第86回 「どうでしょう、"囮作戦"なんてのは」
「寝られるかってんだ・・・」
結局、盛大な遅刻をかましたその夜だというのに、俺は朝方になるまで寝付けないでいた。こりゃ明日・・っていうか今日の朝も推して知るべしってさ。
あの娘は。
どうやらこんな俺のことを初めて好きだと言ってくれた、あの女の子は。
"でも英雄君は彼女いるじゃん。私、あんな可愛い子に勝てる気しないよ?"
そんな風に言っていた。
あそこで、俺とマナが、別に恋仲ではないと言ったら、どうなっていただろう? そもそも、確かめたわけではないが、マナは自称男なのだと暴露したなら、俺と魔術師の彼女は結ばれていたろうか。
いや。
止そう。
考えても仕方のない事なんだ。今更だし、それにそんな迷いはマナにも、あの魔術師の少女にも失礼だ。
"すっげぇ可愛い女の子でも、あたしと相棒どっちが大切なの? なんて迫ってくるヤツなんかよりは相棒を取るぞ"
ヴァルハラに居たころ。いつかの夜に、確かにそんなセリフを吐いた。
あの時俺は、自分勝手な理屈で詰め寄ってくる、はた迷惑な女を想像して、そんなことを宣ったわけだが。
"女の子の理屈"ってのは間違ってないかもしれない。実際、何かの間違いで俺が、二つおさげの彼女と付き合ったとして、彼女は"相棒"であるというポジションのマナを快く思わないだろう。
でも、こんな、何方に傾けても女の子を泣かせてしまう様な、悲劇の天秤みたいなものを想像していたわけじゃなかった。
「・・・・・ごめん」
暗い自室の天井を見上げながら、呟いた。
◇◆◇◆◇
「手慣れてきたなァ」
時間は過ぎて翌日・・というか前回作戦から考えて翌日深夜。俺は無感動に、別の言い方をすればそつなく、制圧作戦をこなしていた。
参加メンバーの編成から、二つおさげの少女は除外されていた。その事に内心感謝しつつも、顔には出さず、ただ今夜も別の制圧点に張り付く。
「くだらんにゃ。アタシを単純戦闘に使うんじゃないのにゃ」
代わりに、俺の隣でぶつぶつ言ってるのは、"ジャンローゼの暗黙の愛人"こと闇猫ルナ。ウンザリ顔で実際彼女自身も、戦闘にはあまり興味がなく、ジャンローゼの頼みでもなければ、積極的に対人戦闘などする事は無いという。
が。
彼女、無茶苦茶強い。
否、彼女が敵対勢力のプレイヤーを"殺してしまう"ことはほぼあり得ないのだが、問題はその武器だ。
武器というか・・・武器? と、言っていいのか。その両手にはめられた猫の手を模した縫いぐるみの様なグローブ。
およそ武器とも思えぬビジュアルのそれは"付き纏う愛"と言われるユニーク等級のレア武器。
数値的攻撃力は皆無で、相手を殺害することは決してできないのだが、問題は付随効果の方。
麻痺、睡眠、眩暈、さらに重アレルギー症だの発熱だの嘔吐感だの。それだけの種類のバッドステータスが実装されているゲーム側にも驚きだが、猫手には実に30に及ぶ状態異常付与効果が付いているという。
その一つ一つの発動率は5%程度だが、何しろ同時に発生する効果が多すぎて、一度の攻撃でまず間違いなくいずれか、あるいは複数のバッドステータスを相手に付与する。
"触れるだけでどんな相手も無力化"
というわけである。加えて、あの消えるような移動方法。敵陣に飛び込み、軽く体の一部を触れて回るだけで、阿鼻叫喚の地獄絵図の出来上がりだ。
そういえば初めて彼女を見かけた撤退戦の最後、相手の戦士は涙と鼻水まみれだったり、突然吐いたりと、すごいことになっていたな。
前回俺が、囮にされた味方にショックを受けていたことに配慮しての事なのか、今回は、ルナ嬢が敵陣に飛び込んで、すべての攻撃を鮮やかにかわしつつ無力化して回り、それを俺たちがとどめを刺して回るというものだった。
「もう全部これでいいんじゃないですかね・・・?」
あまりのお手軽さに、俺がそう呟くと、ジャンローゼが視線を泳がせる。
顔に出さないように、自然な動作で俺に近づくと、ボソリと耳打ちする。
「一回手伝ってもらうごとに、"荒縄で縛って鞭で殴打"を要求されるんだ・・・」
あのジャンローゼをして、ウンザリ顔にさせるほど激しいSMぷれいをご所望のようだ。このTWOで、いつ、どこでそんなことをやるのか、なんて疑問にも思ったが、あまりにくだらな過ぎて、溜息と共に吐き出す。
「ジャンさん一人の犠牲で、無料で制圧点が奪還できますね。どうでしょう、"囮作戦"なんてのは」
昨夜のやり返しのように、そんな皮肉を言ってみたものだが。
「いや、TWOって音響については妙にリアルじゃないか。あれでルナが"ああっそこにゃ!もっと強く!Ahhhhh!!"とかすごい乱れるもんだから。消音結界石とか魔石類の消費が凄くてねぇ」
あら現実的!
