第29話「伝えたいこと」
月曜日。
空はよく晴れていた。
教室では文化祭の準備が始まり、あちこちから楽しそうな声が聞こえる。
湊も机を運んだり、飾り付けを手伝ったりしていた。
「朝比奈ー。」
「その段ボールこっち!」
「分かった。」
忙しい一日だった。
昼休み。
湊は廊下で陽菜を見かけた。
「白石さん。」
声をかけようとして、足を止める。
陽菜は窓際で、小さくため息をついていた。
いつもの笑顔がない。
(……どうしたんだろう。)
胸が少しざわつく。
放課後。
図書室。
いつもなら、
「お疲れさま。」
と笑う陽菜が、今日は少し元気がない。
「何かあった?」
湊は自然に尋ねた。
陽菜は一瞬迷ってから、小さく笑う。
「大丈夫。」
「ちょっと文化祭のことでね。」
「クラスの準備が思うように進まなくて。」
「少しだけ落ち込んでただけ。」
湊は黙って聞く。
途中で励ましたり、
「気にしなくていいよ。」
とは言わない。
最後まで聞いてから、ゆっくり口を開く。
「白石さん。」
「うん?」
「今日、何かいいことあった?」
陽菜は少し驚く。
そして、小さく笑った。
「朝比奈くん。」
「それ、私が聞こうと思ってたのに。」
二人とも笑う。
「いいこと……か。」
陽菜は少し考える。
窓の外を見る。
夕日が校舎を赤く染めていた。
「文化祭は大変だった。」
「でも。」
「図書室に来たら、なんか落ち着いた。」
「あと。」
少し照れながら続ける。
「朝比奈くんが話を聞いてくれた。」
「それが今日のいいこと。」
湊は静かに頷く。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
(よかった。)
その一言が、心の中に浮かぶ。
(笑ってくれた。)
その笑顔を見た瞬間、自然と自分も笑っていた。
帰り道。
いつもの並木道。
少しだけ風が冷たくなってきた。
「また明日。」
駅の前で別れる。
陽菜が改札へ向かう。
その後ろ姿を見送りながら、湊は立ち止まる。
(やっぱり。)
(この人が笑ってると嬉しい。)
もう迷わなかった。
家へ帰る。
机に向かう。
宿題を開く。
でも鉛筆は進まない。
代わりに、ノートの隅へ小さく書く。
白石さんの今日を、少しだけいい日にしたい。
書いてから、小さく笑う。
(違う。)
首を横に振る。
もう一度書き直す。
これからも。
白石さんの今日を、少しだけいい日にしたい。
その一文を見つめる。
胸の奥が不思議なくらい穏やかだった。
翌朝。
登校中。
健太が隣に並ぶ。
「朝比奈。」
「ん?」
「なんか今日、機嫌いいな。」
湊は少し笑う。
「そうかな。」
「うん。」
「何かあった?」
少しだけ空を見上げる。
秋の空は高く澄んでいた。
「伝えたいことができた。」
健太は何も聞かなかった。
ただ笑って、
「そっか。」
とだけ答えた。
教室の扉を開ける。
陽菜がこちらを向いて笑う。
「おはよう。」
「おはよう。」
たったそれだけで、その朝は少しだけ特別になった。
湊は心の中で静かに決める。
(文化祭が終わったら。)
(伝えよう。)
「好き」だけじゃない。
もっと、自分たちらしい言葉で。




