第20話「その人の今日」
夏休み。
昼下がり。
陽菜は近所の書店へ来ていた。
夏休みの課題用の参考書を買うつもりだった。
冷房の効いた店内を歩いていると、
見覚えのある後ろ姿が目に入る。
朝比奈湊だった。
(偶然。)
声をかけようとして、足が止まる。
湊は児童書のコーナーにいた。
真剣な顔で本を選んでいる。
しばらくして一冊の本を手に取ると、そのままレジへ向かった。
(弟さんでもいるのかな。)
少し不思議に思いながら、陽菜も買い物を済ませる。
店を出ると、湊は近くの公園へ向かっていた。
少し距離を空けたまま歩いていると、
ベンチに座っていた小学生の女の子に声をかける。
「はい。」
紙袋からさっき買った本を取り出す。
「約束してた本。」
女の子の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとう!」
「夏休み、いっぱい読んでね。」
「うん!」
湊は少し話をして、笑顔で手を振る。
そのまま帰っていった。
陽菜はベンチの近くまで歩く。
女の子は嬉しそうに本を抱えていた。
「お兄ちゃん?」
「ううん。」
「図書館で仲良くなったお兄さん。」
「前に読みたいって言ったら、探してくれるって約束してくれたの。」
「本屋さん、何軒も回ってくれたんだって!」
女の子は宝物みたいに本を抱きしめる。
「優しいお兄さんなの!」
そう言って笑った。
帰り道。
陽菜は一人で歩く。
夏の空は高く、入道雲がゆっくり流れていた。
(朝比奈くんは。)
(誰かに好かれたいから優しいんじゃない。)
(ありがとうって言われたいからでもない。)
(その人が笑ってくれたら。)
(それだけで嬉しい人なんだ。)
自然と笑みがこぼれる。
(だから。)
(私も。)
(朝比奈くんが笑ってくれたら嬉しい。)
歩みが少し止まる。
胸の奥が、静かに熱くなる。
その気持ちは、もうごまかせなかった。
夜。
机に向かう。
夏休みの宿題を開く。
でも、鉛筆は進まない。
代わりにノートの端へ、小さく文字を書く。
「今日、何かいいことあった?」
その下に、自分で答える。
「朝比奈くんが笑っていた。」
それを見て、少しだけ照れてしまう。
そして、ノートを閉じる。
数日後。
友達とカフェ。
他愛ない話で盛り上がっていると、
美咲が突然聞いた。
「そういえば陽菜。」
「好きな人とかいるの?」
「え?」
「ほら、夏休みだし。」
「そういう話になるじゃん。」
みんなが笑う。
陽菜はストローをくるくる回しながら考える。
好きな人。
その言葉を頭の中で繰り返す。
思い浮かぶのは、一人だけ。
困っている人を助ける姿。
「ありがとう」と笑う顔。
「今日、何かいいことあった?」と聞く声。
そして、自分より誰かの笑顔を喜ぶ人。
自然と口元が緩む。
「……いる。」
友達が身を乗り出す。
「えっ、本当に!?」
陽菜は照れくさそうに笑う。
「うん。」
「その人が今日、笑っていてくれたら。」
「それだけで私も嬉しい人。」
そこまで言って、自分で気づく。
(ああ。)
(これが恋なんだ。)
帰り道。
夕焼けの空を見上げる。
スマートフォンを取り出す。
メッセージ画面を開く。
送ろうとして、やめる。
今日は用事はない。
だから送らない。
でも。
画面に映る名前を見ただけで、少し笑ってしまう。
「また学校が始まるの、楽しみだな。」
その小さな独り言とともに。




