100. 死角より迫る影
セシルの言葉を頭が処理しきれず、一瞬思考がフリーズした。
「壊滅って……拠点にはキャビリンがあったはずだろ? あれは魔物にマナを感知されないコーティングがされてるって」
「はい、そのはずです。支部から送られてきた通信によれば、新型の魔物にキャビリンが認識されているそうです」
「新型……どんな魔物なんだ?」
「討伐隊との通信が途切れる直前、無数の『触手』が見えたと」
触手。
その単語が出た瞬間、俺とセシルの視線がぶつかった。
「それって……」
「はい、おそらく」
セシルが唇を結んだままゆっくりと頷く。
——あの触手……女神が使役していた『ガーディアン』。
どうしてこんなところに。女神が消えても残っていて、それが暴走している?
「……とにかく急ごう。あと、このことはルミナには黙っておこう」
俺はソファから立ち上がり、上着を引っ掴んで袖に腕を通した。
「ルミナさんに?」
「ああ。キャビリンの安全性に問題があったなんて知れば、あいつは絶対に責任を感じる。危険だって分かってても、一緒に来るって言い出すに決まってる」
俺たちはルミナやヒルダさんを起こさないよう、足音を殺してリビングを抜けた。
玄関へ向かって暗い廊下をそっと歩いていた、その時。
「こんな時間にふたりでお出かけなんて、よっぽど仲良しなのね」
闇の中から低く平坦な声がした。
ビクッとして身構える。
壁に寄りかかり、腕を組んだ人影がうっすらと見える。
「クロスタ……博士」
「私も同行するわ」
「あんたは戦闘要員じゃないだろ。それに……」
「襲撃しているのがガーディアンなら、私にも責任がある」
クロスタにそう言われ、俺は続きを飲み込んだ。
カイムに協力し、ガーディアンの制御を奪っていたのは他でもない彼女だ。
「アレについては色々と調べて対処法も分かっているわ」
「……分かった。頼む」
頷き、冷え込んだ夜気の中へ飛び出した。
ロムサの街の“外”。
荒野は真っ暗で、底冷えする空気が肌を刺す。
あいにく、今夜は月明かりすらない。
一寸先は闇って感じだ。
——この環境で、討伐隊は戦っているのか……。
俺は“無限の手”にマナを流し込み、微弱な索敵の網を周囲に広げながら走った。
セシルが剣の柄に手をかけたまま隣を走る。
クロスタも遅れずついてきている。
ザワッ。
不意に、頭上の空気が不自然に揺れた。
——上か!
索敵の網に強い気配が引っかかった。
「避けろッ!」
俺は咄嗟に横へ身をかわす。
直後、さっきまでいた地面に何かが猛烈な勢いで激突した。
ドスッ、という重い音と同時に土塊が飛び散る。
上空を見上げる。
暗闇の中、バサバサと空気を打つ音が無数に重なり合っていた。
「来ます!」
セシルの鋭い声。
直後、頭上から複数の影が土砂降りのように降り注いできた。
暗闇の中で白銀の閃光が幾重にも瞬く。
居合のような速さで剣を抜いたセシルが、落下してくる影を次々と空中で両断していく。
斬られたそれは黒い霧となって散っていった。
セシルの剣をすり抜けた一体が、一直線にクロスタへ襲い掛かった。
まるで梟のような見た目の魔物だ。
鋭い鉤爪がクロスタの顔面に迫る。
「させない!」
俺は右手をかざし、対象の重力を極限まで高めるイメージを叩き込んだ。
クロスタの眼前まで迫っていた魔物が、見えない巨大な手にはたき落とされたみたいに地面へ叩きつけられる。
グシャリ。
嫌な音を立てて圧し潰され、そのまま黒い霧になって消えた。
「これで全部……だよな」
索敵には何の反応も無くなっていた。
真上から来るとは思わず少し油断していたが、もう大丈夫なはずだ。
「しかし、初めて見る魔物だな」
