相棒の側の勝利
ユイは、採石場の縁に立っていた。
すり鉢状の窪地の、一番高い場所だ。そこから門の方角へ向けて、まだ何もない空間に、結界の起点となる柱を三本立ててある。レイが核の逆流を曲げたら、その流れを受け止めて窪地の底まで導くための、通路の入口だ。
その入口を、騎兵が十騎、取り囲もうとしている。軍勢の本隊から、いつの間にか分かれていたらしい。門前通りの大通りを抜け、東区の結界の幕を避けて、城壁沿いに回り込んできた。
狙いは明らかに、この柱だ。ここを壊されたら、レイの手順が成り立たない。
『ユイさん! レイくんに戻ってもらう? 今、将と――』
「呼ばないで」
ユイは、即座に言った。
「レイは、将に集中させて。呼んだら、手順が崩れる」
『でも、騎兵が十――』
「十なら、なんとかする」
なんとかする、と言ってから、自分でも少し驚いた。
ゲームの中で、ユイが一人で十体の敵を相手にしたことは、ほとんどなかった。いつもレイがいた。レイが前で斬って、ユイが後ろで場所を作る。それが四年間の、二人の形だった。
でも今、レイはいない。いないなら、自分で作るしかない。
騎兵の一騎目が、柱へ向かって突っ込んでくる。ユイは手を上げ、騎兵の正面に結界を一枚、斜めに張った。騎兵の獣が、壁にぶつかる。
――壊れない。
ゲームでは、ユイの結界は「張ったら固定」だった。でも、今の結界は違う。最初の夜、更地で覚えた。張ったまま、形を変えられる。
ぶつかった瞬間に、壁の角度を少しだけ変えた。騎兵の突進の力が壁の表面を滑って横へ逸れ、獣が勢いのまま隣の騎兵にぶつかる。二騎が、もつれて転んだ。
――流せる。
止めるんじゃなくて、流す。展示会の会場で、開場直後に押し寄せる来場者を、通路の角度で左右に振り分けるのと同じだ。正面から受け止めたら、人は詰まる。角度をつければ、流れる。
三騎目と四騎目が、左右から挟みに来る。ユイは左右に一枚ずつ壁を立て、二枚の角度を同時に変えた。左の騎兵は右へ、右の騎兵は左へ。
二騎が、正面から衝突した。
「……やった」
思わず、声が出た。
でも、まだ六騎残っている。残りの六騎は学んでいた。一騎ずつ突っ込むのをやめて距離を取り、円を描くように柱の周りを回り始める。灰猟犬と同じだ。外周を回って、隙を探している。
弓を持った騎兵が二騎いて、柱を狙って矢が飛んでくる。
ユイは柱の前に壁を立てた。矢が壁に当たって――跳ね返った。
壁の表面で、矢が来た方向へ戻っていく。ユイは、自分でも目を見開いた。
狙ったわけじゃない。ただ、矢が当たる瞬間に、壁を少しだけ手前に傾けた。止めるより流す方が楽だと思ったから。それが、跳ね返す角度になっていた。
戻った矢が、弓を持った騎兵の獣の足元に突き刺さった。獣が驚いて棹立ちになり、騎手が振り落とされる。
――これ、使える。
二本目の矢は、狙って傾けた。矢は正確に、もう一騎の弓兵の獣の前に戻り、獣が同じように暴れる。弓兵が、二騎とも落ちた。
残り四騎。
四騎は、ユイが何をしているのか分かり始めている。壁に当たれば、流される。矢を撃てば、戻ってくる。だから、壁のない場所を探して回る。
――じゃあ、壁のない場所を、作ってあげる。
ユイは、柱の周りの壁を一枚だけ外した。北側、採石場の窪地へ下る急な斜面の方だ。
四騎がその隙間に気づいて、一斉に北側へ回り込み、飛び込んでくる。
その瞬間に、ユイは隙間の奥に壁を一枚立てた。斜面の上、窪地の縁に沿って斜めに。
四騎が、壁にぶつかった。壁の角度は、下向きだった。四騎の突進の力は壁の表面を滑って、そのまま斜面の下へ流れていく。獣が足を踏み外し、騎手ごと窪地の底へ転がり落ちていく。五十年、誰も入っていない、崩れた岩だらけの窪地へ。
底まで落ちた騎兵たちは、起き上がろうとしている。でも窪地の壁は急すぎて、獣の足では登れない。ユイは窪地の上から、蓋をするように、壁をもう一枚かぶせた。
――閉じ込めた。
十騎、全部。
ユイは、肩で息をしている。腕が震えて、指先が冷たい。四枚の壁を同時に動かしたのは、初めてだった。
でも、柱は三本とも無事だった。
無線のスイッチを入れる。
「こちら、ユイ。騎兵十、処理完了。通路の起点、無事。……レイには、言わなくていい」
『ユイさん……』
トーマの声が、震えている。
『今の、全部見てた。物見櫓の沢村さんが、双眼鏡で実況してくれてた』
「恥ずかしいから、記録には残さないで」
『無理。もう録画してる。三脚で』
「三脚あったんだ」
『沢村さんが持ってた。消防の備品』
ユイは思わず笑って、それから門の方角を見た。
赤黒い空の下で、光の線が何本も走っている。レイの天断だ。まだ、戦っている。
「レイ」
聞こえないと分かっていて、呟いた。
「こっちは、大丈夫だから」
*
同じ頃、東区の倉庫の前で、エルナは住民の列を見ていた。
職人街の四十人と、門前通りから移ってきた百人以上が、結界の幕の内側に毛布を敷いて座っている。その列の最後尾で、小さな騒ぎが起きている。
「窯が! うちの窯が!」
職人街から来た、陶工の老人だった。門の方角を指さして、叫んでいる。
「火を落とし忘れた窯がある! 放っておいたら、割れる!」
門前通りに戻るのは危険だと、周りの住民が老人を止めようとしている。エルナは、その老人の前に立った。
「窯は、どこですか」
「職人街の、三番目の路地。青い扉の家だ」
地図を見ると、職人街は門のすぐ近くで、今レイが将と戦っている場所から、二百メートルも離れていない。
「戻ることは、できません」
老人の顔が、歪んだ。
「ですが」
エルナは、続けた。
「回廊を通れば、職人街の裏手まで行けます。教会の裏から、地下を。地上には出ずに」
「……行けるのか」
「私が、確かめてきます。窯の様子だけ。火を落とせるなら、落としてきます。落とせないなら、戻ってきます」
老人は、エルナの顔をじっと見てから、深く頭を下げた。
エルナは、騎士の一人に住民の列を任せて、回廊へ向かう。
――レイ殿は、ゲームの中で、この街が何百回も消えたと言っていた。
私は、その話を知らない。でも、今日、この街を消さないために、あの人は一人で門の前に立っている。
なら、私は、窯一つ分だけでも、この街を守る。




