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プロローグ~亜季の話~

 1999年、神奈川県のとある街にて。

  2000年を目前に控えた1999年の年だった。

 神奈川県に生まれた自分はごく普通の人間として生まれ育ったはずだ。

 サラリーマンの父と専業主婦の母、四つ上の兄は東京都の大学に春から通い始め同時に一人暮らしを始めている。

 中学三年生になった自分は両親からどの高校に進学するのかと聞かれ、仲の良い友達と共に同じ高校に通いたいと思っていたが父は自分の母校である進学校に通うにように言って母もそれがいいと賛同し、いつの間にか自分の進路は決まった。

 須田亜季と言う人間は両親によく物事を決められていた。

 好奇心旺盛で行動力が強い兄は真面目で学歴にこだわる父とその父に賛同する母とは合わなかった。テレビゲームを欲しがればあんなので遊んでいると馬鹿になると反対して兄がアルバイトをして買ったテレビゲームを無断でゴミに出していた。母も勿論その事を知っており兄は二人を怒ったがあんなものに執着する意味が分からないと言って兄の言葉に聞く耳を持たずにいてこの両親から離れるために勉強に励み家から出て一人暮らしを始めようとした時にこの家に残される自分の頭を撫でて兄は言った。


 辛いなら立ち向かわずに逃げてもいい。


 兄はいつも自分の味方だった。

 両親と兄の不仲は幼い頃からよく分かっているが、自分は兄と違い両親を完全に嫌いになれずにいたのだ。それは確かな血の繋がりから来る感情なのか分からないが優秀な成績を修めて両親の望む進路を選びそうして両親からそれで正解だと褒められると満たされるのだ。

 自分の意思ではない。両親の希望である。

 それでもそれが自分が肯定される選択なのだと感じて自分の居場所がまだここにあると安心する。


 須田亜季はそうして高校受験を控える年齢にまで成長した。志望校には両親が望んだ高校の名前を記入して提出し、それに合格するために塾にも通う毎日にふと鏡を見る。

(髪、伸びたな)

 鏡に映る姿は両親を知っているなら必ず言われる。母親によく似ていると。

 母は日本人にしては茶色い髪をしており自分もその遺伝子を継いで頭髪検査では毎回染めているのではと怒られる。その度に地毛だと証明して疲れるので頭髪検査は大嫌い。

 目もまた母親とそっくりでつり目で少々鋭い目付きをしているらしい。

「母さん」

「どうしたの?」

「髪伸びてきたらそろそろ切りたいんだけど」

「分かったわ。それじゃいつもの所予約しておくから」

「お願い、それじゃ塾行ってくる」

「いってらっしゃい」

 学校を終えてそこからすぐに高校受験に向けた塾へと向かう。去年志望校を決めてその日から通うように言われた。

 部活も出来ないため友達と一緒にバスケットボール部に入部していたのを退部する事になったのだ。それを聞いた兄は両親に塾は三年生になってからでもいいんじゃないかと意見し密かに両親が兄の意見に頷くのを期待したが父はそれじゃ遅い。万が一そうして落ちるような事があればこいつの人生は落ち続けると目線も合わさずに言った。

 兄がそんな事勝手に決めるなと反論しようとしたが慌てて止めて父に従う事にした。

 ただ塾に通うのは億劫ではない。

 三年生になってから友達も同じ塾に通うようになり学校と塾と長い時間友達といられる事が増えていた。

 中学に入ってからの二人の友達、陸上部のエースだった野崎大地とバスケットボール部の部長だった篠山快人。この二人といつも笑える話をしながら力を抜くのが楽しみだった。志望校も同じで高校生になってもきっと今と変わらぬように楽しく過ごせるとぼんやりと考えていた。

「引退してからどうだ?」

「何かすげぇ暇になった」

「体動かす時間減ったな、何か物足りない」

 中体連も終わり三年生は引退して二年生へと引き継いだが引退したばかりの二人は物足りなさを感じていた。

「それじゃあ体動かす?」

「あの公園のコート?」

「そう、そこ」

 自分がそう提案すると二人は頷きいつ行くか考え始める。結果、今週の土曜日に向かおうとなり丁度そこでいつもの塾の勉強が始まった。

(あの公園)

 バスケットコートがある公園は年齢問わず人が集まる。そこにたまに現れる高校生のグループの一人。

 浅黒い肌に高い背の一人に見惚れている。


 須田亜季が自分と同じ男が好きだと気づいたのはその名前も知らない男がきっかけだった。


 中学二年、退部したばかりの頃に同じ部活だった快人がこの公園に誘い休みの日ぐらい体を動かそうと陸上部でバスケットなんて体育の授業の時しかしない大地は持ち前の体力と足で楽しくやっていた。

