第10章 完
郵便受けに、封筒が一通あった。
機械が刷ったやつだ。宛名は登録番号。裏に糊の線が一本。俺は封の縁に親指をかけて、かけたまま、座卓の脚の横の山に置いた。
十一通になった。
事務所の人から、連絡が来ていた。ユキさんの証が、失効した。三か月の封筒が出たらしい。失効すると、三か月で、記録から名前が消える。窓口の人が、一年前に言ったとおりだ。
同じ連絡の中に、レイジさんのことも書いてあった。特級の二番手の隊で、先週、第八層を落とした。斧が映っていた。数字は八桁だった。いい判断でしたね、と事務所の人は書いていた。
トオルさんのことは、書いていなかった。
電気屋の前を通ったとき、彼はそこにいた。携帯を見ていた。画面は見えなかった。俺は声をかけなかった。フードをかぶっていたので、彼も気づかなかった。気づかないことに、気づいていたのかもしれない。
電気屋のテレビに、昼のニュースが映っていた。字幕が出ていた。「英雄、第九層へ」。英雄は、二人のことだった。俺の名前が、そこに入っていた。
その下の段に、小さい字幕があった。「第十層、来月公開」。まだ、ない層だった。
◇◇◇
月に二日のうちの、一日を、外れで使った。
事務所には言わなかった。車を断って、電車を二回乗り換えて、第一層の南へ降りた。
ギルドの公式地図には、もう、ここまで描かれている。突き当たりまで。三十七本ぶん、全部。俺の線は、公式の太さになって、窓口の横に貼ってある。
人が来る。三人。五人。先週は八人だったと、窓口の人が言っていた。苔を削りに来る。削って、帰る。
今日は、来なかった。
一本目の入口に、袋が一つ、置き忘れてあった。空だった。持ち主は、いなかった。俺はその横を通った。通り過ぎたあと、三歩、数えた。癖だ。
突き当たりの崩れた石は、そのままだった。崩れた石の角度も、そのままだった。俺は、いつもの場所に座って、天井と両側の壁を叩いた。石の山も、下から順に叩いた。石の上の、天井との隙間も、叩いた。返りは、石の返りだった。一時間かかった。何も変わっていなかった。
誰もいなかった。
彼女は、俺の隣に座って、フードを取った。
「ここ、まだあったね」
「はい」
「地図に載ったのに」
「載っても、なくならないので」
「そっか」
彼女は壁に背中を預けた。俺が叩いたばかりの壁だ。裏は、空ではない。確かめてある。
球は、浮かべていない。事務所の球は、持ってきていない。ライトだけの、小さいのを、床に置いた。文房具屋で買った、二つ目だ。光が、天井まで届かない。
◇◇◇
彼女は、しばらく喋った。
第九層の風の匂いのこと。握手会のこと。記者の笑い方のこと。事務所の人が、来月は第十層、と言ったこと。
「十層の下は、あるの」
「ないです。まだ」
「じゃあ、作るんだね」
「はい」
彼女は、指を折った。親指から。小指で、開いた。また親指に戻った。数は、合っていなかった。
「あなたの地図、まだ書く?」
「三十七本で、終わりです。この区画は」
「じゃあ、終わりだね」
「はい」
「終わったら、なにするの」
「……わからないです」
彼女は、ふうん、と言った。どちらの、ふうん、だったか、俺にはわからなかった。五年かけて覚えた耳が、そのときだけ、返りを取れなかった。
「ノートは」
彼女が言った。
「終わったら、どうするの」
「持ってます」
「誰にも見せないで」
「……一回、見せました」
「わたしに」
「はい」
「三千万に」
「……はい」
彼女は、自分の左手を見た。それから、俺の鞄を見た。底が、四角く張っている。
「もう、見せないよ」
彼女が言った。
「役に立っちゃったから」
俺は、何も言わなかった。公式の太さになった線は、役に立っている。人が来て、苔を削って、帰る。鞄の底の線は、まだ弱い。弱いまま、鞄の底にある。
「はい」
俺は、遅れて言った。
◇◇◇
「南の三本目の話、して」
彼女が言った。
「寝るまで」
「はい」
俺は、話した。三日に一度だけ水が増えること。増える日の前の晩は、返りが半拍ぶん鈍ること。いちばん書き直したページで、紙が薄くなっていること。鉛筆を強く当てると破れるので、弱く書くこと。公式の地図では、その線も、他と同じ太さになっていること。
彼女は、壁にもたれて聞いていた。
「同じ太さなんだ」
「はい」
「弱く書いたのに」
「はい」
「ふうん」
続きを待つほうだった。
「続きは、ないです」
「そっか」
◇◇◇
彼女は、横になった。
床は硬い。彼女は、それを気にしない。明るいところで寝てきた人は、床の硬さを気にしない。
「ねえ」
横になったまま、彼女が言った。
「はい」
「二人で独り、だね」
俺は、何も言わなかった。
彼女は、それ以上、何も言わなかった。言い直さなかった。
俺も、言い直さなかった。
◇◇◇
「消して」
俺は、床のライトに手を伸ばした。
「消えました」
「ちゃんと消えた」
「はい」
二十四。
暗くなった。俺の把握は、突き当たりの石の角度と、彼女の膝の角度と、左手の薬指の十一度を、返してきた。
石の上の、天井との隙間も、返ってきた。石の返りだった。誰もいなかった。
六分で、息が深くなった。
外れには、誰も来なかった。
(完)
幕間③ あなたは、次を押す
完、と書いてあった。
あなたは、画面を伏せかけて、伏せない。
指が、下へ動く。
次が、あった。
あなたは、それを不思議だと思わない。
次が、あった。