「あーもう! 終わったにゃ!? 終わったのにゃ!? アタシはもう帰るにゃ! 医療テントでフィルオーネが解毒剤が足りないって泣いてたにゃ! そっちの採取のが重要にゃ!」
そう言って、闇猫氏はまた消える様にバビュン、と居なくなる。
相も変わらず原因不明の高速移動だ。ジャンローゼの方を見やると、さっきまで闇猫氏が居た方のずっと遠くを眺めるように見ているわけだが、え、何? そっちに居るの? 見えてんの?
「あれで"採取系"なんだよなぁ」
ぼそりと呟いた、ジャンローゼの言に、俺はさらに顔を顰める。
「あんなに強いのに」
「彼女が戦闘で強いのは"あの武器ありき"だよ。実際俊敏さ特化のステータスは、もともと採取効率の為らしい」
ゲージアップする占領状態を横目に見やりながら、何か納得いかないものを感じる。
「納得しがたいですね」
「彼女の筋力値は、採取道具を振るうギリギリしかない。どうやってそんな極端なステータスにできたかなんてのもまた謎ではあるけど」
「そういや、このゲームってレベルアップごとにもらえるポイントを割り振るタイプじゃないですよね? 特化型ステータスなんて、どうやれば・・・」
「何にしろ、普通の武器で打ち合えば、マナちゃんにだって押し負けちゃうだろうね」
なるほど。AGIが攻防一体の万能ステータスであるなど、今や古い考え方か。
なにしろこのリアルさなのだ。TWOにおいてその戦闘状況はあまりにパターン化されにくい。必要ないステータスなどなく、さらに言えば何が一番重要かといってしまえば、それはきっとプレイヤー本人の判断力だろう。
此処までプレイヤースキルがモノを言うRPGってやつを俺はしたことがなかった。
今。
此処に至るまで、そんなこと想像したこともなかったが。
俺は、多分、剣で斬り合ってマナに勝てない。
それが何だか、情けなくて。
情けなくて。
ほんと、つくづく優しく無いゲームだな。
リアルで何もできない、特別な力もない奴が、ただ時間をかけることでだれでもヒーローになれるのがゲームなんじゃないのかよ。
ああいや・・・守るっつったって、惰性じゃ何もできない。マナより弱い俺が、彼女を守るために何ができる?
ぴこん。
ああ、こんな間の抜けた音だったか。前回の時は俺、泣き叫んでたもんな。
ワザと酷い言い方をすれば、昨日の夜、魔術師の少女を死なせたこの"制圧点"が占領される際の効果音が聞こえて、思考を中断してそちらに視線を向ける。
「制圧点の再占領を確認した。 今夜はこれで撤収」
ジャンローゼの言に、参加メンバーが皆無言で頷き、俺たち占領チームは祭事式典公園基地へと帰還した。
帰路に際し、俺はジャンローゼに近づいて今後の方針の調整を願い出た。
「────……」
「そうか。そうだな、そうしてくれた方がオレたちもやり易いかもね。人を割いてもいい」
ジャンローゼは俺の提案に、どういうわけかとても満足げに。それこそ俺が訝しむほどに満足げな顔をして頷いた。
くそ。どうしたって掌の上で転がされてる感がぬぐえない。こいつ。
この、そう年も変わらなそうな青年の方が、俺よりも何枚も上手だと否応が無しに意識させられながらも、俺は彼に頭を下げた。
「お願いします」
俺には、目的が──
目的が、在るからだ。
今日も夜が過ぎていく。
この二日間で。
薔薇十字の兄弟はローズウッド市の8割を再制圧し、前線はターヴァとの境界側である湖岸部へと迫っていた。