 自分もそうだ。辞めたバスケに未練がありそれを晴らすようにしていると現れた高校生のグループに気付き十分楽しんだので彼等に譲るとその浅黒い肌の高校生は笑ってお礼を言いそれが初恋になり、同時に自分は女の子を好きになれないのだと分かり絶望した。

 それじゃあどうするか。

 打ち明ける。それは無理。あり得ない。両親を絶望させてしまう。

 それじゃあこうするか。

 ずっと黙っている。世の中には男みたい女の子もいるしそう言った子なら好きになれるかもしれない。それにまだまだ自分は若い。これから好みが変わっていくかもしれない。


 これがきっと正しい判断なのだ。だって世間がそうなのだから。


「亜季、大地」

「何?」

「どうした?」

「夏休みなんだけど」

「うん」

「俺、彼女出来た」

 夏休み直前に快人がそう笑いながら告げる。

「…え!?」

「はぁ!?」

「へへへ」

 快人が照れ臭そうに笑いながら話し、大地がお前どういう事だ。詳しく話せと擽りながら快人に詰め寄る。それに合わせるようにそうだそうだ詳しく話せと快人に詰め寄ると何でも他校の女の子で公園のバスケットコートで遊んでいた時に快人を見て好きになったと言う。

「マジかよ。羨まし…」

「ごめんな。俺が一歩先に進んで」

「…ん?」

「どうした?亜季」

「快人はその子の事はいつから知ってた?」

「いつから?」

「その子は快人が公園で遊んでたのを見て快人を知ってたけど…快人はいつ知ったんだ」

「俺?俺は告白された時に知ったよ」

「え?」

「帰る途中で声かけられてさ」

「それじゃあ、その子の事何も知らないでオッケーしたのか?」

「だってかわいいし」

「まあかわいいならな、オッケーしたくなるわ」

「そんなんで、いいんだ…」

 かわいい女の子だから付き合う事にした。

 相手の事はこれから知る。

 それで成立するカップルがこんな身近にいる事に何故かずっと驚いていた。

「それにあんま相手の事知らないから振ってもさ」

 大地が頬杖をつきながら話す。

「かわいい女の子に告白されたってそれだけで気分いいよ」

「だな」

「へぇ…」

 二人の声が何だか遠かった。 

 かわいい女の子だから告白を受けて、仮に振ってもかわいい女の子に告白された事は気分がいい。

 それは何だか自分には決して与えられないものだとそう言われているような気がした。


 そうして快人はその彼女と楽しむために夏休みはそちらを優先するらしい。

 それに大地と揃って文句を言った。


「お盆は帰るの?」

『帰らないな。バイト入れちまった』

「つまんないな」

『ごめんごめん。正月には帰るから』

 夏休みが始まってすぐに兄から電話が鳴った。母に電話を変わろうかとしたが話すことがないのでそのままでいいと断られる。

 一人暮らしはどうなのかと尋ね、家事も何も全部自分でする必要があるが自由で楽しいと話す。

 自分が家を出て寂しい思いはしていないかとからかうような口調で尋ねる兄に馬鹿にするなと怒ってみせるとまた笑いながらごめんごめんと謝るのだ。

『ところで志望校どうするんだ?変わってないのか?』

「変わってない。同じだよ」

『親父が進めた高校だろ?わざわざご機嫌とりに従わなくてもいいのに』

「でも、他に行きたいところもないんだ。友達も同じだし…きっと楽しいと思う」

『亜季がそうならいいけどよ…友達と仲良くしてるのか?』

「最近一人が彼女出来た」

『はあ?中学生だろ?ませてるな』

「知らない女の子なのに、かわいいから付き合うって」

『まあ、そんなもんか』

「そんな、もんで付き合えるんだな」

『見た目が好みだとそうなるもんよ。亜季はどうだ?彼女欲しいのか?』

「え、」

『彼女』

「それは」

 受話器を握る手に力がこもる。

 本来なら欲しいに決まってるじゃんと明るく言う場面であるはずなのに生まれた頃から気にかけてくれる兄に、兄にならば打ち明けていいのではと思いもう一度受話器を握る。

「あのさ、兄貴」

『ん?』

「俺さ、」

『どうした?』

「俺は…!」

「亜季、あなたいつまで話してるの」

「……ぁ」

『母さん?』

「うん…」

「電話の相手誰?」

「…兄貴」

「え?ちょっと変わってちょうだい」

 電話の相手が兄だと分かると母は驚いて自分から受話器を受け取り変わると今どうしているのかと聞いていた。

 大学はちゃんと行ってるの?一人暮らしは慣れたの?お勉強ちゃんとしてる?悪いことしていない?お父さんにも大学のお勉強の進みとか報告しないとだからちゃんと電話して…。

