知っている将、知らない一手
将は、すぐには仕掛けてこなかった。門の前、十メートルの距離で槍を立てたまま、兜の隙間の青い光を、俺の足元から頭まで、ゆっくりと動かしていく。
――観察されている。
ゲームの将は、出てきた瞬間に決まった順番で攻撃を始めた。突き、払い、薙ぎ、跳躍からの叩きつけ。その繰り返しで、二百回倒せば目をつぶっていても避けられた。
こいつは、待っている。
万象解析を開くと、全身を魔力の線が走っているところまではゲームと同じだった。違うのは、将の背中から伸びている細い糸だ。四本、五本――六本。全部が門の奥へ、核の方へつながっている。
あの小門の番人は、糸が一本だった。こいつは、六本。
『レイ様』
耳ではなく、頭の中に、イヴの声がした。
『将を撃破した時点で、六本の経路から、核へ魔力が逆流します』
「知ってる。だから、先に糸を切る」
『推奨しません。将は、経路が切断されるたびに、残りの経路から供給を増やします。最後の一本になった時点で、将の出力は現在のおよそ四倍になります』
ゲームにはなかった仕様だ。いや、ゲームでは糸なんて見えなかったから、切ろうとしたこともない。
『推奨される手順を提示します』
視界に図が開く。門と、核と、将。こちら側の門前通りと、門の奥の空間。
『将を通常どおり撃破し、核の逆流を、門の向こう側、旧防衛区画へ誘導します。門の構造上、逆流の方向を片側へ寄せることは可能です。こちら側の被害は、最小限に抑えられます』
「……向こう側に、人は」
一拍。
『旧防衛区画には、現在、居住者の記録はありません』
「記録はない、って言い方は、確かめてないってことだな」
『はい』
イヴは、否定しなかった。ゲームの防衛戦で核を壊した時、吹き飛んだのはこちら側の門前通りだった。今イヴが言っているのは、その被害を、誰も見ていない向こう側へ押しつける方法だ。
「却下。誰もいないって確かめてない場所に、溢れたものを捨てる気はない」
将から目を離さないまま、俺は続けた。
「それに、もう別の手を用意してある。採石場の跡。あそこは、エルナと東区の爺さんが、五十年誰も入ってないって確かめた。ユイが、通路の起点で待ってる」
『その手順の成功確率を、私は算出できていません』
「俺もだよ。でも、蜥蜴で七回やって、七回できた。お前の手順は、一回も試してないだろ」
イヴは、黙った。
将が、槍をわずかに傾ける。来る。
「イヴ。手順は、二つに分ける」
早口になった。
「一つ目、将を倒す。糸は切らない。普通に倒す。二つ目、将が倒れて核が逆流を始めたら、星喰いで外側を受けて、ユイの通路で採石場へ流して、その間に、核と門をつなぐ本線を短止で切る。将の分の魔力が糸を伝って核に戻って、溜まりきって溢れるまで――それが、俺の持ち時間だ。ルークが小門で測ったのは、散ってから門に着くまで四秒。糸は門の流れそのものだから、たぶんもっと速い」
『その時間は、将の撃破後に核の状態から算出します』
「頼む。十秒あれば、本線まで走れる」
ゲームでは、将を倒した瞬間に勝利のファンファーレが鳴って、全部終わった。今は、将を倒した後に、もう一つ仕事が残っている。だから、星喰いを熱くするわけにも、糸に気を取られて手順を崩すわけにもいかない。
目の前の相手に、集中する。
『……了解しました。トーマ様に、今の手順を共有します。ユイ様にも』
将の槍が、動いた。
一撃目は、突きだった。ゲームと同じ最初の一手で、正面からまっすぐ胸を狙ってくる。
ゲームでは、これを左に避ける。左に避けると、将は槍を引きながら右から払ってくる。それを跳んで避けて、着地したところに――
俺は、左に避けた。穂先が、顔の十センチ横を通り過ぎる。
その瞬間、将の槍が止まった。引かない。突き出した穂先が空中で向きを変えて、俺が避けた左側へ薙ぎ払ってくる。
――読まれた。
かろうじて、星喰いで受けた。重い。腕が痺れ、足が石畳を滑って、二メートル押し下げられる。
将の兜の隙間で、青い光がわずかに揺れた。まるで、笑ったみたいに。
『レイくん、今の――』
「分かってる」
こいつは、ゲームの俺を知っている。俺がこの将を二百回倒した時の動き――どっちに避けて、どこで跳んで、どこに剣を入れるか。それを、覚えている。
どうやって覚えたのかは、今は考えない。覚えているなら、それを使わせる。
二撃目。将の槍が、右から払ってくる。
ゲームの俺なら、ここで跳ぶ。
跳ばずに、一歩前へ出た。払いの内側、槍の柄の根元に近い場所。穂先の届かない、柄だけが通る位置へ。
柄が、俺の肩を打った。痛い。でも、穂先じゃない。ただの重い棒だ。
将の青い光が、また揺れる。今度は、笑ったんじゃない。
――戸惑っている。
ゲームの俺は、ここで前に出たことがなかった。だから、将の記録にはない。
三撃目。将が槍を引き戻して、間合いを取り直そうとする。
させない。引き戻される槍の柄に、星喰いを当てた。押すんじゃなく、添えるだけ。将の力の方向に、ほんの少しだけ俺の力を足すと、槍が将の想定よりわずかに速く後ろへ流れて、重心が半歩、後ろに崩れた。
その半歩で懐に入り、脇腹の鎧の継ぎ目を斬った。浅い。黒鉄の鎧が、刃を半分弾く。
でも、入った。
将が大きく後ろへ跳んで、距離が十メートルに開く。最初と同じ距離だ。構え直した槍は、さっきより低く、穂先が俺の足元を向いている。
――修正してきた。
ゲームの記録を捨てて、今の俺を見て、構えを変えた。
いい。それなら、こっちも変える。
将が、また突いてくる。今度は足元だ。跳べば空中で槍の柄に払われるし、横に避ければ薙ぎに変わる。
どっちにも避けない。
天断。
ただし、短止で。刃先から三十センチで止める、極端に短い斬撃だ。狙いは将じゃない。槍の、穂先だ。
光が穂先の付け根を断ち切り、黒鉄の穂先がくるくると回りながら石畳に落ちた。
将の動きが、止まった。一瞬だけ。でも確かに止まって、穂先のない槍を見下ろしている。ゲームの将の穂先は、折れることなんてなかった。だから将の記録の中にも、穂先のない槍で戦う方法はない。
将の守る距離が、変わった。穂先があった時は十メートル先から俺に届いたが、今は八メートル。柄の先で殴るしかない。その二メートル分、俺は将に近づける。
将が、穂先のない槍を振りかぶる。大振りだ。柄全体で横に薙いで、届く範囲を少しでも広げようとしている。ゲームのどの攻撃パターンにもなかった動きで、将も、今、初めてやっている。
初めての動きは、遅い。
薙ぎの下をくぐり抜けて、将の懐へ。今度は、さっきより深く。
――あと一歩。
その時、無線が鳴った。
『レイくん! ユイさんの方!』
トーマの声は、悲鳴に近い。
『採石場の方に、敵の別動隊が回り込んでる! 騎兵が十! ユイさん、一人!』




