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世界一位の続き 〜VRMMOのLv999が現実に残ったので、ゲーム知識で東京と異世界を攻略します〜  作者: 雅龍(がりゅう)
第一部 東京・王門

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10/21

地図にないパン屋

二日目の朝、小門をくぐった。


一歩目で、空気の匂いが変わる。排気ガスと湿ったアスファルトの匂いが消えて、薪の煙と、石の冷たさと、焼けた小麦の香りが来る。


足元は石畳で、両側に木と漆喰の家が並んでいる。屋根は赤茶色、窓枠は青。道の奥には、空を突くような灰色の城壁と、巨大な門の影が見える。


王門だ。


ゲームで見た角度と、ほとんど変わらない。違うのは、窓から洗濯物が垂れていること。誰かが水を撒いた跡が石畳に残っていて、猫が一匹、塀の上で俺たちを睨んでいること。


ゲームには、猫はいなかった。


「……レイ」


ユイが、小声で言った。


「すごいね」


「ああ」


それ以上、言葉が出てこない。


エルナが先に立って、門前通りを歩く。すれ違う住民は彼女に頭を下げ、それから後ろの俺たちを――特に俺の腰の剣を、ちらちらと見ていく。


「旅人の方だ」


「旅人の、本物の」


そういう囁きが聞こえてくる。本物の、ってどういう意味だ。聞く前に、エルナが立ち止まった。


「ここです」


三軒目の店で、木の看板に、麦の穂と丸いパンの絵が彫ってある。ゲームで瓦礫の中に落ちていたあの看板が、今はちゃんと店の上に掛かっていて、開いた扉の中から、湯気と小麦の焼ける匂いが流れてくる。


――ああ、これだ。


俺は、この匂いを嗅いだことがなかった。六年間、この店の前を何百回も通ったのに。


「エルナ様!」


店の奥から、恰幅のいい女性が出てきた。粉で白くなった前掛けに、腕まくりした太い腕。


「ハンナ。無事でしたか」


「無事も何も、窯の火を落とすわけにいかないでしょう。……こちらの方々は?」


「旅人の方です。レイ殿と、ユイ殿。昨夜、門の番人を止めてくださいました」


ハンナの目がまん丸になって、それから俺の手を、粉だらけの両手でつかんだ。


「あんたが! あの番人を!」


「あ、はい。ユイとエルナと、三人で」


「まあまあまあ!」


背中をばんばん叩かれた。痛い。Lv1000でも痛いものは痛い。


「上がって! 焼きたて食べてって!」


「いや、俺たち、手伝えることがあれば――」


「手伝い?」


ハンナの顔が急に真剣になって、店の奥を指さした。


煉瓦積みの窯の前で、十五、六歳くらいの少年が、鉄の道具を必死に木箱へ詰めている。長い柄のついたへらに、火かき棒、分厚い鉄板。どれも重そうで、少年は一つ持ち上げるたびに顔を赤くしている。


「エルナ様から、王門が開くかもしれないって聞いてね。窯は持っていけないけど、道具だけでも東区の親戚の家に移そうと思って」


「東区?」


「門から一番遠い区画です」


エルナが答える。


「ですが、東区へ行くには、門前の大通りを横切らなければなりません。今朝から、大通りには魔物がうろついていて」


「なるほど」


俺は窯の前まで歩いて、少年が持ち上げようとしていた鉄板を片手で持った。少年が、ぽかんと口を開ける。


「……え」


「これ、どこに置く?」


「は、箱の、一番下……」


置いた。次の鉄板も、その次も。少年――ハンナの上の息子で、マルクという名前だった――は最初こそ呆然と見ていたが、やがて俺の横で、詰める順番を指示し始める。


「へらは先を上に。曲がるから。火かき棒は布で巻いて。……あ、それは持ってかないです、焦げてるやつだから」


「焦げてる?」


「僕が焦がしたやつ。母さんに捨てろって言われてるけど、捨てられなくて」


焦げたパン用の天板で、真っ黒になっている。


「持ってく?」


「……持ってきます」


俺は焦げた天板も箱に入れた。その間、ユイは店先でハンナと話している。


「大通りを渡らずに東区へ行く道は、ないんですか」


「昔はあったのよ。城壁の内側を回る、古い回廊が」


「回廊?」


「門ができるより前の、大昔の通路。東区から門前通りまで、地面の下を通ってたって。でも、私の祖母の代にはもう閉じてたわ。入口に変な光の壁が張ってあって、誰も入れないの」


光の壁。ユイの目が、すっと細くなった。


「その入口、どこですか」


「教会の裏の、古井戸の横。……でも、本当に誰も入れないのよ?」


「見るだけです」


見るだけ、と言った時のユイの顔は、全然見るだけじゃなかった。


木箱が三つ、いっぱいになった。それを三つまとめて持ち上げると、マルクがまた口を開ける。


「旅人さん、力持ちですね」


「レベル1000だからな」


「せん……?」


「すごく強いってこと」


ユイが、店先から呆れた声を出した。


「レイ、それ子どもに自慢すること?」


「事実を言っただけだろ」


「顔が自慢してる」


結局、木箱は大通りを避けて裏道を三本回り、東区の親戚の家まで運んだ。途中で影狼が二匹出たが、マルクが「わっ」と言う前に終わった。


帰り道、ハンナが持たせてくれた焼きたてのパンは三つあって、どれも丸くて、表面がぱりっとしていて、割ると湯気が立つ。一口かじった。


……うまい。


小麦の味が、ちゃんとする。外は香ばしくて、中はもちもちしていて、ほんのり甘い。


「レイ。泣いてる?」


「泣いてない。湯気が目に入っただけだ」


「パンの湯気って、そんなに目に入る?」


「入る。こいつのは入る」


隣で黙ってパンを食べていたエルナが、ぽつりと言った。


「レイ殿。ハンナの窯は、百二十年前からあの場所にあります」


「……うん」


「ゲーム、というものの中で、この店がどうなったか。昨夜、少しだけユイ殿から聞きました」


俺は、パンを持ったまま立ち止まった。


「全部じゃないよ」


ユイが、すぐに口を挟む。


「看板が落ちてた、ってことだけ」


エルナは、首を横に振った。


「責めているのではありません。……ただ、その看板を、レイ殿はずっと覚えていらしたのですね」


覚えていた。勝利のファンファーレの中で、瓦礫の上に落ちた看板を。


「今度は」


俺は、残りのパンを口に放り込む。


「看板、落とさせない」


エルナは何も言わずに、ただ鎧の胸に手を当てて、小さく頭を下げた。それから三人で、教会の裏へ向かう。古井戸の横の、光の壁を見に。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。明日から毎日更新します。

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