初めてのオフ会は、避難所で
深夜一時の区民センターは、静かだった。
体育館の床には毛布が敷き詰められ、あちこちで小さな寝息が聞こえる。廊下の自販機には電気がついていて、炊き出しの残りのおにぎりと味噌汁が長机の上に並んでいる。その長机の端に、俺たちは三人で座っていた。俺と、ユイと、エルナ。
エルナは鎧を脱いで、地球側で借りたらしいジャージを着ていた。サイズが合っていなくて、袖を三回まくっている。
「レイ殿。これは、どう使うのですか」
彼女が持っているのは、割り箸だった。
「割るんだよ。こう、真ん中から」
「割る……」
エルナが真剣な顔で割り箸を左右に引くと、ぱき、と斜めに割れた。片方が極端に細い。
「……失敗しました」
「最初はみんなそうなる」
「レイ殿は、最初から綺麗に割れましたか」
「俺は割り箸を割るのに、三年かかった」
「嘘でしょ」
ユイが即座に言った。
「嘘だな」
エルナは、細い方の箸を見つめている。
「では、この道具は、割り方の練習も含めて使うものなのですね」
「そこまで深くない」
ユイは、おにぎりの山の前で真剣に選んでいた。梅、鮭、昆布、ツナマヨ。一つずつ手に取ってはラベルを見て、戻す。
「迷ってる?」
「鮭がいい。でも鮭、あと一個しかない」
「取れよ」
「レイは」
「俺は何でもいい」
「じゃあ取る」
即決だった。ユイは鮭を取って、それからツナマヨも取る。
「二個?」
「結界、四時間張ってたの。お腹すいてる」
「ごもっとも」
エルナは、炊き出しの味噌汁を一口飲んで、動きを止めた。
「……これは」
「味噌汁。口に合わない?」
「いえ。しょっぱいです。とても、しょっぱい」
「無理しなくていいよ。お茶もある」
「無理ではありません」
エルナは、もう一口飲む。
「リーベルの麦粥のほうが、おいしいです」
「……今、それ言う?」
ユイが噴き出した。
「言います。騎士は嘘をつきません。これはこれで良いものですが、リーベルの麦粥は、もっと甘くて、とろみがあって、上に焼いた玉ねぎが乗っていて」
「分かった分かった」
「パン屋のハンナの店の麦粥が、一番です」
その名前に、俺の手が止まる。パン屋。ゲームの防衛戦が終わった後、看板が道に落ちていた店だ。
「パン屋が、あるのか。リーベルに」
「あります。門前通りの、三軒目。窯がとても古くて、ハンナは毎朝、その窯の機嫌を取るところから一日を始めます」
エルナは、思い出すように目を細める。
「ハンナには、息子が二人います。上の子は、去年から窯番を手伝い始めて、パンをよく焦がします。下の子は、まだ小さくて、よく騎士団の詰所に遊びに来ます。私の盾を、触りたがって」
「……そうか」
ゲームで、俺はあの通りを何百回も走った。あの店は背景の建物で、パン屋の看板はただのテクスチャだった。窯があるかなんて、考えたこともない。
息子が二人いて、上の子がパンを焦がして、下の子が騎士の盾を触りたがる。そういう店だったのか。
「ハンナたちは、無事なのか」
「今日は、無事です。門前通りは、まだ魔物が少ない区画ですから」
エルナの声が、少しだけ硬くなる。
「ですが、王門が本当に開けば、門前通りは一番最初に……」
彼女は、言葉を切った。俺もユイも、それ以上は聞かなかった。
七十二時間。もう、残りは六十五時間を切っている。
気づくと、俺は手の中の画面を開いていた。
【レベル:1000】
さっきから、何度目だろう。開いて、見て、閉じて、また開く。
「レイ殿」
エルナが、首をかしげる。
「先ほどから、何もない場所を何度も見ていらっしゃいますが」
「見てない」
「見てたよ。五回」
ユイが味噌汁をすすりながら言った。
「数えてたのかよ」
「レベル上がってから、十二回」
「増えてる」
「途中から数えるの楽しくなっちゃって」
エルナが、不思議そうに俺とユイを見比べる。
「レベル、というのは、旅人の方々が言う、強さの印ですね。それが上がったのですか」
「上がった。今日、初めて。……六年ぶりに」
「六年」
エルナは少し考えて、それから真面目な顔で頷いた。
「それは、何度見ても良いと思います」
「だろ?」
「騎士団の昇格試験に通った日、私も、自分の名前が刻まれた札を、一晩中眺めていましたから」
ユイが、おにぎりを持ったまま、ふっと笑う。
「エルナさん、それ何年前?」
「五年前です」
「今でも眺める?」
「たまに」
「レイと同じじゃん」
「同じにすんな」
「同じです」
エルナまで乗った。夜中の区民センターで、三人で声を殺して笑う。隣の毛布で寝ていたおじさんが寝返りを打って、三人そろって口を押さえた。
それから少しして、エルナが静かに言った。
「レイ殿。ユイ殿」
「うん」
「私は、明日、リーベルへ戻ります。門前通りの人々に、こちら側のことを伝えなければなりません」
「俺たちも行く」
エルナが、目を瞬く。
「……よろしいのですか。お二人には、こちら側の暮らしが」
「パン屋、見たい」
それが、一番正直な理由だった。
「看板だけじゃなくて、窯のある店を。ハンナさんの焦げたパンも」
「焦げたのは、上の子です」
「そっちも見たい」
エルナは、しばらく俺の顔を見ていた。それから、ジャージの袖を一回まくり直して、言った。
「では、朝の焼き上がりに間に合うように、案内いたします」
その夜、俺は体育館の端の毛布で、四時間だけ眠った。眠る直前に、もう一回だけ、レベルの画面を開いた。
暗闇の向こうで、ユイが小さく「十三」と言った。




