今度は、その終わり方を選ばない
その夜、俺はエルナを、東区の倉庫の屋根に呼んだ。
屋根の上からは、リーベルの街並みが見渡せる。門前通りの灯りに、教会の尖塔。街の西の端には王門の黒い影がそびえていて、その上の空がうっすらと赤く光っている。
明日の夕方、あそこが開く。
【本接続予測まで 22時間31分】
エルナは鎧を着たまま、俺の隣に座った。
「お話とは、何でしょう」
「謝っておきたいことがある」
首をかしげるエルナに、俺は門の影を見ながら言った。
「ゲームの中で――俺が六年間遊んでいた世界で、この街は、何回も消えた。王門防衛戦っていうイベントがあった。門が開いて、軍勢が来て、それを倒して、門の核を壊す。それで勝ち。でも、核を壊すと、門の周りが全部吹き飛んだ。門前通りも。パン屋も。教会も」
エルナは、何も言わない。
「俺は、それを何百回もやった。素材がうまかったから。勝つたびに、瓦礫の上を歩いて、ファンファーレを聞いて、次の周回に行った」
言葉にすると、ひどい話だった。
「ゲームの演出だと思ってた。でも、この街は、本当にあった。ハンナさんの窯は百二十年前からあって、マルクはパンを焦がして、子どもが騎士の盾を触りたがる。だから、謝っておきたかった。何百回も、この街が消えるのを見て、何も思わなかったことを」
しばらく風の音だけがして、それから、エルナが静かに言った。
「レイ殿。私には、その記憶がありません」
「……ああ」
「この街は、私が生まれてから一度も、消えたことはありません。王門は、二百年前に一度開いたきり、ずっと閉じていました。私が知っているリーベルは、ずっとここにあります」
彼女は、門前通りの灯りを見下ろした。
「レイ殿が見たという、何百回の消えた街。それが何だったのか、私には分かりません。ですが、私の知っている街の話ではない」
「じゃあ、あれは何だったんだ」
「分かりません。ですが、一つだけ分かることがあります」
エルナが、こちらを向く。
「ぐるぐる桶の日のことは、私も覚えています。あの日、レイ殿は、私に名前を聞いた。私は答えた。あなたは、走っていった。……あれは、本当にあったことです」
「……うん」
「何百回の消えた街は、私の知らない話です。でも、桶の話は、私とあなたの話です」
それ以上のことは、エルナにも俺にも分からない。イヴはたぶん知っているけど、言わない。でも、桶の話は本当で、この街も本当で、明日、門が開くのも本当だ。
「謝罪は、受け取りません」
エルナが、きっぱりと言った。
「え」
「私の知らない話で謝られても、受け取りようがありません。それより、明日の話をしましょう。門前通りに、まだ百四十人が残っています」
鎧の内側から出てきた紙は、手書きの地図だった。門前通りの家々に、小さな数字が書き込まれている。
「今日の搬送で、東区へ移ったのが六十二人。残る百四十人のうち、百人は明日の朝の便で移せます。残りの四十人は――」
エルナの指が、地図の一点で止まった。
「門のすぐ近くの、職人街です。窯や炉を持つ職人ばかりで、火を落とすのに時間がかかる。昼までは、動けません。門が開くのは夕方ですが、その前に軍勢の先触れが出てくるかもしれません。ゲームでは、どうでしたか」
「開く二時間前から、小物が湧き始める。本隊は、開いた瞬間」
「では、職人街の四十人は、門が開く二時間前までに、門前通りを抜けなければならない」
「それ、間に合うか」
「間に合わせます。ですが、間に合わなかった場合の、別の逃げ場所も必要です」
俺は地図を見た。職人街から東区までは、門前通りを横切って、教会の裏の回廊を通る。その途中で何かあったら――
「回廊の途中に、横道があった。記録の板があった部屋の、さらに奥だ。行き止まりだったけど、広かった。四十人くらいなら入れる。入口を、ユイの壁で塞げば」
「回廊の中なら、門からも遠い」
「ああ。第二の避難先に使える」
エルナはその場所を地図に書き込むと、ペンを止めて、俺を見た。
「レイ殿は、明日、どこに」
「門の正面」
「軍勢を、一人で」
「一人じゃない。ユイがいる。お前もいる。宮坂さんたちもいる。トーマもいる」
「ですが、門の正面に立つのは」
「俺だな」
エルナは、しばらく俺の顔を見ていた。
「勝てますか」
ユイにも、同じことを聞かれた。
「軍勢には、勝てる。門の将にも、勝てる。ゲームで二百回倒した」
「二百回」
「周回したんだよ」
「……ユイ殿が、引いていた理由が分かりました」
「お前まで引くな」
エルナは小さく笑って、それから真顔に戻った。
「では、勝った後は」
「勝った後が、問題なんだ」
俺は、門の影を見た。
「ゲームでは、核を壊した瞬間に、門の周りが吹き飛んだ。でも、今日の昼に、その理由が分かった。核に溜まった魔力が、戻る先を失って暴れるんだ。だから、その戻り方を変える。核とつながってる糸を、壊す前に切る。あの小門の番人と同じ。それから、溢れた分を、星喰いで少しだけ曲げて、ユイの壁で採石場まで流す」
エルナが、目を瞬かせる。
「……そのようなことが、できるのですか」
「今日、蜥蜴で七回試した。七回とも、できた」
「蜥蜴と王門では」
「全然違う。分かってる」
俺は、星喰いの柄に手を置いた。
「でも、ゲームの攻略法は、一つしかなかった。核を壊して、街ごと吹き飛ばす。それしか、なかった」
「はい」
「今度は、その終わり方を選ばない」
風が吹いて、門の上の赤い空が、少しだけ濃くなった気がした。エルナは地図を丁寧にたたんで、鎧の内側にしまう。
「レイ殿。一つだけ、お願いがあります。今夜は、眠ってください」
「……は?」
「明日、門の正面に立つ方が、寝不足では困ります。騎士団の規則です。決戦の前夜は、最低六時間眠ること」
「規則あるのか」
「あります。私が今、作りました」
エルナは、立ち上がった。
「ユイ殿にも伝えておきます。レイ殿が夜中に剣の手入れを始めたら、止めてくださいと」
「なんで手入れするって分かるんだよ」
「門番ですので」
それ、万能な理由だな。
エルナが屋根から降りた後も、俺はしばらく門の影を見ていた。それから、言われた通り、倉庫の中の毛布にくるまった。剣の手入れは一回だけしようとしたが、暗闇の向こうからユイの「レイ」という声がして、やめた。
六時間、眠った。




