97. 強さを求めて
春とはいえ、まだ厳しい寒さが残る外とは違い、キャビリンの内部は暖かく活気に満ちていた。
拠点として設営された大型の居住空間では、今日の討伐任務を終えた隊員たちがテーブルを囲み、食事を取りながら賑やかに談笑している。
漂ってくる肉とスパイスの香りが、冷え切った身体と空きっ腹を強烈に刺激した。
俺もそのテーブルの端に座り、温かいスープを一口飲む。
冷えた体を芯から溶かすような温かさに、ほっと小さく息を吐いた。
俺たちが合流しようとしている情報は事前に本隊へ伝わっていたらしい。
セシルは俺たちが向かっていると知り、わざわざ迎えに出てきてくれたのだ。
もし彼女の到着が数分遅れていたら、今ごろ俺たちは荒野の染みになっていたかもしれない。
「あの『白銀の妖精』と知り合いってマジかよ、あんちゃん」
隣から、少し興奮気味に声をかけられた。
声の主はここまで同行してくれた隊員の一人——オルクという名前の、どこか飄々とした優男だ。
「白銀の妖精……?」
聞き慣れない呼び名に、思わずスプーンを持つ手が止まった。
「なんだ、知らないのか? 最近、ロムサ支部じゃ超有名人なんだぜ。中央から異動してきた、とんでもない腕を持つ美少女剣士」
オルクは楽しそうに肩をすくめた。
ああ、なるほど。セシルの二つ名か。
確かに彼女にぴったりの名だ。
「初めて本物を見たけど、マジで可愛いな。あんなに強いのに、あんな可愛い顔してるなんて反則だろ」
オルクはチラリと視線を別のテーブルへと向け、にやにやと笑った。
「あれで、もうちょっと髪が長ければ最高なんだけどなー。個人的にはロング派なんだよ」
その何気ない一言に、胸の奥がチクリと痛んだ。
——髪が長ければ。
脳裏に、かつてのあの柔らかい髪がふわりと揺れる光景がよみがえる。
そして——。
『美しい髪だ。肉団子にするには少々惜しいが』
セシルの髪がグリムハルトの巨大な手に鷲掴みにされたあの瞬間。
手元のスープを見つめたまま、奥歯を噛み締めた。
短く切り揃えられたショートヘア。
以前よりも刀身が長くなった白銀の剣。
それが単なる気分転換だとは到底思えなかった。
彼女は強くなった。
あのフロストベヒモス二体を瞬殺するほどに。
だが、その強さの裏には、あの絶望的な戦いが少なからず影を落としているのではないだろうか。
セシルが変わった理由を考えているうちに、口にしたスープが急に味気なく感じられた。
「料理……口に合いませんか?」
「ん?」
穏やかな声が頭上から降ってきた。
ハッとして視線を上げると、テーブルの向かい側にトレイを手にしたセシルが立っていた。
ショートヘアから覗く白い首筋。
大きな瞳が小首を傾げてこちらを見つめている。
「ここ、いいですか?」
「ああ、もちろん。空いてるよ」
俺が慌てて答えると、セシルは「失礼します」と微笑み、向かいの席に腰を下ろした。
隣でオルクが「お、おおっ」と小さく息を呑み、急に背筋を伸ばしてスープを飲み始めた。
「お疲れ様です、ソウタさん。お怪我はありませんでしたか?」
トレイに乗った温かいシチューの湯気越しにセシルの顔が見える。
目の前にいる彼女は、俺の知っているセシルのままに見えた。
「さっきは本当に助かったよ。それにしても……あそこまで強くなっているとは、正直驚いた」
だが、俺の言葉を聞いたセシルはすっと視線を落とした。
テーブルの上で組まれた両手にわずかに力が入る。
「……まだまだです。今の私でもきっと……あの戦いでは、何の役にも立てなかったと思います」
——あの戦い。
俺は何も言えなくなった。
セシルの言う通りかもしれない。
彼女がどれほど剣の腕を磨いたところで、あの次元の化け物たちに太刀打ちできるかは分からない。
いや、そもそもあの領域についていけるのは、もはや人間じゃない気がする。
でも、だからといって彼女のこれまでの努力が、その白銀の剣の輝きが色褪せるわけじゃない。
俺がどう言葉を繋ぐべきか迷っていると、セシルは組んでいた手をほどき、顔を上げた。
「これ、すごくおいしいですよ。外はサクサク、中はお肉がとても柔らかくて」
そう言って、彼女は中央に置かれていた大皿から唐揚げを小皿にとった。
「ソウタさんも、どうぞ」
「あ、ああ。ありがとう」
「隣の……ええと」
「オ、オルクっす!」
「オルクさんも、どうぞ」
オルクはセシルから小皿を受け取りながら、顔を真っ赤にして裏返った声を上げていた。
……わかりやすい奴だな。
まあ、こんな美少女に笑顔で世話を焼かれたら、普通の男ならそうなるのも無理はない。
俺は取り分けてもらった唐揚げを頬張った。
サクッという小気味良い触感とともに刺激的なスパイスの香りが鼻を抜ける。
噛むと肉汁の旨味が口の中に広がった。
確かに美味い。
これは何個でもいけそうだ。
「それにしても、随分と大きいキャビリンだな」
温かい食事で一息ついた俺は、ぐるりと居住空間を見渡して言った。
