保健室にて
北国の夏休みは8月31日まではありません。その代わり冬休みが長いです。
ここの生徒であるなら自分のしたい恋愛を隠さずにしてもいいのかは分かっている。ただそれでお互いをずっと友達だと思っていたのに向ける気持ちが変わった事で失うものもあるのではないか。
現実は当たり前だが少女漫画のようには進まない。それじゃあどうすればいいのか。
先輩達は今のような関係になるまでどう考えてどう告げたのか。
自分一人では解決しないような問題が頭の中を巡っているといつの間にか自分の顔面にボールが当たり鼻から出血をして皆を驚かせた。夏休みを目前に控えた体育の時間は小学生以来のドッヂボールだった。
「鼻血が…鼻が」
「上向け上」
「保健室行って来いよ」
「行ってきます…」
「一人で平気か?」
「これくらい平気」
心配してくれる亜季に手を振りすっかりどこに何の教室があるか覚えたため迷わずに一人で保健室に向かう。
「すいません鼻血出ました」
「ん?鼻血出た?」
「おう。近藤か」
「……」
何で新島先生が保健室にいるんだろうか。今は授業する時間じゃないにしてもコーヒー飲みながらお喋りをしているようにしか見えなかった。
「そこのベッドに寝てね」
ティッシュで鼻押さえて大人しくしてるんだよと西野先生に優しく言われる。男の保険医の西野先生、初めこそは保険医は女性の先生しかイメージが無かったが意外とすぐに慣れるもので女子にも西野先生は受け入れられている。
いつも優しい笑みを浮かべていて穏やかな雰囲気がするからかな。
「…新島先生何してんすか?」
「何って…あれだよ…一年生の体調報告とかだよ」
「は?そんなのするんです?」
「親元離れて来てるからね。慣れない環境で体調崩したり…おかしなところは無いかたまに報告してくれるんだよ」
「毎年やってるんですか?」
「新島先生が赴任してからそうしてくれてるね」
「……そうすか」
多分、いや絶対にこの担任は西野先生と話す口実を作って保健室に来ているだけですよとは生徒の口からは言えなかった。言えなかったが寮に帰ってからでも面白おかしく話してやろう。
「…そしたら戻りますね」
「はい。ご苦労様でした」
「いえいえ!当然の…事ですよ!」
新島先生の声が若干上擦ったのは自分の視線に気付いたからだろう。もう鼻血は止まっただろうかと確認していると新島先生は近付いて声をかける。
「止まったか?」
「……まだです」
「そうか…」
「先生、仕事戻りましょうよ」
「おう…」
余計な事を話すなよと言わんばかりの視線をいただき新島先生は保健室から出る。西野先生と二人きりになりベッドに寝たまま時間を確認するともう授業は終わりそうなためこのまま終わるまで保健室で過ごそうと決めた。
「どう?学校」
静かだった保健室に西野先生の優しい声が聞こえる。
「…楽しいです」
「そう。良かった」
視線をこちらに向けて笑ったと思うと机に向かって何かを書き出し始める。保健室の先生って普段は何をしているのだろう。怪我人や病人が出たら手当てをしたり休ませるのは分かるがそれ以外には普段何をしているのか。
「ん?どうした?」
そんな自分の視線がうるさかったのか西野先生は目線だけをこちらに向けて尋ねてくる。
「…何してるんですか?」
「保健だより作ってるんだよ」
「あぁ…あれ」
予防をしましょう。怪我をしないように気をつけてと掲示されるあれか。
「保健室の先生って何してるんだって思うでしょ?」
「……はい」
「結構やる事あるよ。先生達と一緒に会議に参加して健康診断の事考えたり、今君が寝てるベッドのシーツや備品やら確認したりね」
「意外と忙しいんですね」
「後は生徒の話聞いたりね」
「生徒の話…?」
鼻血は止まった。血が染み込んだティッシュを鼻から離すと西野先生はゴミ箱を持って来てくれてそのまま捨てさせてもらう。鼻血が止まり寝ている理由も無くなったが自分の目論見通りに授業が終わるまで寝ていていいとお許しが出た。
「どんな話聞くんです?」
「何だかんだ保健室って憩いの場みたいなもんだからね。普通に体調不良で来たと思ったら友達との悩みや恋の話をしたりね」
「恋の…」
「あるんだよね。友達を好きになりましたとか」
「それ!」
思わずベッドから起き上がり声を上げると保健だよりを作成していた西野先生は驚いていた。
「…そんなのもあるんですね」
「あるよ」
