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誰も見ていない  作者: ナオ
第二部 継ぎ目
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13/30

第13章 颯太

テレビが、名前を言った。


事務所の控室の、壁の画面だった。昼のニュース。青い通路の映像が流れて、その下に字幕が出た。


「相馬颯太さん(17)」


俺は、携帯を開いた。


履歴に、彼の名前がある。長いメッセージの、送り主のところ。


ソウマ。


合っている。俺は正しい。俺の携帯は正しい。


画面の字幕が、もう一回出た。


「相馬颯太さん(17)」


俺は、携帯と画面を、交互に見た。五回見た。五回とも、携帯はソウマで、画面は颯太だった。


控室の明かりが、六つ、天井に埋まっていた。


◇◇◇


献花台は、ギルドの東口の脇にあった。


白い布をかけた長机に、花と、写真と、名札。名札は機械で刷ってあった。


相馬颯太。


花は、全部同じ向きで、同じ高さだった。同じ店で買って、同じ人が置いたみたいに、揃っていた。写真の彼は、新品の球と一緒に写っていて、笑っていた。ストローの袋を細く折るときの顔ではなかった。


俺はその前に立って、花を置いた。置いた花だけが、少し傾いた。直さなかった。


置いてから、受付の人に訊いた。


「あの、名前」

「はい」

「ソウマくん、ですよね」


受付の人は、名札を見た。それから、俺を見た。


「颯太さんです」

「はい。名字が、相馬で」

「ええ。相馬颯太さん」


間違っていない、という顔だった。俺を心配する顔でもなかった。


五分後に、別の人が来た。献花台の脇に立っていた人で、たぶん、遺族の側の人だった。その人は、俺の顔を見て、言った。


「颯太さんのことで、なにか」

「……いえ」


俺は、頭を下げて、階段を降りた。


二十二段。数えなくても、二十二段だった。


◇◇◇


切り抜きが回っていた。


『ソウマ、死ぬ』


五千万。


二十秒だった。青い通路と、途切れる通信と、字幕。字幕は「続きを――」で切れていた。切れたところで、数字が跳ねる。最初に戻る。また跳ねる。


次の日、同じ切り抜きを開いた。


『颯太、死ぬ』


五千万は、そのままだった。題だけが、変わっていた。


彼の望みどおりだった。見られる側に行って、数字になって、最初に戻るたびに跳ねる。三万二千を朝六時に持っていた子が、五千万になった。


食われた。


◇◇◇


事故の調査は、二週間で終わった。


事務所に、紙が来た。いちばん上に、正本として採用した映像の番号が書いてあった。二隊目の視点。五千万回の、元になった映像だ。


俺の球の映像は、七つのうちの一つだった。一つは一つで、五千万には勝てない。


正本には、俺の、戻りましょう、が入っていた。入っているのは、それだけだった。管制の声は、入っていなかった。管制は映らない。映らないものは、正本に残らない。撤退は認められません、は、どこにも書いていなかった。判断を出したのは、わたしです、も。


原因の欄に、一行あった。


 構造上の不備(施工記録なし)


三日で作られた通路を、誰が貼ったのかは、記録にない。球のレンズの指紋と、同じだった。誰の指かは、記録に残っていない。


名前の欄が、空いていた。


◇◇◇


彼女の脇腹は、三日で閉じた。


事務所の医務室で、白い布を剥がした。剥がした下に、赤いものはなかった。線が一本、薄く残っていた。


「閉じてるね」

「はい」

「三日で」

「はい」

「……一億三千万だもんね」


彼女は、布を畳んだ。畳んで、ごみ箱に入れた。入れてから、自分の左手を見た。薬指だけが、他の指より、まっすぐだった。


四日目に、線もなかった。


病院には、行かなかった。行くと、記録が残る。医務室は事務所の中にあって、中のことは、外に出ない。閉じた脇腹のことも、出なかった。閉じる前の脇腹は、どこにも残らなかった。


