第13章 颯太
テレビが、名前を言った。
事務所の控室の、壁の画面だった。昼のニュース。青い通路の映像が流れて、その下に字幕が出た。
「相馬颯太さん(17)」
俺は、携帯を開いた。
履歴に、彼の名前がある。長いメッセージの、送り主のところ。
ソウマ。
合っている。俺は正しい。俺の携帯は正しい。
画面の字幕が、もう一回出た。
「相馬颯太さん(17)」
俺は、携帯と画面を、交互に見た。五回見た。五回とも、携帯はソウマで、画面は颯太だった。
控室の明かりが、六つ、天井に埋まっていた。
◇◇◇
献花台は、ギルドの東口の脇にあった。
白い布をかけた長机に、花と、写真と、名札。名札は機械で刷ってあった。
相馬颯太。
花は、全部同じ向きで、同じ高さだった。同じ店で買って、同じ人が置いたみたいに、揃っていた。写真の彼は、新品の球と一緒に写っていて、笑っていた。ストローの袋を細く折るときの顔ではなかった。
俺はその前に立って、花を置いた。置いた花だけが、少し傾いた。直さなかった。
置いてから、受付の人に訊いた。
「あの、名前」
「はい」
「ソウマくん、ですよね」
受付の人は、名札を見た。それから、俺を見た。
「颯太さんです」
「はい。名字が、相馬で」
「ええ。相馬颯太さん」
間違っていない、という顔だった。俺を心配する顔でもなかった。
五分後に、別の人が来た。献花台の脇に立っていた人で、たぶん、遺族の側の人だった。その人は、俺の顔を見て、言った。
「颯太さんのことで、なにか」
「……いえ」
俺は、頭を下げて、階段を降りた。
二十二段。数えなくても、二十二段だった。
◇◇◇
切り抜きが回っていた。
『ソウマ、死ぬ』
五千万。
二十秒だった。青い通路と、途切れる通信と、字幕。字幕は「続きを――」で切れていた。切れたところで、数字が跳ねる。最初に戻る。また跳ねる。
次の日、同じ切り抜きを開いた。
『颯太、死ぬ』
五千万は、そのままだった。題だけが、変わっていた。
彼の望みどおりだった。見られる側に行って、数字になって、最初に戻るたびに跳ねる。三万二千を朝六時に持っていた子が、五千万になった。
食われた。
◇◇◇
事故の調査は、二週間で終わった。
事務所に、紙が来た。いちばん上に、正本として採用した映像の番号が書いてあった。二隊目の視点。五千万回の、元になった映像だ。
俺の球の映像は、七つのうちの一つだった。一つは一つで、五千万には勝てない。
正本には、俺の、戻りましょう、が入っていた。入っているのは、それだけだった。管制の声は、入っていなかった。管制は映らない。映らないものは、正本に残らない。撤退は認められません、は、どこにも書いていなかった。判断を出したのは、わたしです、も。
原因の欄に、一行あった。
構造上の不備(施工記録なし)
三日で作られた通路を、誰が貼ったのかは、記録にない。球のレンズの指紋と、同じだった。誰の指かは、記録に残っていない。
名前の欄が、空いていた。
◇◇◇
彼女の脇腹は、三日で閉じた。
事務所の医務室で、白い布を剥がした。剥がした下に、赤いものはなかった。線が一本、薄く残っていた。
「閉じてるね」
「はい」
「三日で」
「はい」
「……一億三千万だもんね」
彼女は、布を畳んだ。畳んで、ごみ箱に入れた。入れてから、自分の左手を見た。薬指だけが、他の指より、まっすぐだった。
四日目に、線もなかった。
病院には、行かなかった。行くと、記録が残る。医務室は事務所の中にあって、中のことは、外に出ない。閉じた脇腹のことも、出なかった。閉じる前の脇腹は、どこにも残らなかった。
◇◇◇
ノートが、返ってきた。
事務所の人が持ってきた。遺品の整理で、元の持ち主に戻すものとして分けられていたという。綴じ直したコピー。角が丸い。背にテープ。
表紙に、二行。
鳴海シキ
ソウマ
油性ペンの字は、置換されていなかった。紙に書いたものは、手で直さないかぎり、そのままだった。
俺は、最後のページをめくった。
裏表紙の内側に、細い字があった。鉛筆で、隅のほうに。
みかん箱
俺は、その四文字を見た。
〈六十円くらい出せ〉。〈五年!?〉。〈新規は黙って聞け〉。〈両方やろうとするから両方だめなんだよ〉。
一つずつ、声がついた。ファミレスで、ストローの袋を細く折りながら、よく喋っていた子の声だった。
一度も、名乗らなかった。