「……俺がそうとかじゃないですけど…全然違うんですけど…友達を好きになって、どうなりました?」
「……君とは全然違うけど?どうなったか…か」
そう。自分とは全然関係無いです。まったく違うんですけどどうなりましたか?友情は壊れてしまいましたかそれとも上手く行ったのでしょうか。どうでしょうか。
「…成就すればそれはいいけど」
「…そんなの分からないじゃないですか」
「そうだよ。でももう隠すのが無理だと思って玉砕覚悟で告白する子もいたよ」
恋愛感情を隠したままに友情を保とうなんて器用な事を出来る人はなかなかいないのだと言う。隠していても漏れでてしまい、言わないと決めたとしてと周囲にその事を知られてしまう。
そうなる前にもう無理だと玉砕覚悟で相手に伝えて友達から恋人へと変わるのを望むのだ。
「まあ振られてもまた友達ではいられるだろうし」
「相手からしたら友達だと思ってた奴にそんな事を言われた後だと…無理じゃないですか?見る目が変わる…!」
「…悲壮感に溢れてるね」
「いや違うんですよ…俺の話じゃないんですよ」
「そんな事聞いてないよ…まあいいか」
確かに友情が壊れて前のようにいられるか不安だと。そう言う考えも勿論あるだろう。
しかし意外にもその後に他の相手を好きになり過去の事だとさっさとその悩みを忘れて次に進む子もいるのだと言う。
「まあ女の子に多かったけどね」
「男は…?」
「気まずい雰囲気になっても時間が解決してくれるもんだよ。まあふとした瞬間に思い出して苦しむ事もあるだろうけど」
「…うう…」
「まあだから何が必要かって」
「はい…」
「覚悟だよ」
「ええ…」
結局はその一言。
隠していてもいずれはバレる。ならば告白する覚悟。友達ですらいれなくなるかもしれない覚悟。その後に耐える覚悟。全ては覚悟。
西野先生はそう言い切る。
「学校の生徒がそうだから同姓は友達であり恋愛対象でもあるからね。どうしてもこの悩みは学園創立からあるんだよ」
「創立からの悩みかよ…」
「そうして未だに答えは無い。と言うかこう言うのにたいして明確な答えは出さない方が良いだろうね」
「そうっすね…よく分かりました……学園創立からの悩みって西野先生は誰から聞いたんです?」
「聞いたと言うか…俺はこの学園の一期生だから知ってるんだよ」
「え?そうなんですか?」
「そう。ここは母校だよ」
知らなかった。入学式の教員の紹介の時も簡単な紹介しかされていなかったため、西野先生が学園の一期生と言う事実は初めて知った。
「他にはいるんですか?」
「一期生とか生徒はいないね。創立当初の事を知ってるのは後は大塚さんだけかな」
「あ、そうか…」
大塚さんはずっとここに勤めていたんだ。
思わぬ事実を聞いているとチャイムが鳴り授業が終わる。すると西野先生は鼻血も止まったから早く教室に戻りなさいと告げて保健室から出ていかせた。
「……覚悟か」
創立当初からきっと先輩達も多く悩んでいたのだろう。名前も顔も知らないその先輩達に仲間意識が芽生えて自分は一人ではないのだと奮い立たせた。
鼻血を出した体育の授業が終わり昼休みになり教室に戻ると和彦が遅れてやって来た。綺麗に顔面でボールを受け止めて前髪の一房と同じ赤い血を鼻から流していたのを心配したが大丈夫そうだ。
そして心なしか顔つきが凛々しくなっていた。
「おかえり」
「ただいま」
「ほら、弁当」
本日の昼食を出すとありがたく受け取った。様子がおかしい。
「お前…どうしたの?」
「いや…俺は一人じゃないんだってな」
「…そうか?良かったな?」
「うん。良かった…」
今日の昼の弁当はチキン南蛮だ。暑くて食欲が無くなるのを懸念していた食堂のおばさん達は随分がっつりとした弁当を作ってくれた。体育を終えた男子高校生にはありがたい美味しい肉の塊を口に運びながら横目で和彦を見る。
「…保険の先生」
「ん?」
「西野先生だっけ?どうだ?」
保健室に行く前と帰って来てからの顔つきが違うのでそれとなく何があったか聞き出そうとしてみる。保健室の先生。まだお世話になった事は無いが男性の綺麗な顔をした先生だった。
「めっちゃ、優しい」
「……へー」
「新島先生も惚れるの分かるわ」
「そうだな」
「え?」
何だか今さらっととんでもない言葉が飛び出したような気がするがと忍が会話に入って来る。新島先生が?惚れる?保健室の西野先生に?