◇◇◇


ノートが、返ってきた。


事務所の人が持ってきた。遺品の整理で、元の持ち主に戻すものとして分けられていたという。綴じ直したコピー。角が丸い。背にテープ。


表紙に、二行。


 鳴海シキ

 ソウマ


油性ペンの字は、置換されていなかった。紙に書いたものは、手で直さないかぎり、そのままだった。


俺は、最後のページをめくった。


裏表紙の内側に、細い字があった。鉛筆で、隅のほうに。


 みかん箱


俺は、その四文字を見た。


〈六十円くらい出せ〉。〈五年!?〉。〈新規は黙って聞け〉。〈両方やろうとするから両方だめなんだよ〉。


一つずつ、声がついた。ファミレスで、ストローの袋を細く折りながら、よく喋っていた子の声だった。


一度も、名乗らなかった。


みかん箱、と、俺は声に出して読んだ。読める字だった。


俺は携帯で、みかん箱、を検索した。


該当なし。


夜の枠の一覧を開いた。石けんさんの名前は、四千一人いた。深夜二時さんの名前は、あった。


みかん箱さんの名前は、なかった。いた場所ごと、なかった。


置換は、検索にも及んだ。


◇◇◇


球の録音を開いた。


瑠璃の回廊の、合同中継の音声。俺の球が拾った、全部。


十四時二十一分に合わせた。


『鳴海さん、聞こえてますか。合ってますか』

「合ってます」

『よかった』

『じゃあ、うち、いったん右に寄ります。通り過ぎたあとの、三歩ですよね』

「正解です」


俺は、それを十一回再生した。


十一回とも、正解です、だった。


十一回とも、俺は、正解です、と言っていた。


あそこだけは、誰も直しに来なかった。切り抜きの題は直された。字幕は直された。献花台の名札は刷り直された。俺の球の中の十四時二十一分だけが、誰にも見られていないので、直されなかった。


石の下の水と、同じだった。誰も見ない。見ないので、動かない。


俺は、録音を止めた。


止めてから、壁を二回叩いた。川の手前の三階の壁は、一段で返る。厚い壁ではない。


◇◇◇


夜の配信は、四十一人だった。


「はい、こんばんは」


〈おつかれ〉

〈大丈夫?〉

〈瑠璃、見た〉

〈颯太くん……〉


「ソウマくんは」


俺は、そう言った。言ってから、止まった。


〈颯太な〉

〈颯太くんだよ〉

〈ソウマって誰〉

〈苗字でしょ〉


〈新規は黙って聞け〉


八文字だった。句読点がない。前に、同じことを打った人がいた。


一覧を開いた。


打ったのは、知らない名前だった。新しい名前で、古い打ち方をしていた。みかん箱さんの名前は、一覧のどこにもなかった。打ち方だけが、残っていた。残っている打ち方を、誰かが使っていた。使っている人は、それが誰の打ち方か、知らなかった。


「……壁の話をします」


俺は、そう言った。


三十分、壁の話をした。二層の三十八歩目の話だった。瑠璃の話はしなかった。誰も、訊かなかった。


◇◇◇


レイジさんに会ったのは、ギルドの休憩スペースだった。


自販機が三台と長椅子が四つ。床のタイルが端から浮いている。彼は長椅子に座って、缶を持っていた。飲んでいなかった。


「鳴海」

「はい」

「座れ」


俺は座った。この人の隣に座るのは、はじめてだった。四年、後ろを歩いた。隣には、座らなかった。


彼は、缶を見ていた。


「三隊目、四人戻った」

「はい」

「お前の声で」

「はい」

「礼は言わん」

「はい」

「言われる仕事じゃないだろう」


俺は頷いた。彼は、それを見ていなかった。


しばらく、どちらも喋らなかった。自販機が、勝手にごとりと鳴った。


「なあ、鳴海」

「はい」

「あいつ」


レイジさんは、缶の口を見ていた。


「颯太だったか、ソウマだったか」


俺は、口を開けた。


開けて、閉じた。


携帯の中では、ソウマだった。球の中では、ソウマだった。ノートの表紙では、ソウマだった。


画面の中では、颯太だった。名札では、颯太だった。遺族の側の人の口では、颯太だった。


俺は、どちらも持っていた。


「……わからないです」


俺は、そう言った。


レイジさんは、頷いた。


「俺もだ」


彼は立ち上がって、缶を長椅子に置いた。


置いていった。


外に出て、彼が空を見たかどうかは、俺の位置からは見えなかった。


◇◇◇


四畳半の、月に二日。


彼女は布団に座って、左手を膝に置いていた。


座卓の上に、指が一本、置いてあった。


第二関節から先。薬指。


彼女の左手の薬指は、第二関節で終わっていた。断面に、白い粉がついていた。石膏を割ったときの粉に似ていた。甘い匂いがした。


「外れるんですね」

「外れるよ」


彼女は、それを見なかった。自分の左手も見なかった。


「寝るとき、たまに。便利でしょ」


俺は、座卓の上のそれを、叩かなかった。


叩けば、縁も中心も同じ音がする。わかっている。


彼女は、恥ずかしがらなかった。俺の前で断面を出していることを、何とも思っていない顔だった。湯呑の水を見て笑った顔と、同じ顔だった。


「消して」


俺は、紐を引いた。


「消えました」

「ちゃんと消えた」

「はい」


三十一。


暗くなった。把握が、座卓の上の一本と、彼女の左手の四本を、別々に返してきた。


六分で、息が深くなった。


名前が変わった日も、嘘は一つ増えた。


変わらないものが、俺にはこれしかなかった。

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