表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

76/78

76. 重なる心

 何もない。


 本当に、何もない。


 伸ばした右手は冷たい虚空を掴んだまま止まっていた。つい数秒前までそこにマリアがいたはずなのに。


 嘘だ。何かの間違いだ。

 ここで女神と会って惜しみながらも皆と別れるはずだった。あいつだって「清々するわ」なんて悪態つきながら、ちょっと寂しそうな顔を見せたに違いない。


 そうだ、これは夢だ。

 最強のギアを手に入れたんだ。現実ならどんな相手にも負けるはずがない。これはあの悪趣味な夢の続きだ。

 

 目が覚めたら「いつまで寝てんの」って声が飛んできて。でも最後に起きてくるセシルはお咎めなしで。ちょっとモヤっとしながら皆で朝食を囲むんだ。

 

 いつも心を真っすぐに抉ってくる毒舌。ふと見せる優しさと天使みたいな笑顔。オーロラの下で見せた寂しそうな表情。

 

 ――もう会えないなんて、そんなはずがない。


 でも目の前の空間は空っぽだった。どこまでも空っぽだった。


 死んだ。

 マリアが。


 俺のせいで。

 俺が「帰りたい」なんて願ったから。俺があいつに「ついてきてくれ」って頼んだから。


 ――俺が、殺した。


「あああ……」

 

「フハハハハ! いいドラマだったではないか。さて……これで少しは目を覚ましたか?」


 グリムハルトの声がどこか遠くから聞こえる。

 胸の奥で何かが溶けた。悲しみじゃない。恐怖でもない。もっと真っ黒なものだ。


「あァァァアアアァッ!!」


 喉から声が出ていた。

 理屈はいらない。計算もいらない。四肢がもげても構わない。目の前の化け物をこの手で八つ裂きにする。それだけだ。


 ギアにマナを叩き込む。床を蹴り砕き、一直線に突進した。


「マリアを……返せぇぇぇっ!!」


 振り上げた右拳に破壊のイメージを極限まで込める。


「やれやれ。本当にしぶといゴミだ」


 グリムハルトが指を鳴らした。

 瞬間。見えない壁が全身を横殴りに弾き飛ばす。防ぐ暇もなかった。


「が、はっ……!」

 

 体が飛び、床に叩きつけられる。肺から空気が絞り出され、視界が明滅した。


「女が死んで悲しいか? 安心しろ、すぐに忘れさせてやる。想像を絶する痛みと恐怖で塗り替えてやろう」


 立ち上がらなきゃ。あいつを殺さなきゃ。

 言うことを聞かない体を動かそうと足掻く。

 

 ――ぽたり。

 

 頬に冷たいものが落ちた。

 血か? 違う。

 

 視界が急に開けた。

 そこには俺を見下ろす顔があった。


「……颯太」

「ごめん、リゼ……。俺、何も、できなくて……マリアを、守れなかった……」

 

 泣きたかった。こんな結果を招いた自分自身を殴り殺したかった。

 けれどリゼはゆっくりと首を横に振った。

 

「……ちがう。颯太のせいじゃない」

 

 血塗れの頬をそっと包み込む彼女の手はひんやりと冷たい。それなのに、少しだけ温かく感じた。

 

「わたしのせい……。わたしが、弱かったから……」


 大きな碧い瞳から涙が落ちていた。空虚な闇はもうない。悲しみと、怒りと、光が戻っていた。


「目覚めたか、“無限”。待ちわびたぞ」


 俺たちを見下ろし、グリムハルトが歓喜に満ちた声を上げる。


「グリムハルト……」


 まだ涙の乾かない瞳が真っすぐに前を向く。


「素晴らしい。その眼だ。その眼を絶望に染め、我が物とする。これで私はより完全へと近づける」


 グリムハルトは一歩踏み出す。


「さて――まずは貴様の目の前で、そこのゴミ共を順に肉塊へ変えてやろう。その小僧にはあらゆる苦痛を与えた上で消し飛ばし、あの小娘共の首をねじ切る。そして最後に……絶望で完全に壊れきったお前を、ゆっくりと殺す」