「寮に来た時に言ってなかった?怒った新島先生にそんなんだと西野先生好きになってくれないよ~って」
「あの時そんな事言ってた?」
「俺も歓迎の仕方に呆気に取られて聞いてなかった」
「俺は聞いてた」
「あれマジなん?」
食べたまま喋る忍にきちんと飲み込んでから喋る弘忠と遼一。
「保健室行ったらいるんだよ。新島先生、西野先生と話したいために俺らの事を報告して…」
「何の報告だよ」
「体調に関してとか」
「…何だ…話すためにあいつとあいつが実は…みたいな事話してるのかと思った」
「そんな事は…しないだろう」
西野先生はどう思っているやら。はっきりと年齢は聞いていないが新島先生は西野先生よりも年上であるのは確実だろうしそうなると話しかけられても蔑ろには出来ないだろう。西野先生はいつも笑っていてすれ違えば生徒よりも先に挨拶をして人気の先生だ。
「それとは」
「ん?」
「西野先生ってこの学校の卒業生だって」
「へえ?そうなのか」
「そう。創立してすぐの生徒だって」
「どんな感じだったろうね」
「そりゃ…真面目な?」
「分からないぞ。あれが更正した姿かもしれないし」
「止めろよ…そんな西野先生考えたくない」
実は学生時代はヤンチャしてましたなんて今の西野先生からは考えられないし考えたくもない。機会があれば大塚さんにでも聞いてみよう。
「ご馳走さま」
「はいご馳走さま」
話しながら食べていてすっかり空になった弁当箱を所定の場所に戻しておく。空になった弁当箱を見て和彦は呟いた。
「しばらく食えなくなるんだな」
「夏休みが始まるからな」
衣替えを終えて空が夏に変わる。
夏休みを迎える。
終業式を終える何日か前に遼一と冴木が誰か空いている人がいたら手伝って欲しいと願い出る。何でも夏休み前の花火大会の買い出しで人手が欲しいとの事だ。弘忠と北条が名乗り出てしばらくするとたくさんの花火を抱えて彼等は戻って来た。
花火をするのはいつぶりだろう。
子どもの頃、一番古い記憶は小学校に通う前から庭に出て花火を楽しんでいた。普段は夜に庭を出るなんて事は無かったため昼間と違う空気を吸って父が黙々と準備を始めると普段は煙草に付けられるライターを使い蝋燭に火を付けた。
その蝋燭の火に花火を近付けるとそこから熱く綺麗な花火が流れるように現れるのだ。
黄色が、赤が、緑の花火が自分の持つ手からどんどん出てくる光景が好きだった。
姉が思春期を迎えた頃にはもう花火を楽しむ事は無く、夏の夜は特別なものではなくなった。
それが今はもう一度。
当直の先生と帰ったはずの先生も寮に来て夏休み前の花火を学園全員で楽しんでいる。至るところで花火が光を散らしてそれに負けないように騒ぐ同級生と先輩方。
「終わった花火はバケツに入れて」
「ロケット花火は先生がつけるから!」
「両手に持つな!危ないだろ!」
「振り回すな!高校生だろもう…」
先生は大変だな。
花火を楽しむ皆は気持ちが高ぶっている。忍は二本持ちをして怒られていた。
「和彦」
「ん?」
自分も参加しようとしていると遼一が花火を渡してくれる。
「ありがと」
「おう。楽しめ」
「買い出しも大変だったろ」
「新生徒会の役目なんだと」
「なるほどな…」
「亜季にも渡そうとしたんだけど…」
「うん?」
「あいつ花火したこと無いんだって」
「え?でも家とかで…」
「だからほら、これは亜季の分」
一緒にやってくれと二本の手持ち花火を渡された。亜季は何処にいるかと探すと花火ではしゃいでいる忍、それと北条を見ていた。花火はした事が無いが興味はあるんだろうな。
「亜季」
「和彦」
「これ、やろう」
「…何かな」
「え?嫌か?」
「…笑わない?」
「笑わない」
