体育祭前日
体育祭は九月開催。当時の九月の平均気温は25度。
確かに荷物は崩れ落ちて自分は下敷きになったが気絶する程の痛みは無かったのだ。強いて言えば辞書か何かか重みのある物が体に当たりそこだけは痣は出来るだろう痛みが残った。
荷物の下でただ旗を取りに来ただけなのにどうしてこんな目に合っているのかと気分が落ちる。このまま這い出て旗を取っても散らかった空き教室を片付けなければいけないのだろうか。
いやそもそもこんな風に目当ての物を一つ取るだけで崩れ落ちる構造にしておく方が悪い。一体誰がこんな風にしたのか、卒業生か?先輩か?先生か? (…出よ)
誰にこの下敷きになった苛立ちをぶつけていいやらと溜め息を心の中で吐きながら出ようと動いた時だ。階段を上がる音が聞こえて話し声もする。
「わ~い。誰もいな~い」
「珍しい事だな」
男子の声だ。同級生の声ではないため恐らく先輩だろう。間延びした、柔らかく少し高い声とその声に反するような低く背筋が伸びるような声。
「今年の体育祭どうしよ~」
「リレーの選手だろ。頑張れ」
「僕走るのやだな~汗かくもん」
「そう言う割には早いんだよな」
「何か早いんだよね~」
隣の空き教室に入ったのか扉が閉まる音がする。誰もいないと思っているのに自分が崩れた荷物の下に実はいましたとなると驚くだろう。そうしたら先輩達がいなくなってから出て行こう。
「あ、万里也僕があげたピアス付けてる」
「お前にしてはなかなか良い趣味だからな」
「万里也に似合うと思って買ったんだよ~愛だよ~」
「どの口が言うんだよ」
「この口」
そう言って静かになる。
(……おや?)
隣の教室で行っているので見えておりませんがもしかすると先輩方は口と口を触れ合うあれをしておりませんか。
「…許してねえぞ?浮気者」
「ごめん~別れたから~」
ほら許してくれるまで何度もするからと恋人同士の触れ合いがある時だけ間延びした話し方が何故か止まる。そしてただ口と口が触れているだけのはずが何故か粘着音と吐息が聞こえてきてしまい、体から出た事の無い汗が吹き出して自分の存在をひたすら無にする事にした。目を閉じて安心して下さい先輩方自分は何も聞いていませんので。
それにしても良かった壁が隔たれていて仮に顔を見ようものなら今後その先輩方と会うだけで今日と言う日を思い出してしまう。月人と野崎先輩の二の舞じゃないか?いや二人に関しては克服出来たし何とかなる。何とかしてくれ。何だこの状況は。
「和彦!?」
あ、亜季の声だ。
「そして俺は何も聞いていませんという体で目を閉じていたと」
「そして周りはそれを見て脳震盪だと誤解したと」
「五階だけにな」
「黙れよ」
「ごめん」
しかし気持ちは分かる。隣からそんな事をしている音が声が聞こえたらどうしていいか分からない。和彦が西野先生に安静にするように言われた夜。部屋にお邪魔して話を聞いた。
和彦の行動がそれなら適切かと言えば違うだろけど同じ状況になりそれでは正しい行動をして下さいとなるの誰が自信満々に答えられるのか。
教師であれば学舎でそんな事をするなと怒って止めさせるだろうけど、自分達は生徒で後輩で子どもだ。どうしていいか分かりはしない。
「…にしても」
「あ?」
「すごかった…」
「…それは、何がとは聞いていいのか?」
「テレビでさ、海外の映画とか入る時あるじゃん?」
「…あるな」
未だにテレビ番組が映る事を入ると言うんだな。生まれた時から使っているから抜けないのだろう。
「その時の…めっちゃねちっこいチューのさ」
「…めっちゃねちっこいチュー」
「教室に助けに来てくれた先輩がさっきまでその音立ててのかと思うと俺は…俺は」
「分かった分かったかわいそうに…怖かったな」
「怖かった…?のか?」
テレビの向こうに見ていた世界を壁一枚隔てただけの現実空間で感じてしまい、恐怖を感じたのだろう。かわいそうにとなぐさめながら若干の不安はある。
(こいつ後々彼氏出来たらちゃんと出来るのか?)