みかん箱、と、俺は声に出して読んだ。読める字だった。
俺は携帯で、みかん箱、を検索した。
該当なし。
夜の枠の一覧を開いた。石けんさんの名前は、四千一人いた。深夜二時さんの名前は、あった。
みかん箱さんの名前は、なかった。いた場所ごと、なかった。
置換は、検索にも及んだ。
◇◇◇
球の録音を開いた。
瑠璃の回廊の、合同中継の音声。俺の球が拾った、全部。
十四時二十一分に合わせた。
『鳴海さん、聞こえてますか。合ってますか』
「合ってます」
『よかった』
『じゃあ、うち、いったん右に寄ります。通り過ぎたあとの、三歩ですよね』
「正解です」
俺は、それを十一回再生した。
十一回とも、正解です、だった。
十一回とも、俺は、正解です、と言っていた。
あそこだけは、誰も直しに来なかった。切り抜きの題は直された。字幕は直された。献花台の名札は刷り直された。俺の球の中の十四時二十一分だけが、誰にも見られていないので、直されなかった。
石の下の水と、同じだった。誰も見ない。見ないので、動かない。
俺は、録音を止めた。
止めてから、壁を二回叩いた。川の手前の三階の壁は、一段で返る。厚い壁ではない。
◇◇◇
夜の配信は、四十一人だった。
「はい、こんばんは」
〈おつかれ〉
〈大丈夫?〉
〈瑠璃、見た〉
〈颯太くん……〉
「ソウマくんは」
俺は、そう言った。言ってから、止まった。
〈颯太な〉
〈颯太くんだよ〉
〈ソウマって誰〉
〈苗字でしょ〉
〈新規は黙って聞け〉
八文字だった。句読点がない。前に、同じことを打った人がいた。
一覧を開いた。
打ったのは、知らない名前だった。新しい名前で、古い打ち方をしていた。みかん箱さんの名前は、一覧のどこにもなかった。打ち方だけが、残っていた。残っている打ち方を、誰かが使っていた。使っている人は、それが誰の打ち方か、知らなかった。
「……壁の話をします」
俺は、そう言った。
三十分、壁の話をした。二層の三十八歩目の話だった。瑠璃の話はしなかった。誰も、訊かなかった。
◇◇◇
レイジさんに会ったのは、ギルドの休憩スペースだった。
自販機が三台と長椅子が四つ。床のタイルが端から浮いている。彼は長椅子に座って、缶を持っていた。飲んでいなかった。
「鳴海」
「はい」
「座れ」
俺は座った。この人の隣に座るのは、はじめてだった。四年、後ろを歩いた。隣には、座らなかった。
彼は、缶を見ていた。
「三隊目、四人戻った」
「はい」
「お前の声で」
「はい」
「礼は言わん」
「はい」
「言われる仕事じゃないだろう」
俺は頷いた。彼は、それを見ていなかった。
しばらく、どちらも喋らなかった。自販機が、勝手にごとりと鳴った。
「なあ、鳴海」
「はい」
「あいつ」
レイジさんは、缶の口を見ていた。
「颯太だったか、ソウマだったか」
俺は、口を開けた。
開けて、閉じた。
携帯の中では、ソウマだった。球の中では、ソウマだった。ノートの表紙では、ソウマだった。
画面の中では、颯太だった。名札では、颯太だった。遺族の側の人の口では、颯太だった。
俺は、どちらも持っていた。
「……わからないです」
俺は、そう言った。
レイジさんは、頷いた。
「俺もだ」
彼は立ち上がって、缶を長椅子に置いた。
置いていった。
外に出て、彼が空を見たかどうかは、俺の位置からは見えなかった。
◇◇◇
四畳半の、月に二日。
彼女は布団に座って、左手を膝に置いていた。
座卓の上に、指が一本、置いてあった。
第二関節から先。薬指。
彼女の左手の薬指は、第二関節で終わっていた。断面に、白い粉がついていた。石膏を割ったときの粉に似ていた。甘い匂いがした。
「外れるんですね」
「外れるよ」
彼女は、それを見なかった。自分の左手も見なかった。
「寝るとき、たまに。便利でしょ」
俺は、座卓の上のそれを、叩かなかった。
叩けば、縁も中心も同じ音がする。わかっている。
彼女は、恥ずかしがらなかった。俺の前で断面を出していることを、何とも思っていない顔だった。湯呑の水を見て笑った顔と、同じ顔だった。
「消して」
俺は、紐を引いた。
「消えました」
「ちゃんと消えた」
「はい」
三十一。
暗くなった。把握が、座卓の上の一本と、彼女の左手の四本を、別々に返してきた。
六分で、息が深くなった。
名前が変わった日も、嘘は一つ増えた。
変わらないものが、俺にはこれしかなかった。




