守れる場所を、任せられる場所へ
回廊の出口は、東区の古い倉庫の床下だった。
地上へ上がると、昼の光が眩しい。倉庫の周りには、ハンナの親戚の家を含めて、二十軒ほどの家が並んでいる。王門からは、いちばん遠い区画だ。
視界の端に、緑色の枠が出た。
【安全地帯】
ゲームなら、魔物が湧かない範囲だ。
「よかった。ここなら」
言いかけたユイが、倉庫の屋根の上を見て止まった。
屋根の四隅に、細い石の柱が立っている。先端には拳くらいの水晶が嵌め込まれていて、四本で囲んだ範囲に薄い光の幕が張られている――はずだった。北東の柱の水晶が割れていて、幕はその角だけぽっかり欠けている。
「……表示、嘘じゃん」
「嘘っていうか、古いんだろ」
万象解析で見ると、そこだけ流れが途切れていた。表示の元が何にせよ、この欠けは反映されていない。欠けた角の向こうでは、影狼が三匹うろうろしている。
「エルナ。この柱、直せる人いるか」
「東区の結界番が……いえ、彼は先月、腰を痛めて」
「じゃあ、私がやる」
ユイはもう柱の根元にしゃがみ、騎士団で結界柱の基礎を習ったというエルナを隣に呼んでいた。
「レイ。外のやつ、お願い」
「了解」
屋根に跳ぶと、北東の角で、影狼の一匹が幕の隙間に鼻を突っ込もうとしていた。上から斬る。残りの二匹が屋根へ飛びついてきたので、一匹目を空中で斬り、二匹目は屋根の縁を蹴って地面へ叩き落とした。
屋根の上で番をする間、下ではユイとエルナが割れた水晶の前で話し込んでいた。
「この水晶、魔力を溜めて、隣の柱へ渡してるの?」
「はい。四本で輪を作って、その中に幕を張ります。一本でも欠ければ、輪が途切れる。倉庫に予備があるはずですが、取り付けるには柱の頂上まで――」
二人が、同時に俺を見上げた。
「高所作業担当」
「……はいはい」
予備の水晶は、倉庫の奥の木箱で埃をかぶっていたが、割れてはいない。柱は五メートルくらいで、俺はジャンプ一回で足りる。割れた水晶を外して新しいのを嵌めたが、何も起きなかった。
「レイ! 水晶の向き! 側面に細い溝が一本あるでしょ、それを隣の柱の方へ回して!」
髪の毛くらいの溝を、南東の柱の方へ回す。水晶がぼう、と淡く光り、隣の柱の水晶と細い光の糸でつながった。そこから残りの柱へ順に渡り、四本が輪になる。欠けていた北東の角に、幕がゆっくり降りてきた。
ユイは肩の力を抜いてから、すぐに眉を寄せた。
「でも、私の壁より弱いね、これ。小さい魔物なら通さないけど、大きいのが体当たりしたら破れる」
「強化できるか」
「できる。でも、私がずっと張ってなきゃいけない形になる。それじゃ意味ない。……だったら、水晶を二重にすれば、一個割れても輪は切れない。展示会の電源と同じ。メインが落ちても、サブで照明が消えないようにする」
「そういうの、どこで覚えたんだよ」
「仕事。去年、本番中にブースの電源が落ちて、三十分真っ暗だったことがあって。……あれ以来、電源は必ず二系統にしてる。クライアントの顔、今でも夢に見る」
倉庫の予備を全部使って、四本の柱の頂上に二個ずつ嵌める。俺が登り、ユイが下から溝の向きを指示し、エルナが根元の古い紋様を読み上げた。
途中から、倉庫にいた東区の住民が何人か出てきた。杖をついた白髪の老人が、柱の前で足を止める。
「その柱なら、わしの爺さんが番をしとった。……ほう、二個嵌めか。それは考えたことがなかったな」
老人は、柱の根元の石を杖の先で叩いた。
「ここの石、外れるぞ。中に、溜めた力を逃がす穴がある。詰まっとると、水晶が割れやすい」
石を外すと、中の小さな空洞に泥と枯れ葉が詰まっていた。
「爺さんは、年に一回、これを掃除しとった。わしは、知っとったが、やっとらんかった」
ばつが悪そうに笑う老人の横で、住民たちがそれぞれの柱の石を外し始めた。子どもが泥をかき出し、女性が水で流していく。ゲームのNPCは、こんなことは教えてくれなかった。
日が傾く頃には、四本の柱に二重の水晶と掃除された逃がし穴がそろい、光の幕が倉庫の周りをしっかり包んでいた。表示は、さっきと変わらない。でも今度は、嘘じゃない。