 電話の向こうでは兄は辟易してるだろうか。静かに離れて部屋にこもり黙って勉強を始めた。

 あの時母が入って来なければ自分は兄に男が好きだと打ち明けていただろう。でもここで邪魔が入ったと言う事はやはり言わない方が良いことなのだと見えない力が働いているのかもしれない。

 それじゃあ隠し通す自分の意思は正しいんだ。

 そう思い込みながら頭に何も入らないまま勉強をし続けた。


 兄はあの時何を言おうとしたのか尋ねたが、何でもない事だと誤魔化して今日も自分を偽った。


 ただその自分をつく嘘は思っていた以上に重くのし掛かる物なのか、そんなに偽ると言うのは悪いことなのか。

 夏休みが終わり気晴らしに出掛けた公園でまさかの初恋の人がいた。しかも向こうはよくコートに来る中学生じゃんと覚えており受験生なのか頑張れとそう声をかけて挨拶をするようになったのだ。

 秘めて潰して粉々にして埋めるつもりでいた初恋の感情はそんな風に見えなくする事は出来ないでいたらしい。

 顔を覚えられた。

 挨拶をした。

 受験勉強を応援された。

 そんな小さな関わりが交流が膨れ上がった感情を制御不能な程に暴走させていってしまった。


 一人で訪れたコートにいた初恋の人に好きですと伝えると、いつも優しく挨拶をしてくれるその人は汚物を見るかのように顔を歪めて気持ち悪いと返答して足早に去った。


 あ、駄目だ。

 やっぱり秘めなきゃいけないものなんだ。


 そう冷静な頭で後悔していると自分に向けられた二つの視線に気付いて振り向くと、自分を見かけて追いかけた大地と快人が信じられない存在を見る目を向けて立っていた。


 あ、終わったわ。俺の人生。


 人は簡単に変わるらしい。

 それがどれだけ信頼関係が結ばれていてもどれだけ相手の長所を見てきたとしても一つの異常が見つかると蜘蛛の子を散らすように周りの人間は離れていくらしい。

 それが友人関係だけに止まれば良かったものの、自分が同じ男に告白していたと噂が広まった。あの公園には不特定多数の人間が集まる。そこには大地や快人だけではないあの公園を利用する他の同級生もおり自分の事は一気に知れ渡った。

 大地が自分を避けるようななった。

 快人もまるで自分がいないように扱った。

 自分が溶け込んでいたはずのクラスメイトは自分を異物と認識して排除するようになった。

 人が避ける。声をかけても無視をされる。

 教科書が見当たらない。ゴミ箱で発見される。

 ノートが見当たらない。ホモと罵倒する言葉を書かれてゴミ箱で発見される。

 机に花瓶が置かれている。死んだのだろうか。

 ならもう学校に行く必要無いだろうと母に仮病を伝えて部屋にこもった。

 学校に行く足が止まり仮病で休む日が続き家に来た担任が母に何故息子が学校に行かないのかと嘆かれて実はこんな噂がと、クラスで流れている噂をわざわざ母に教えた。

 担任が帰ると母が部屋の扉を叩いて声をかける。


「亜季、聞いたわよ。何かの気の間違いだと思うの」

「お母さんは分かるわ。亜季はそんなんじゃないものね?」

「大丈夫よ。その内女の子が好きになるから」


 そうしてこれだ。


「ねえ亜季、平気だから学校行こう?間違いって言えば皆分かるから」

「出来るよね?亜季は出来る子だもんね」

「お願いだから学校行って?お父さんの高校にいけなくなるでしょう?」


 母が懇願するように話す。


「……」

「亜季、ねえ聞いてる?」

「俺は」

「え?」

「俺は、行きたくない」

「ええ…」

「だって、ほらこれ」

 何とか教科書の形を止めているボロを見せて母に今自分はこんな目に合っていると証明する。

 学校に行くと毎日こうだ。

 こっちは何もしていないのに攻撃されて気持ち悪いと罵倒する。

 担任だって何も言わない。知ってる癖に。

 だからほら学校なんて行かなくても大丈夫だと言って、そんな辛いのねと言って


「じゃあ新しい教科書買ってあげるから」


 何それ?