「ファントムオウルです。上空、かなりの高さから地上目掛けて急降下して襲い掛かってきます」
剣を収めながらセシルが落ち着いた声で答える。
「夜にしか活動しないため、遭遇すること自体が珍しいんです。戦闘経験のある隊員も少ないはず……厄介ですね」
上空からの無音の奇襲。
視界が効かないこの状況で、それは致命的だ。
「助かったわ」
背後でクロスタが服の埃を払いながら口を開いた。
「ただ、よりによって重力を選ぶなんて趣味が悪いわね。嫌なものを思い出すことになったわ」
「ぐ……」
助けてやったのに文句を言われる理不尽。
けど、言い返せない。咄嗟に頭に浮かんだのはあのグリムハルトが使っていた重力操作のイメージだった。
無意識のうちに見たことがある強烈なものに意識が引っ張られてしまう。我ながらセンスがないのは自覚している。
クロスタは俺の反応を鼻で笑うと、手首に装着した小さなデバイスのようなギアを指先で弾いた。
チッ、と微かな電子音が鳴る。
その瞬間。
視界を覆っていた闇が嘘のように晴れた。
「えっ……明るい?」
真昼とまではいかないまでも、周囲の岩肌のごつごつした凹凸までがはっきりと輪郭を伴って見えた。
「何をしたんだ?」
「あなたたちの視覚をギアで強化したのよ」
クロスタはデバイスを調整しながら続ける。
「マナを放射するから、周囲の魔物をより強く誘引することになる。でも、あなたたち二人は強い。見えないまま慎重に進むより、視認性を上げてさっさと殲滅してもらった方が生存確率が高いと判断したわ」
「へえ……そんなものもあるのか」
「以前はアルカナの売れ筋商品だったのよ。夜間戦闘の必需品としてね」
クロスタの声が少しだけ低くなる。
「でも、リュキアが可搬式キャビンを発売したせいで、夜間戦闘の機会そのものが減ったわ。おかげでこのギアの売り上げは激減。……忌々しい」
あ、これ触れちゃいけないやつだ。
クロスタの背後にどす黒いオーラが見えた気がした。
——キャビン。
その言葉を聞いて、ある記憶が頭をよぎった。
「あ……」
あの遠征のとき、リゼに教わってひたすらやっていたことがあるじゃないか。
どうしてこんな簡単なことを忘れていたんだ、俺は。
「ちょっと待っててくれ」
俺は『無限の手』にマナを流し込み、より遠くまで意識を広げた。
見えない糸を編むように、索敵の網を張り巡らせる。
頭の中にポツポツと敵の反応が浮かび上がった。
……ん?
思ったより少ないな。
昼間の敵の数からして、もっとうじゃうじゃいるかと思ったのに。
まあいい。位置さえ分かればこっちのものだ。
捉えた座標に向けてマナを爆発のイメージに変換して叩き込む。
遠くでくぐもった轟音が立て続けに響いた。
ものの数秒。
一帯の魔物の気配は完全に消え去った。
「最初からこうしてたらよかったな」
「……なんなの、今の」
クロスタが少し顔を引き攣らせていた。
あの無表情な彼女が明らかにドン引きしている。
俺は軽く肩を回し、ふぅ、と息を吐いた。
「これでもう安心だな。よし、さっさと討伐隊のところへ——」
余裕綽々で歩み出そうとした、その時だった。
「危ないっ!!」
セシルの鋭い悲鳴。
ドンッ、と横から強い力で突き飛ばされる。
「うわっ!」
地面に転がった瞬間、さっきまで立っていた場所を何かが通り過ぎた。
——なんだ!?
地面に手をついたまま、攻撃が飛んできた方向へ視線を向ける。
そこには。
「グオォォォォォッ……!!」
荒い息を吐き、白い息を煙のように噴き散らす巨体——フロストベヒモス。
背中を冷たい汗が伝った。
馬鹿な。
さっきの索敵で周囲の魔物は残らず爆破したはずだ。
こんなデカい反応を見落とすわけがない。
一体どうなってるんだ……?




