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アガスティア  作者: 常若
第二章 青の勇者
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第五話 蛇神-⑧

「きい婆、ただいまっ!」


「おや、おやおやおや、ミナカちゃん……! ああ、本当に久しぶりだねぇ、元気だったかい!?」


 これは、いつの記憶だったかな。そうだ、確か──勇者としてヴィオラの村を旅立って、初めて故郷に帰った日だ。


 愉快な気持ちで封書を出して半月ほど。オルビオンに乗ってヴィオラへ帰ると、ウッドアーチの前ではきい婆をはじめ、村の人がわたしを待っていた。


「うん、元気だったよ!」


「そうかいそうかい……っとこりゃまぁ随分と大所帯だねぇ」


「ごきげんよう、御婦人。私はミナカ様の護衛を務める聖教騎士のグレッグ・アヴァンスと言う者です。大勢でのご訪問となってしまい申し訳ありません」


 帰郷の護衛、そして巡礼を兼ねてグレッグを筆頭に聖教騎士や司祭、助祭と列をなして村に帰ってきた。本当は一人でゆっくり故郷を楽しみたかったけど、私に選択肢はなかった。


 そして、もう一人。クィンちゃん──預言の勇者クィン・シャレムも、同行していた。


「あらご丁寧にどうも、儂はチイテルってもんです。村長が亡くなってからは何だかその役を押し付けられて、困ったもんさね。いやぁしかし、ミナカちゃんも立派になっちまって……!」


「こんにちは、おばさま。ミナカちゃんの友人の、クィンです。しばらくお世話になります」


「おやおや、ミナカちゃんのお友達かね! 可愛らしいお嬢さんだ、ぜひゆっくりしていっておくれ」


 笑顔で握手を交わすクィンちゃんときい婆……賑わいに満ちた空間、懐かしい感覚。


 あの夜に失われた平穏と幸福が、少しずつ……少しずつ、ヴィオラ村に戻ってきていた。


 そんな気がした……はずだった。





 ────ミナカ様。明日にはここを発ちます。くれぐれも、無断の外出はお控えくださいますよう。


「はぁーあ……せっかくの故郷なのに、台無し。最悪。グレッグのきかん坊」


 すっかり日も暮れた頃。わたしは一人、村の近くにある畔で腰を下ろし、傍に落ちた石英を水面に向かって投げている。


 すっかり村のみんなはお祭り騒ぎになって、聖教の人たちへ接待に走っている。きい婆もグレッグに乗せられて清酒で酔っ払う始末だ。


 終いにはわが家に帰っても、己の身一つ。あの家にはたくさんの思い出があったけど……今はそれが辛かった。


「なんか……楽しくないな……。これなら……帰ってくるんじゃなかった……」


 もっとみんなと色んな話をして、ヴィオラのことを聞いて、懐古に浸りたかった。


 わたしも……昔に戻りたかった。そんな時、背後から女の子の声がした。


「こんなところでなにしてるの、ミナカちゃん」


「……クィンちゃん…………」


 顔を埋めているわたしに、声を掛ける少女。振り向くとそこには、同年代にして、同じ勇者であるクィンちゃんの姿があった。


「グレッグのおじさまが慌ててた。ミナカ様が行方不明だって」


「知らない。……困っとけばいいよ」


 紫の花びらが顔を覗かせる、三日月の夜。暗闇を反射する湖面には、月が滲んでいた。


「綺麗な場所。良い故郷。ヴィオラの花が美しく咲く村──素敵」


「うん……でも。でもね。わたし、本当は一人で来たかったの。一人で帰ってきて、みんなと話して、自分を取り戻したかった。なのに……大所帯で宴みたいに騒いで、村の人たちは聖教の顔色を窺ってばっかで……」


 クィンちゃんは静かにわたしの横に並んで座る。


 まだ幼さが抜け切らないこの頃から、クィンちゃんはどこか大人びていた。


「でも、帰りたいと口にしたのは君だよ、ミナカちゃん。それとも、後悔してる?」


「今は……そうかも」


「はぁ……仕方ない。なら、私が素敵な帰郷にしてあげるよ」


「え……?」


 彼女は小さく笑うと、両手をわたしの頬に添えて視線を合わせる。


 吸い込まれそうな彼女の瞳と唇に、何故だが穏やかな気持ちになった。


「ヴィオラの別名。異邦の地ではこの花をスミレと呼ぶんだ」


「スミレ……?」


「そう。素敵な響きだと思わない? ヴィオラも素敵だけど、スミレにはまた違った趣きがある」


「じゃあ……そっか、ここは──スミレ湖畔なんだね」


「スミレ湖畔。ああ……実に、素敵な響きだ」


 クィンちゃんの言葉にわたしは共感した。スミレ。清涼感があって、すっと胸に入ってくる。声に出してみると、それが一層伝わった。


 この出来事が──彼女が、わたしの帰郷をかけがえのない思い出に変えてくれたんだった。


「クィンちゃん…………」


「なに?」


 そうだ。そうだった、あれから────────。


「────■■■■■。」


 けれど唐突に。引き裂かれるように。記憶は、そこで途切れていた。途切れて、しまった。






「おい……おい、ミナカ。大丈夫か」


「え……? あ、ルクスくん……うん。ごめん、ぼーっとしてた……」


「ったく、しっかりしてくれよっミナカさまっ! もう……目の前だぜ」


 呼吸を整える。大丈夫、大丈夫。視線を足元から前へと動かす。そこには蜷局を巻いてこちらを凝視する、蛇神の姿があった。


 そして──その瞳には、()()()の輝きが宿っていた。


「魔獣……ここにも、アンタたちはついて回るのか」


 蛇神────ヴィルコラ。蝶の羽に似た形状の耳に、鋭い瞳と伸縮する舌を持つ蛇の頭。蛇から逸脱した四肢を持つ、真珠の如き純白の胴体。そして──頑強な白き鱗を纏った三本指の腕に生えた、鳳凰の翼を模した七色に輝く蛇翼。


 この地に座した、その異質な存在が神聖さを漂わせる姿を顕現させるは────幽世(かくりよ)より世界を穢す、異界の白蛇。


「綺麗…………だね」


「白い蛇ね……確かに震えるぜ。……しっかしよ、この図体じゃ蛇というより竜だなおい?」


「……遠慮は要らない。()すべきことを()す、それだけだ」


「へっ、たりめぇだ。分かりやすくて良いぜ」


『BIGAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!』


 耳を(つんざ)くは、悲鳴の叫声。身を焦がすような痛苦から、救済を願うようなその声に。ミナカは敢然と歩み出る。


 ごめんね、今──────終わりをあげるから。

次回の更新は5月8日の21時を予定しています。


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