「…ちょっと怖い……」
少し俯いて恥ずかしそうにそう亜季は言った。
やだ、かわいい。
やだ、かわいいじゃなくてと頭を振り火のついていない花火を亜季に一本渡すと受け取ってはくれる。
「火が怖い?」
「あんな勢いよく…綺麗だけどさ」
「見ろよ。忍なんて二本持ちだぜ」
「うん。すごいなって言ったらずっとやってる」
「…止めてやれよ。怒られてるぞ」
先生の目を盗んでやっているよ。
「北条も、楽しそう」
「ギャルは楽しくて派手なのが好きだからな」
「へえ」
「いや…適当だけど」
「何だよそれ」
火のついていない花火を見つめながら亜季が笑う。
「…俺がさ、二本とも火つけて…つけたら亜季に渡すよ。怖くなったら俺に渡しなよ」
「……やってくれんの?」
「折角だし一本だけでもやらないか?」
「それじゃあ…」
火をつけたらどんな色になるだろうか。
周囲が花火の光と共に騒いでいるのを二人で歩き火をくれる場所へと行くと大塚さんが手を上げた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
大塚さんがきっと普段は煙草に火をつけているであろうライターに火を灯して近くの蝋燭につけてくれる。花火を火に近付けてすぐに炎の光が音を立てて輝き始める。
「亜季」
「お、おう」
「先持て先」
「こう?」
「上手上手」
「何か面倒見られてんな」
「……」
様子を見ていた大塚さんに笑いながらそう言われて亜季は恥ずかしいのか黙り込む。亜季が恥ずかしがっているのを感じながら自分の花火にも火をつけると音を立てて光の炎を撒かれる。
「…はー、これだよこれ久し振りだわ」
「意外と怖くないな」
「人に向けなきゃ危険なもんにはならないって」
「それもそうだな」
こうも楽しいのにそれは間違いなく高温の炎で危険が伴う。花火はずっと危険だとも分かりながらも人を楽しませて忘れる事の無い記憶を作る。
「楽しいだろ?」
「まあまあ」
「何だよ」
「楽しいよ。ちゃんと」
花火を持つ手を少し振ると光の炎が乱れて飛んでいく。
花火をしたことが無い。
亜季の家はそんな楽しいはずの思い出を作ろうとしなかったのか。
「……亜季」
「和彦、見てみろ」
「え?」
亜季が指差す方向には同じ花火をして楽しんでいる月人と野崎先輩がいる。野崎先輩が花火を高く掲げて降り注がせているように楽しんでいる。
月人はそれを一番近いところで見て笑っていた。
「本当に付き合ってるんだな」
「顔が違うな」
「見ろよ。あれが」
恋する顔だよと、笑いながら言えずにいた。
「……バカップルの顔だよ…」
「ひでぇな…」
「ごめん。嘘」
バカップルなんかじゃない。素敵な恋人同士だよ。末長くお幸せに。
「…ところでどうする?夏休み」
「兄貴のアパートにお邪魔するよ」
「そうか」
「甘えてみる事にする」
「それがいいって」
話を変えるために振った話題で安心する。
亜季が暗い顔をするような両親のもとに帰るぐらいならありのまま受け入れてくれるお兄さんの所で安心して過ごすのが一番いい。
「それじゃあ東京のお土産買って来てくれよ」
「覚えてたらな」
「ひでぇな」
今度会う時はお互いに過ごした場所のお土産を持って帰ろう。
花火に照らされたお互いの顔を見ながら笑い、花火は終わる。するともう花火は無くなり段々と静かになってくると花火大会はお開きになり、その後薊学園に来て初めての夏休みが始まった。
2000年の7月の事だった。
薊学園八期生、野木原雪
二年生の男子生徒。サッカー部所属であり生徒会にも属する真面目な性格。やや長めの前髪をピンで留めている。身長170センチ前半。普通体型。
誕生日10月31日




