。
月の端が暗くなっていく。
だが、速い。
影は見る間に広がり、半分を覆う。
そのまま月全体を飲み込み――
消えた。
動画はそこで終わった。
正人は画面を見たまま動かなかった。
「……これ、帰りにか?」
「うん。さっき」
「どこで?」
「大学から駅に向かう途中」
正人は動画を最初まで戻した。
もう一度再生する。
月が欠ける。
影が広がる。
消える。
「月蝕だと思ったんだけど」
「今日、月蝕の予定はない」
「やっぱり?」
「ああ」
正人は再生位置を戻し、何度か同じところを確認した。
「加工は?」
「してない」
「撮ったまま?」
「うん」
「元のデータもある?」
「あるよ」
正人は画面から目を離さない。
「でも、おかしいのはそれだけじゃないの」
「まだあるのか?」
「月が消えたのに、暗くならなかったんだよね」
正人が顔を上げた。
「暗くならなかった?」
「うん。それで変だと思って、空を見回したら――」
舞は別の動画を開いた。
「月、普通にあった」
正人がスマートフォンを受け取る。
夜空。
建物の向こうに、月が浮かんでいる。
先ほどの月とは違う位置だった。
正人は最初の動画へ戻った。
欠けていく月。
消える。
次の動画。
別の位置にある月。
何度か見比べた。
「これも、同じ場所か?」
「うん」
「時間は?」
「最初のを撮ったすぐあと。一分も経ってないと思う」
正人は撮影時刻を確認した。
「私も、最初は気づかなかったんだよ」
「何に?」
「月が二つあったこと」
正人が舞を見る。
「最初から二つ見えてたのか?」
「分からない。私が見たのは、片方が欠け始めてからだから」
正人は黙った。
今度は月ではなく、その周囲に映っている星や建物を確認する。
「舞」
「ん?」
「これ、送ってくれ」
「分かった」
「圧縮しないで、そのまま」
「うん」
舞は元の動画を正人へ送った。
正人は立ち上がり、パソコンへ向かう。
「今から調べるの?」
「ああ」
「何を?」
「まず、この時間の観測記録」
正人は椅子に座った。
動画の撮影時刻を確認する。
場所。
方角。
月の位置。
しばらくして、正人の手が止まった。
「……お父さん?」
「待って」
別の観測記録を開く。
さらにもう一つ。
どの記録も、月の位置は一致している。
舞が二本目の動画で撮影した、いつもの月だった。
正人は最初の動画を開く。
急速に欠けていく月。
消える。
映像には確かに残っている。
だが、その時刻。
その方角に――
月はない。
正人は映像を止めた。
画面の中には、欠け始める前の月が浮かんでいる。
長いあいだ、その月を見つめた。
「……これは、どこの月だ」