以前、俺たちがノクセイアへの遠征で使っていたものよりもさらにひと回り、いやふた回りほど広い。
大人が十数人も集まっているのに、窮屈さをまったく感じさせない広さだ。
「ええ。私たちが遠征から持ち帰ったレポートをもとに、リュキアがすぐに改良版を発売したんです。マナ効率も良くなったのでこの特大サイズも追加されたみたいです」
セシルが誇らしげに教えてくれた。
「アレン隊長が前々から欲しがっていたので、中央本部はすぐにこれを発注したんですよ」
「へえ。アレンさん、念願叶ってご満悦だろうな。でも、ここは中央じゃないだろ? こっちでも買ったのか?」
「はい。ロムサの方は……ルミナさんが、スティグ支部長に売り込んで、半ば強引に買わせたみたいです」
……光景が目に浮かぶようだ。
『おじじ、これ買わないと時代遅れだよ! 部下のみんなが可哀想!』とかなんとか言って、あの仏頂面の支部長を丸め込んだのだろう。
スティグが深いため息をつきながらサインする姿が、ありありと浮かんできて思わず笑いがこみ上げた。
「まあ、隊員からすれば快適でいいよな。……ただ」
ふと、嫌な記憶が蘇る。
「あの電気風呂は、もうないよな……?」
あの悪魔的トラップ。
あれのおかげでひどい目に遭ったからな。
いくらヘルマン会長の趣味とはいえ、実売モデルではさすがに採用することはないだろう。
俺の切実な問いに、セシルはにっこりと微笑んだ。
「はい。電気風呂のスイッチは、押し間違えないように場所を変えてありましたよ」
……。
……そっちかよ。
一人で悶々としていると、横からツンツンと肘を突かれた。
オルクだ。
彼はセシルに聞こえないよう、俺の耳元でひそひそと囁いてきた。
「なぁ、あんちゃん。さっきから気になってたんだけどよ……」
「ん?」
「あんちゃんと、セシルちゃんって、もしかして……そういう関係なのか?」
そういう関係。
言わんとしていることはすぐに分かった。
「いや、まさか。そういうのじゃないよ」
正直に否定すると、オルクの顔がパァァッと明るくなった。
「マジか!? つまり……何もないと。ただの知り合いなんだな!?」
「まあ、そうだな。少しばかり寝食を共にしたことがあるだけさ」
「っしゃ!」
少し自慢も込めたつもりだったんだけど、オルクの耳には届いてないみたいだ。
……流石にラッキースケベのことまでは言えないよな。
オルクは大きく深呼吸をすると、バッと姿勢を正した。
そして、獲物を狙う鷹のように鋭い視線をセシルへと向ける。
——おい、まさか。
「あ、あのさ!」
オルクが突然、テーブルの向こうのセシルに向かって声を張り上げた。
周囲の隊員たちが何事かと一斉にこちらを見る。
当のセシルは、きょとんとしてスプーンを口元で止めていた。
「もし、もしよかったらでいいんだけど! 俺……俺と付き合ってくれないか!?」
直球勝負。
静まり返るキャビリンの食堂。
いやいやいや。
いくらなんでも唐突すぎるだろ。
ていうかお前、さっきロング派だって言ってたじゃないか。
俺は思わず天を仰ぎたくなった。
視線が一斉にセシルへ集まる。
当のセシルは、ぱちぱちと目を瞬かせた後、「ええと……」と困ったように眉を下げた。
まあ、断るに決まっている。
極北の地で、さらなる強さを求めて剣を振るっているのだ。
見ず知らずの男からの突然の告白を受け入れるはずがない。
「……いいですよ」
え。
今、なんと?
「ま、マジかよ!?」
俺の声と重なるように、オルクがバンッ! とテーブルを叩いて立ち上がった。
「よっしゃああああああっ!!」
ガッツポーズを決めて叫ぶオルク。
周囲の男たちから「抜け駆けしやがって!」「嘘だろあの野郎!」というどよめきと嫉妬の声が湧き上がった。
嘘だろ!?
なんであっさりOKしてるんだよ。
胸の奥が大きく疼いていた。
別に俺の恋人ってわけじゃない。
頭では分かっているのに、どうしようもない焦燥感が湧き上がってくる。
だが、セシルはオルクの歓喜を遮るように、静かに、そして微笑みを崩さないまま、言葉を付け足した。
「えっと……」
食堂が再び静まり返る。
「支部の訓練場で構いませんか? 訓練用ギアは使われますか? 私は木刀でいいですけど」
……。
ピシリ、と。
オルクの顔に浮かんでいた満面の笑みが、そのままの形で凍りついた。
「あ……えっと、それは……」
オルクの声が情けなくひっくり返る。
「私、今、強い方から色々と吸収したい時期なので。オルクさん、胸を貸していただけますか?」
天使のような笑顔で模擬戦の条件を確認するセシル。
……付き合うって、そういうことか。
胸の奥で渦巻いていた焦燥感がスッと消えていく。
相変わらずの天然っぷり。
やっぱり彼女は少しも変わっていない。
俺は、顔面蒼白になって固まっている隣のオルクの肩をポン、と優しく叩いた。
――ご愁傷様。
心の中でそっと呟き、冷めかけたスープを再び口へと運んだ。




