技の終わりを変えてみる
夜の九時を回っても、地図の赤い点は消えなかった。
避難所になった区民センターの前で、俺とユイは一時間だけ休むことにした。乾パンをかじりながら、配られた毛布の端に座る。電車は止まり、道路は救急車と消防車で埋まっていて、テレビの中では、世界中の都市で似たような映像が流れている。ニューヨーク。ソウル。ロンドン。
どこも、全部が壊れているわけじゃない。駅一つ、公園一つ、交差点一つ。そういう単位で、向こうの何かが滲み出している。
「レイ」
ユイが毛布から顔を出した。
「天断、さっき撃った時さ」
「うん」
「舗装、二十メートルくらい削れてた」
「……見てた?」
「見てた。あれ、奥に人がいたらどうなってた?」
分かっている。撃った瞬間、手応えより先に、刃の先がどこまで届くかを考えた。考えて、あの角度なら誰もいないと判断したし、その判断は合っていた。
でも、毎回、奥が空いている保証はない。ゲームの天断は、放ったら最後まで飛ぶ。射程は決まっていて、止める操作はない。
「止められるか、試したい」
「どこで」
俺は地図の、灰色の区画を指す。再開発で立ち退きが終わった、更地と空きビルの並ぶ一角で、赤い点が一つだけぽつんと光っている。
「ここ。人がいない。たぶん小物が一匹」
「たぶん」
「行けば分かる」
ユイは毛布をたたんだ。
「私も試したいことある。行く」
更地には、フェンスと雑草と、潰れた自販機がある。赤い点の正体は、膝の高さほどの岩蜥蜴が三匹。ゲームでは初心者が最初に倒す、尻尾の硬いトカゲだ。
「三匹いたよ。たぶん一匹って言ったのに」
「たぶんって言った」
「言い訳が早い」
一匹目は、普通に斬った。二匹目で、試す。
天断を放つ。ただし、刃から光が離れた直後に、自分の中の流れを――握る。剣を振り切るのではなく、振り終わりの手首で、出ていく魔力の尻尾をつかむ感覚。
光が、蜥蜴の三歩手前で弾けて散った。蜥蜴は無傷で、ぽかんとこっちを見ている。
「止まりすぎ」
「止まりすぎたな」
「三歩手前で止まってどうするの」
「今のは練習だ。今のは」
もう一度。今度は、握るのをわずかに遅らせる。刃が蜥蜴の身体を抜けて、その一歩奥で、ふっと消える感触があった。
蜥蜴が二つに分かれた。その後ろの雑草は、一本も揺れていない。
「……あ」
「おお」
ユイが身を乗り出す横で、俺は自分の手を見る。ゲームでは、どれだけやってもできなかった。発動したら最後まで決まった通りに飛ぶ、そういう仕様だった。ここでは、最後まで自分で触れる。
【技能派生:天断・短止】
視界の端に、小さな表示が出た。
「名前ついた」
「何て」
「短止」
「そのまんまだ」
「分かりやすいのはいいことだろ」
心臓がうるさい。新しいスキルツリーが、目の前で一本、勝手に生えた。
もっと試したい。もっと短く。もっと鋭く。止める位置を、刃先から一センチで――
「レイ。顔」
「顔?」
「ゲームで新ボス見つけた時の顔してる」
「してない」
「してる。口が半開き」
閉じた。
三匹目の蜥蜴が、俺たちの言い合いの隙に逃げようとしている。それも短止で斬ると、今度は狙った場所の三十センチ奥で消えた。まだ荒い。でも、つかんだ。
「ユイの試したいことは?」
「これ」
ユイが手を上げると、いつもの結界が更地に一枚立った。ゲームでは、張ったら固定。位置を変えるには、一度消して張り直すしかなかった。
彼女はその端を見つめて、指を少しだけ動かす。
結界の右端が、きし、と音を立てて――手前へ一歩分、折れた。
「……動いた」
「動いたな」
「張ったまま、動いた」
ユイの目が、さっきの俺と同じになっている。
「ユイ。顔」
「うるさい」
彼女は結界の端を、また動かした。今度は奥へ、それから上へ。消さずに、形だけを変えていく。
「これ、すごいよ。張り直さなくていいなら、避難の途中で通路の幅を変えられる。人が詰まったら広げて、魔物が来たら狭めて」
「仮設の動線を、本番中に変えられるわけだ」
「そう。そうなの。搬入口を開けたまま、客の動線を……ごめん、仕事の話」
「いいよ。分かる」
分かる。俺にも、今のが仕事の話じゃなく、ユイが一番好きな種類の話だということくらいは。
更地のフェンスにもたれて、二人で少し休んだ。夜風が冷たく、遠くでサイレンが鳴り続けている。
「私たちだけかな、これ」
「何が」
「技が変わるの。レベル上限がないのも」
「たぶん違う」
俺は、さっきから視界の端にちらついている通知を開いた。フレンド一覧のオンラインの表示に、何十人もの名前が今もつながっている。
「ゲームでできなかったことが、ここではできる。俺だけの特典じゃなくて、そういう世界になったんだろ」
「じゃあ、みんな強くなれる」
「なれる。俺も負けないけど」
「出た」
「事実だろ」
ユイが小さく笑って、それから真面目な顔に戻る。
「戦えない人のほうが、多いよ」
「ああ」
さっき角材を運んでくれた男性は、レベル一だった。避難所にいた人たちの大半も、たぶんそうだ。俺たちは強くなれる。でも、それで全員を守れるわけじゃない。
全員のところへは、行けない。
「……行けないなら、知ってることを渡すか」
「渡す?」
「攻略情報。灰猟犬は外周を回るから、建物の角に寄るな、とか。装甲竜は額じゃなくて首。そういうの」
「それ、レイが全部書くの?」
「まさか。俺の文章、致命的に分かりにくいって評判だろ」
「自覚あったんだ」
「お前が三年言い続けたからな」
俺はフレンド一覧の中から、一つの名前を選んだ。
【TOMA】
攻略サイトの管理人。情報屋。俺の攻略動画を勝手に切り抜いて、勝手に解説を付けて、勝手に再生数を稼いでいた男。
文章だけは、俺の百倍分かりやすい。




