94. 紅茶と令嬢と
玄関での騒ぎもそのまま、ルミナに手を引かれリビングへと通された。
そこでは落ち着いた私服姿のセラさんが優雅にティーカップを傾けていた。
「あら、騒がしいですわね。一体何ご——」
言葉の途中、セラさんの視線が俺の背後へ釘付けになった。
そして。
口に含みかけていた紅茶を盛大に噴き出した。
「ブッ……!」
むせ返るセラさん。
いつもクールな彼女らしからぬ、見事な失態だ。
咳き込みながらも、鋭い視線が仮面のクロスタに向いていた。
学生時代の同期。そして彼女が一方的にライバル視している相手。
顔を隠していても気配で分かった様だ。
リビングの空気が一瞬で張り詰める。
まずい。このままだと何だか危ない気がする。
「あ、あのさ! ルミナ!」
俺は慌ててふたりの間に入り、強引に話題を振った。
「さっきのお嬢様みたいな振る舞いは何だったんだよ!? びっくりしたぞ!」
ルミナは「えへへ」と笑いながら、後頭部を掻いた。
「あー、あれね。最近、セラたんと『究極令嬢』っていうドラマにハマっててさ」
「究極令嬢?」
「そう! それで、紅茶を飲みながらどっちがより『令嬢度』が高いか競ってたんだよ。たー坊が来るってマリアっちから連絡があったから、たー坊にどっちが令嬢っぽいか決めてもらおうと思って」
なるほど。
……なるほど?
一瞬納得しかけたけど、よく考えたら微塵も分からない。
「どんな内容なんだ、それ」
「えっとね! 没落した貴族の娘が、拳ひとつで成り上がる下克上ストーリーなんだ。漫画版、全巻持ってるから貸すよ! 特に、トーナメント編の『セバス越え』は必見だから!」
……ちょっと待て。
タイトルと内容がまったく噛み合っていない。令嬢が拳でトーナメント? そもそもセバスって何だよ。
「あの、師であり育ての親でもあるセバスチャンを下すエピソードは涙なしには語れませんね。令嬢としての誇りと、武の極致が交差する名シーンです」
「へ?」
隣から飛んできた真顔のフォロー。
思わずそちらを見ると、口元をハンカチで拭ったセラさんが大真面目な顔で深く頷いている。
……セラさんって、そういうキャラだったっけ。
「ねえねえ、クロスタ先生も読む!? 絶対面白いから!」
ルミナが目を輝かせながら、まさかのクロスタにまで布教を始めた。
流石にそれは厳しいだろ。
この無愛想な天才技師にして犯罪者が、そんな違和感を集めて煮詰めた様な闇鍋マンガを読むわけが——。
「……漫画版も悪くないけれど、私は原作小説派ね。全巻読破しているわ」
——は?
「アニメやドラマは尺の都合で心理描写が削られがちだけど、あの『セバス越え』に至るまでの師弟の葛藤は、小説版でこそ真価を発揮するわ。あれは確かに必見ね。あなたも読むといいわ」
クロスタが面を外す。現れた素顔の口角がわずかに上がっていた。
これは……古参ファンの顔だ。
天才技師たち、揃いも揃ってオタク気質すぎるだろ。
「クロスタ先生も究極令嬢仲間だったんだ! 嬉しい!」
ルミナがぴょんぴょん跳ねて喜ぶ。
さっきまでの緊張はすっかりなくなっていた。
セラさんは悔しそうに唇を噛んでいる。
……令嬢度じゃなく、オタク度で負けたらしい。
「でも、本当に会えて嬉しいよ! あの時は敵みたいだったけど……」
ルミナが改まってクロスタの前に立つ。
背筋が伸び、視線がまっすぐクロスタへ向いていた。
「ボクが書いた論文が、初めて学術誌に掲載された時、査読を担当してくれたのがクロスタ先生だったでしょ?」
クロスタが僅かに顎を引いた。
「ボクの理論、突飛すぎるってなかなか認めてもらえなくて……。でも、先生が初めて評価してくれたんだ。それがすっごく嬉しくて、いつか直接お話ししてみたいってずっと思ってたの」
「マナ循環型貯蔵システムによる自律型術式生成機構の実現——あれは大変興味深かったわ。荒削りだけれど、既存の枠組みを根底から覆すアプローチだった」
あのクロスタが柔らかく微笑んでいる。
「……あなたが作った、その男のギアを見ればよくわかるわ。あの規模の出力を生身の人間が実現するなんて、これまでの常識ではあり得なかった事よ」
「博士……」
ルミナがクロスタを見つめる。
まさに技術者同士の共鳴だ。
「循環型貯蔵システムはまだ戦闘ギアには適用できてないんだ。小型化が難しくって。だから、あの出力はたー坊の素なんだ」
「え……?」
ルミナの一言にクロスタが固まった。
「あれが……ひとりの人間そのもの? 貯蔵システムの底上げ無しに? ……馬鹿げてる。あなた、一体何者なの」
「えーと、まあ……いろいろありまして」
流石に理由は言えなかった。
リビングに何とも言えない空気が流れる。
そんなとき、セラさんがコホンと小さく咳払いをした。
「それで、ソウタさん。今日はどのようなご用件でこちらへ?」
手元のティーカップをソーサーに戻し、いつものクールな表情で尋ねてくる。