「……」
和彦の隣に立ち町で見かけるカップルのように彼の腕に手を絡めて歩く誰かを想像する。
「……」
「亜季?」
へのへのもへじで作られた顔の和彦の彼氏が甘えた声で話しかけてそれに応えて顔を寄せて、いつか見た。同級生と先輩のようにキスをしてそこから更に深く深く溶ける。
「……俺食堂行くわ」
「え?あ…うん。俺も行くわ」
「寝てれば?安静にしておけよ」
「だから…演技だったんだよ」
和彦が知らない誰かと溶けていく様を想像していくと自分の頭の中が急激に冷えていく感覚がして元の体温に戻るために頭の中の想像を散らし、気分を変えるために食堂へ向かった。
後ろを着いてきて並んだ和彦と共に食堂に入ると和彦の姿を見た同級生が歩いて大丈夫なのかと心配していたが和彦は平気だと笑う。それでも実は演技でしたと言わないように口を閉じている。
自分と和彦の間に小さな秘密が生まれた。
「ごめんな…和彦」
「いいってむしろ俺で良かったんだよ」
冴木は何度も謝っていた。旗を持って来るように頼んだのは冴木らしく責任を感じているらしい。
しかしここで実は脳震盪なんて起こしていなくて全部演技でしたと告げると彼女はどんな反応をするだろうと思ったが、秘密はそのまま二人の間にあるものだけにして口を閉じた。
体育祭に向けての練習がよく見られるようになった。特に三年生は当たり前だが気合いが入っている。野崎先輩は遠くからでも目立つため練習をしているのがすぐに分かる。
どうやら足は早くないらしい。あんなに長い手足をしているのにどうやらそれと足の早さは比例しないと言う事が分かった。
一年生も当日戸惑い事が無いように練習をしている。体育の時間を利用してリレーの練習をし、綱引きなどを行った。
「当日怪我しなきゃいいけど」
「怪我したら西野先生の所に運ぶから」
「そしたら新島先生もセットで来るかな」
間近に迫った体育祭の事を話しながら想像すると確かに誰かが怪我をしたようなら新島先生は心配だと言って何やかんや西野先生の所へ連れて行きそうだ。
「…“西野先生!お願いします!”」
「“分かりました!任せて下さい!”」
「“心配なんで俺も側にいます!”」
「“え?邪魔ですよ!帰って下さい!”」
「新島先生泣くぞ」
忍が西野先生、自分が新島先生の真似をして遊んでいると月人と亜季は笑い遼一に至っては腹を抱えて笑っている。そして自分達の中でフラれた新島先生を哀れに思い弘忠が止めた。
「実際西野先生はどう思ってるやら」
「あんな分かりやすくしたら逆に引くぞ?」
「…自己紹介か?忍」
「何だと」
本人は至って真剣らしい。
「新島先生って何歳だっけ?」
「大塚さんとタメだって」
「大塚さんいくつよ」
「三十三歳」
「聞いたのか?」
「違う違う」
弘忠曰く新島先生に体育祭の事について聞こうとした際に職員室におらず、喫煙室を覗くと新島先生と大塚さんが二人で煙草を吸っていたらしく、煙草の匂いが苦手な弘忠が体に悪いと顔をしかめると二人は笑って「もう十三年も吸ってるから止められない」と真剣に捉える事は無かったと言う。
「二十歳から吸ってて十三年なら足して三十三だろ」
「おっさんだな」
「西野先生いくつ?」
「二十四歳だって」
「うわ!年の差!」
大人からしてみれば大した事の無い年齢差かもしれないが、高校生の自分達からしてみればかなり広い年齢差のように思えてしまう。
確かにここまであれば西野先生は新島先生に好意を向けられても悲しい事に靡く事は無いのだろう。
「九歳差」
「小学校卒業して中学も卒業してるぞ」
「新島先生が働き始めた頃、西野先生まだ高校生」
「わーーー!何かやば!」
話を聞いていた由実が振り返り声を上げる。
「やば!激やば!」
「激やば!」
「激やば~!」
やばいやばいと年長の日本人が聞いたら日本語の乱れっぷりに頭を抱えそうな会話をして果たして新島先生には希望はあるのかと由実と忍で話し合う。