 違う。そんな言葉が欲しいんじゃない。

 そう泣き叫びたかったのに言葉が無くなり力が抜けて気付くと母の学校に行こうねと言う言葉に頷いていた。

 母は喜んだ。


 その翌日だった。

 教室に入るなと笑いながら追いかけられている最中、足がもつれて階段に体を打ち付けながら転倒した。

 打ち所が悪かったのか遠くなる意識に笑う同級生とその後ろで驚いているかつての友達がいた。


 病院で目が覚めた時に決意した。

 学校へはもう一切行かない。


 一体何が悪いのか。

 自分は何か犯罪を犯してしまったのか。

 何人も死んだ事故や事件でも犯した訳ではないのに。

 何もしていない。この世界には同性愛者は存在している。それが罪に問われるのか、少なくともこの国では罪に問われない。

 それなのに大多数の異性愛者がいることで、自分みたいな存在は異物になり排除されて笑い者で攻撃対象なのか。

 自分が世間から外れているのは自分が一番分かっている。だから隠し通そうとしたのにそれを貫けずにいたのは結局周りと同じだ。 

 人を好きになるのは自分でも時折制御が効かない強い感情なのだ。

 だから漏れてしまった。

 それが、そんなにおかしな事なのだろうか。

 性的欲求を制御出来ずに合意無しに性的欲求を満たした訳ではない。押さえきれなかったからと言って見知らぬ誰かを傷つけていない。


 何もしてない。恋して伝えた。


 それでここまで存在を否定されるならもっと打ち所が悪くあの時死んでいた方が楽じゃないかと思う程だ。

 これからもう、どこに行けばいいんだろうか。


「…亜季」

「……」

「あのね。担任の先生が来てね。これをって」

 部屋にこもる自分に母が扉の隙間からあるパンフレットを差し出す。

「これ、亜季にぴったりだと思うの」

「……」

「ここならやって行けるんじゃない?考えてみてね?」

 母が差し出したパンフレットは北海道にある全寮制の薊学園と言う高校だった。

「……?」

(は?同性愛やどっちも好きな奴限定?)

 どういう高校だ。まさか異性を好きになれるように矯正しますとかそんな怪しい高校ではないかとパンフレットを読む。

(…同性しか愛せない、それ故に悩み傷ついた若者のために創設された高校)

 自分をありのままさらけ出して周りは皆自分と同じ。高校の三年間だけでも偽らずに生きてみよう。

(…何だそれ)

 ちなみに就職率は100%で進学先はかなり偏差値にばらつきがあった。

 おかしな高校だがこれが本当ならいいかもしれない。

 そう決断を下した時、自分の人生はどうでもいいと半ば放棄していたのもある。


 両親は何と言うか、何も言わなかった。

 それじゃあ寮に入るから色々準備しなきゃねと母は動き出した。

 父は何も言わなかった。

 あの噂が両親の耳にも入った時、父は自分に本当なのかと尋ねて無言でいると早く答えろと言わんばかりにテーブルを叩きつい首を横に振ると嘘を吐くなと威圧感のある声で言われて噂は本当だと、男に告白した。自分は男が好きだと話すと母は狼狽えていたが父は長い長いため息を吐いてこう言った。


「お前はとんだ親不孝だ」


 金は出すからもうどうにでもしろ。

 父はそう言って母にお茶を淹れるように言った。

 その時頭の中がどんどん冷たくなるのを感じたのだ。それは、両親に対する愛情が無くなっていく感覚だった。

 嘘を吐かずに自分の同性愛を言葉に出したのは両親に受け入れて欲しい自分の叫びなんだろう。

 それを期待はずれと冷たく言われてこの人は自分の希望に答える人形が欲しいのであって、そうではない者はどれだけ傷付いても何も感じないボロ人形なんだろう。

 母は母で、愛しているのは自分や兄ではなく。父の期待に応える従順な息子と自分自身なのだろう。

 その年の正月、兄はバイトで人が辞めてしまったため帰る事が出来なくなったと聞き安心した。兄はまだ何も知らないのだから兄まで自分の事を知って否定されたら翌日首をつると思う。


 そうしてまるで追い出されるようにして薊学園に受験をし、合格して寮に入るための準備をする。

 グレーの旅行鞄に必要な物を詰めていき忘れ物が無いか確認すると母が部屋へと入る。

「…何?」

「えと…もう準備出来た?」

「したよ。もう出るから」

「そう…」

「…それじゃ」

「あのね、亜季」

「何?」

「……」

「…何?」

「何かあったらすぐに」

「すぐに?家に連絡しろって?」

「……」

「何かあったら助けてくれんの?期待はずれの俺を」

「それは」

「それじゃ、飛行機乗るからもう行くわ」

 母が最後まで何か言いたげだったが言わないと言うのは父の意にそぐわない言葉なんだろう。

 そんなの聞かされても、どう答えればいいのか。

 学校でいじめられても勉強が遅れるからと行かせようとして、階段から落ちて怪我をしてもまた勉強が遅れると言って、父もまた学校に行かない理由も問わずにみっともいから早く行け。だらける時間があるのかお前は。いじめなんざやられる方が悪いとそう言うだけだった。


 初めて一人で乗った飛行機の窓から小さくなる町を見て、久し振りに息を吸えた気がした。


 





 

 2000年、北海道の全寮制の高校へ。

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