ナイスセラさん! この中じゃ、一番頼りになる。
俺は姿勢を正し、ルミナへと向き直った。
「実はルミナに、頼みがあって来たんだ」
「えー! なになに? たー坊の頼みなら、なんだって聞いちゃうよ!」
どうやらマリアからそこは聞かされていないみたいだ。
ルミナは身を乗り出し、目を輝かせている。
俺は右手に装着した“無限の手”を軽く持ち上げた。
「このギアのメモリーを解析してほしいんだ」
「メモリーの解析?」
「ああ。グリムハルトとの戦いの最後、俺はこのギアの力で一度、元の時代に戻ってる。その時に使われた術式を割り出して、もう一度再現したいんだ」
そう告げた瞬間だった。
「……えっ」
ルミナの笑顔がスッと消える。
視線が俺の右手からゆっくり自分のつま先へと落ちていく。
「ルミナ?」
「あ……えーっと、それは……」
ルミナは両手をもじもじと組み合わせる。
そして、わざとらしく明るい声を作って顔を上げた。
「あはははっ! ご、ごめん! ボク、急に新作のアイデアが湧いてきちゃった! ちょっと忘れないうちに書き留めてくるね!」
「おい、ちょっと待てって——」
「じゃあね! ごゆっくりー!」
言うが早いか、ルミナは弾かれたようにリビングを飛び出していった。
バタン、と遠くで重い扉が閉まる音がする。
裏手の工房だろうか。
リビングが奇妙な沈黙に包まれる。
「……どうしたんだ、あいつ」
ルミナはいつも俺の頼みを二つ返事で引き受けてくれていた。
どんな無茶な要求でも、目を輝かせて「やってみる!」と楽しそうにしていたのに。
あんな風に、何かから逃げるような態度を見たのは初めてだ。
「……どうしてギアに『メモリー機能』が付いていると思う?」
沈黙を破ったのは、クロスタだった。
腕を組み、静かに問いかけてくる。
「どうしてって……戦闘の記録を残して、自分の動きを反省したり、後で報告書を書いたりするためじゃないのか?」
「甘いわね。そんな牧歌的な理由じゃないわ」
クロスタは低く鼻を鳴らした。
「それはね、『使用者がどのように命を落としたのか』を知るためよ」
「命を……落とした?」
「そう。どのような未知の敵と相対し、どのようにマナを消費し、どうやって殺されたのか。死の原因となるデータを回収して分析することで、致命的な欠陥を修正し、生存率を上げる。そうやってマギアは進化してきたのよ」
クロスタの言葉に息を呑んだ。
つまり、メモリーを解析するというのは、持ち主が死にゆく瞬間を追体験するようなものなのか。
「でも、俺は生きている。死の瞬間なんて記録されてないはずだ。見る必要もないのに、どうしてルミナはあんなに……」
「死んでいなくても、そうなり得た瞬間はあったはずよ。絶望、苦痛、そして死の恐怖。そういった生々しい感情へ触れることへの恐れもあるでしょうね」
あの地下空間での凄惨な戦い。
何度も死を覚悟し、体が内側から壊れていくような激痛を味わった。
ルミナはそれを直接覗き込むのが怖い……?
「……発想は買っていたけれど」
クロスタがやれやれと首を横に振る。
「覚悟もできていないのに戦闘ギアを手掛けるなんて、まだまだね。少々買いかぶりすぎだったかしら」
「……訂正していただきましょうか」
セラさんが紅茶のカップをソーサーにカチャリと置く。
「あの子は、あなたが思っているほど弱くはありません。ルミナを侮辱することは、私が許しません」
「あら? ずいぶんと威勢がいいのね。でも……」
クロスタは煽るように顔を近づけた。
「凡人のあなたに、天才の抱える機微が分かるのかしら? 学生時代からずっと、私に一度だって勝てたことのないあなたが」
「っ……! 一度だけ、実技テストで私がトップだったことがありましたよね!?」
「ああ、あのどうでもいい一教科のこと? あの時、私は外部からの仕事の依頼で忙しかったの。ただ勉強だけしていればいい、お気楽な学生と違ってね」
「あのテストは応用が求められる高度な術式構築でした! 言い訳が見苦くありませんか!?」
「事実を言ったまでよ。凡人の僻みかしら?」
……なんだこれ。
さっきまでのシリアスな空気はどこへ行ったんだ。
火花を散らして言い合う二人はまるで意地を張り合う学生だ。
クールな二人がこんなに感情的になるなんて。
ただ、この間に挟まれ続けるのはちょっと耐えがたい。
何もないのに肌がピリピリする。
「あ、あー……俺、ちょっとルミナの様子を見てきます!」
二人の口論から逃げるように立ち上がり、足早にリビングを後にした。
工房へ続く通路を歩きながら、クロスタの言葉を反芻する。
死の恐怖。絶望の追体験。
もしそうだとしたら、無理に頼むのは酷かもしれない。
でも、本当にそれだけなのか。
工房の扉の前に立つ。
ノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。
「ルミナ、入るぞ」
短く声をかけ、ゆっくりと扉を押し開けた。




