明日の予定
五日目の朝、門前通りで炊き出しが始まった。
ハンナの店の前に、長机が三つ並ぶ。一つ目の机にはリーベルの麦粥。大鍋でとろとろに煮込んで、上に焼いた玉ねぎが乗っている。二つ目の机には、宮坂さんの隊が運んできた地球の味噌汁とおにぎり。三つ目の机には、ハンナが一晩中焼き続けた丸いパン。リーベルの住民と、地球から手伝いに来た人たちが、同じ列に並んでいる。
「……こっちの粥、甘いな」
佐伯さんが、麦粥をすすって目を丸くしている。
「玉ねぎが甘いんだ。うまい」
その横では、マルクが味噌汁を一口飲んで、顔をしかめている。
「しょっぱい」
「だろ」
「でも、なんか……あったかい」
マルクは、もう一口飲んだ。
俺の隣では、エルナが麦粥をすすりながら、勝ち誇った顔をしている。
「言ったでしょう。リーベルの麦粥のほうが、おいしいと」
「味噌汁もうまいって言ってたやつがいるぞ。お前、初日の夜も味噌汁飲んでなかったか」
「……二杯だけです」
「二杯飲んでるじゃん」
ユイが、パンをちぎりながら笑った。
通りのあちこちで、再会が起きている。東区の親戚の家に避難していた家族が、門前通りの自宅に戻ってきて、近所の人と抱き合っている。地球側の体育館に避難していたリーベルの子どもが、母親を見つけて走っていく。陶工の老人は、エルナの前に来て深々と頭を下げている。
「窯、ありがとうございました」
「火を落としただけです。窯は、あなたが百年使ってきたからこそ、割れなかったのでしょう」
「百年も使っとらん。六十年だ」
「では、六十年分です」
老人は笑って、それからまた頭を下げる。
昼前に、騎士団長が俺のところに来た。白髪混じりの背の高い男で、エルナの上官だ。昨日は王門の反対側の城壁で、別の部隊を指揮していたらしい。
「旅人の方。レイ殿。リーベル騎士団を代表して、礼を言う」
騎士団長は深く頭を下げ、それから革の袋を差し出した。ずしりと重い。
「謝礼だ。リーベルの金貨で、五十枚。こちらの世界で使えるかは分からんが」
「……いいんですか」
「当然だ。君は、門の将を倒し、核を止めた。騎士団が百年かけても、できなかったことだ」
俺は少し迷って、それから受け取った。断る理由がない。俺は戦って、勝った。報酬をもらって、何が悪い。
「ありがとうございます」
「それと、もう一つ」
騎士団長が出したのは、一枚の金属の札だった。青い塔と剣の紋章で、リーベル騎士団の旗と同じ印だ。
「リーベルの通行証だ。これがあれば、王門をいつでも通れる。……こちらから頼むのも妙な話だが、また来てくれ。今度は、戦い以外で」
「戦い以外?」
「パンを食べに、でもいい」
騎士団長が少しだけ笑って、俺も笑った。
「来ます。パン、うまいので」
回廊で拾った記録の板も、正式に借りることになった。調べ終わったら返す、という約束で。騎士団長はむしろ「あれが何なのか分かったら教えてくれ」と言っていた。誰も入れなかった回廊のものは、誰にも分からないらしい。
昼過ぎ、ハンナの道具を東区から門前通りに戻した。木箱三つを、行きと同じように俺がまとめて持つと、マルクがまた口を開ける。
「旅人さん、この前よりもっと強くなってます?」
「レベル1003だからな」
「せん……さん?」
「三つ上がった。六年間、一つも上がらなかったんだぞ」
「三つって、すごいんですか」
「すごい」
マルクは、よく分からない顔で頷いた。後ろから、ユイが呆れた声を出す。
「レイ、また子どもに自慢してる」
「事実だろ」
「マルクくん。この人の『すごい』は、半分くらいで聞いといていいからね」
「半分でもすごいだろ」
木箱を店の奥に下ろすと、マルクが一番下から、真っ黒な天板を取り出した。自分が焦がした、捨てられなかった天板だ。
「これ、母さんに見せる」
「捨てろって言われるんじゃないか」
「言われる。でも、今日は捨てないって言う」
マルクは天板を抱えて、窯の方へ走っていく。
夕方、門前通りの端の小さな噴水の縁に、ユイと二人で座った。通りはまだ片づけの途中だったが、店の半分はもう開いていて、パン屋の窯から煙が上がっている。
「レイ。土曜日、過ぎちゃったね」
ユイが、空を見ながら言った。
土曜日。初めて会って、昼飯を食べる約束をしていた日。本当なら二日前で、その日、俺たちは東区へ荷物を運んで、午後は公園で星喰いを試していた。
「……過ぎたな」
「あのハンバーグの店、予約してたんだよ。キャンセルの連絡、入れ忘れた」
「店、開いてたかな」
「たぶん閉まってた。あの辺、避難区域だったし」
ユイは少し黙って、それから、ぽつりと言った。
「やり直したい」
「何を」
「土曜日。普通の土曜日。剣持ってない日に、待ち合わせして、ハンバーグ食べて、そのへん歩いて、帰るやつ」
普通の土曜日。この五日間、一度もなかったもの。
「いつ」
「分かんない。でも、落ち着いたら。……レイが、また次の何かに行っても」
次の何か。ユイはもう分かっている。俺が、たぶん、ここで止まらないことを。
「どこ行っても、帰ってきたら、やる」
俺は言った。
「約束する。剣持ってない土曜日」
「ほんとに?」
「ほんとに」
ユイは少しだけ俺の方を見て、それから噴水の水面に目を落とす。
「ハンバーグ、私、二つ頼むからね」
「二つ?」
「土曜日の分と、今日までの分」
「……一つ分は、俺が払う」
「両方レイが払ってもいいんだよ。金貨五十枚もらったんでしょ」
「あれ、円に換えられるか分かんないんだよ」
「じゃあ、換えられたら」
「換えられたらな」
ユイが、笑った。
噴水の水の音と、パン屋の窯の匂いと、通りの片づけの声。その中で、ユイの笑い声が一番近かった。