「漫画だとあるけどねー。生徒と先生の恋」
「現実問題そりゃ駄目だろ」
遼一が半笑いで否定をする。世間を知らない生徒からすれば世間の酸いも甘いも知っている先生と言う存在は大人で魅力的な存在に見えるだろう。
ところが冷静に考えればその世間を知らない生徒に手を出すと言う事は本来子どもを守る大人としての役割を放棄するようなものではと疑問を覚える。
それでもフィクションの世界にそれらが成立しているのはやはり現実では問題となる事象が夢や憧れの気持ちが相まって注目を受けるからだろう。
あり得ないを見させてくれるのから惹かれる。
「それで言ったらさ」
「ん?」
「ぶっちゃけあたしはそれよりあり得ないと思うのは、不細工と美人の恋かな」
「直球に言うな」
「だって人は内面だよって言うけどそれなら見てくれに気を使う必要なんて無いじゃん?」
「言ってくれるな北条」
忍が苦笑いになっている。
「外側綺麗にしたら印象違うじゃん?外側何も気を使わないであたしの中身を見て!なんてよっぽどの善人でないと無理だよ~」
「世間厳しい~」
「それとさ」
「ん?」
「女ばっかり綺麗にしろって言うのも嫌だけどね~」
「え?でも女だし当たり前じゃ」
「お洒落は好きだよ?鏡に映る自分が最高だと最高」
「うん」
「それを男のためにやってるって思われるのは嫌だな~」
「あ~…はいはい」
「なるほどな」
「自分のためだもんね」
「考えを改めなきゃな」
不思議な会話だ。
これが自分達が異性愛者なら成立した会話だろうか。由実の、柔らかい女の体を持つ彼女に魅力を感じるようなら今の彼女の考えを否定していたかもしれない。
由実は明るいコギャルで派手な子だが、それは全部自分が楽しいからそうしているのだ。それに別の理由を決めつけられて自分の考えを踏み潰されるのはとんでもないストレスだろう。
「大変だな」
「そうだよ」
「男に生まれたら楽だったかも?」
「それは違うかな」
どうして性別は違うかどうかで世間は色々と枠をはめようとするのか。
面白くも面倒であり当たり前であり厄介である。
「でも男女があるから社会が回るんだねえ」
「そうだなあ」
「深いな」
新島先生と西野先生の話からここまで脱線して知らない場所に着地した。
体育祭前日。
明日はジャージで登校する。ジャージの下は指定の運動着だが三年生はオリジナルのクラスTシャツを作り着るらしい。昼のお弁当はいつもよりも豪快になるらしく楽しみだ。
一年生は緑色の旗に緑色の鉢巻きをして向かう。早めに登校して教室の椅子をグラウンドに移動しなければいけない。当日は晴れ、太陽は出て残暑が残る季節だから暑さに油断しないようにとしっかり先生が注意をしていた。
「体育祭明日か」
「頑張ろうな綱引き」
「綱引きか…」
「引きずられないようにしろよ」
「引きずられねえよ」
軽口を叩きながら明日に向けて今日は早く寝るようとにと言われる。そう言われては寝るしかないので皆部屋に戻るため立ち上がり多くの足音が階段を鳴らす。
「あ、お前」
「え?」
不意に声をかけられて振り返るとそこにはあの自分を助けてくれた先輩達がいた。思わずひきつりそうになった表情に力を込めて戻し平常心を平常心をと思いながら頭を下げる。
「すいません。この前は」
「もう平気~?」
垂れ目の先輩が微笑みながら心配してくれる。本当に平気です。だって何とも無いですし。
「まあ無理すんなよ」
「おやすみ~」
「…ありがとうございます」
何とか穏やかに眠ろうとした矢先に眠れない原因となりそうな先輩と会い項垂れる。事情を知らない同級生は首を傾げるが亜季だけがなぐさめてくれる。
明日は体育祭だ。
薊学園八期生、吉本万里也
おかっぱぐらいの長さの黒髪にピアスをいくつも空けている二年の男子生徒。つり目が特徴的で話しかけづらい印象があるが校則違反をしている事以外は真面目で優しい。矛盾してる。