 リゼは退かない。


「私は、あなたを許さない」


 静かで、一切の雑味が無い声だった。


「フハハッ! そうか。なら、どうする? 私を殺すか? だが、あの時の私と同じだと思わぬことだ」


 グリムハルトがマナを開放する。周囲の空気が歪む。


「……どうした? 一瞬で縊り切れてしまうほど、隙だらけだぞ」

「わたしはもう、魔法は使えない」

「何を言っている? ……いや、そうか。この場所は、あの女の……」


 グリムハルトは周囲を見渡し、低く呟いた。


「ククッ、傑作だ。あの女も消えていようとはな。加護を失い何もできなくなったか。本気の貴様を力で圧し潰したかったのだが……実に残念だ」

「わたしは戦えない。でも、颯太が、ここであなたを終わらせる」

「ソウタ……? まさか、そこのゴミのことか?」


 一瞬、表情が止まった。次いで、腹を抱えて笑い出す。


「クハハハハッ! 傑作だな! その這いつくばるゴミが私を終わらせるだと? 正気を失って幻覚でも見ているのか?」


 嘲笑が響く。

 全身の骨が悲鳴を上げ、まともに呼吸するのすら辛い。奴の言うとおり俺に何かできるとは思えない。

 

 リゼがゆっくりと俺の横にしゃがみこんできた。


「颯太、力を貸してほしい」

「……あいつに勝てるのか?」

「うん。でも、颯太にはつらいかもしれない」


 つらい?

 これ以上なんてない。


「なんでもやる……。あいつをぶっ殺せるなら、悪魔に魂だって売ってやる」


 リゼは頷いた。


「……目を、閉じて」


 言われるがまま目を閉じる。

 次の瞬間。俺の唇に柔らかく温かいものが触れた。


 ――え?


 思考が止まる。

 

 キス。

 間違いない。俺のファーストキス。ロマンチックとは程遠い最悪の状況。

 ……でも、不思議と嫌じゃなかった。


 触れ合った唇を通して何かが流れ込んでくる。情報と感情の濁流。脳を直接かき混ぜられるような。リゼの感情が、そのまま入って来る。


『わたしのせい』 『俺のせいだ』

『わたしが逃げたから』 『俺が帰りたいと願ったから』

『あの時、わたしがグリムハルトにとどめを刺さなかったから』 『俺が弱かったから』


 張り裂けそうな自責。俺の中にあるものと同じだった。


 『わたしが』 『俺が』

 

 『『マリアを殺した』』


 ふたつが混ざり合い、共鳴する。そして、ひとつになる。


 目を開けた。

 

 視界が違った。何もないはずの空間が無数の色と線で満たされている。大気中を淡く光る粒子。グリムハルトの身体からいくつも延びる、赤黒く歪んだ帯。

 これがリゼの見ている世界なのか。

 

 どこにどれだけのマナを干渉させればいいのか。あの重力の帯をどう断ち切るのか。最初から知っていたようにわかった。


「同化……! 自我を捨てたか! だが、そのゴミの魔力ではどうにもできまい」

「グリムハルト。お前は颯太を知らない。お前は颯太に勝てない」


 俺の口からリゼ言葉が出た。


 「……化け物が。戯言を」


 グリムハルトの顔から余裕の笑みが消えた。残された右目がこちらを見据える。


 俺――いや、俺たちはゆっくりと立ち上がった。さっきまで全身を縛っていた重圧が紙みたいに軽い。


「消えるのはお前だ」


 床を蹴り、奴へ真っすぐ飛び込む。


「舐めるなァッ!!」


 グリムハルトが咄嗟に重力の断層を展開した。

 だが。


 見える。奴の操るマナの流れ。向き。大きさ。どうすればいいか、わかる。


 そっと指先で触れる。ガラスが砕けるように崩れた。


「なっ――!?」


 その無防備な顔面へ、渾身の右拳を叩き込む。

 衝撃が空間を揺らす。巨体が吹き飛び、壁を突き破る。そのまま瓦礫の奥へめり込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