「ここに、人を集められる」
エルナが、幕を見上げた。
「門前通りの住民が、王門が開く前にこちらへ移れば。少なくとも、休む場所はある」
「回廊を通ればいい。大通りを横切らずに済む」
そう返してから、ユイは少し考えた。
「あと、もう一つ。……レイ、あの板、出して」
回廊で拾った記録の板を渡すと、ユイは粒の流れを見てから、倉庫の裏手を指さした。
「あっちの古い採石場の跡。さっき屋根の上から見えた」
崩れた岩壁に囲まれた、すり鉢状の窪地だ。家も人も、何もない。
「ルークさんが言ってた、魔力が戻る話。王門の核を壊す時に、溜まってたものが溢れたら――全部を門に戻さずに、どこかへ逃がす場所がいるでしょ。この柱の逃がし穴と同じ。行き場所を、先に作っておく。……あの採石場、使ってないですよね」
「もう五十年も、誰も入っとらん。崩れて危ないからな」
「よかった」
こっちを見たユイは、逃がし穴を覗き込んだ時と同じ顔をしていた。
「これ、使えるよ」
俺の手の中で、板の光の粒が、相変わらずゆっくりと流れている。
【本接続予測まで 49時間12分】
*
三日目の朝、俺は中央公園の南口にある消防の仮設指揮所にいた。
テントが三張り。長机に区の地図とトーマが作った危険区域の印刷物が広げてあり、無線がひっきりなしに鳴っている。指揮隊長の宮坂さんは五十前後の日に焼けた人で、目の下にくまがあった。
「本人確認を、させてもらってもいいですか。失礼ですが、名乗るだけなら誰でもできるので」
「どうぞ」
星喰いを鞘ごと机に置いて、ステータスの画面を共有した。
【プレイヤー:REI】【レベル:1000】
宮坂さんは画面と剣と俺の顔を順に見て、タブレットの装甲竜の動画と見比べた。
「……確認しました。この情報は、ここの指揮所の三人だけで止めます。あなたのおかげで、駅前の死者は――いや。数字は、あとでいいですね」
それから、地図を指で叩く。
「我々は、王門の中には入れません。こちら側で避難と救急搬送をやるのが精一杯です。何をすればいいですか」
――聞いてくれるのか。
俺は、ユイが昨夜まとめた紙を出した。
「三つあります。王門の周り半径八百メートルの避難を、明日の夕方までに終わらせてほしい。リーベル側の住民が小門からこっちへ逃げてきた時の受け入れ先。それから、東区へ物資を運ぶ人手」
「一つ目は、もう七割終わっています。二つ目は、区の体育館を二つ空けます。三つ目は――」
「小門をくぐってもらうことになります。向こう側の世界へ」
テントの中が少し静かになり、若い隊員が宮坂さんの顔を見た。
「強制はしません。荷物を運ぶだけです。危ない区間は、俺か向こうの騎士のエルナが先に通って、安全を確かめてから。行きたくない人は、こっちの仕事をしてください」
宮坂さんは無線を取り、俺の紙の三つ目をそのまま読み上げて志願者を募った。
十五分後、テントの前には二十三人が並んでいた。消防隊員が八人に区役所の職員が四人、残りは昨日まで避難所で毛布にくるまっていた人たちだ。その中に、駅前で庇の下に角材を噛ませてくれた作業服の男性がいた。
「よう。レベル一でも、荷物は運べるだろ」
「運べます。……名前、聞いてなかったですね」
「佐伯。鳶職。高いとこは得意だ」
「じゃあ、佐伯さん。向こうの東区に、結界の柱があります。高いです」
「任せろ」
最初の搬送は、昼前に出た。小門をくぐって門前通りの裏道を抜け、教会の裏の回廊へ。エルナが騎士を二人連れて先導し、俺は回廊の魔物の残りを片づけた。佐伯さんは青白い光を見上げて、マジで異世界だな、と水のケースを担ぎ直した。
東区の倉庫では、ユイが柱の下で待っていた。
「水、ここ。毛布はあっち。食料は倉庫の奥。佐伯さん、柱の二重化、見てもらえますか。高所の固定が甘いかもしれなくて」
佐伯さんは柱を見上げて、眉をひそめた。
「てっぺんの台座、ぐらついてるな。風で揺れると水晶がずれるぞ。針金と楔があれば締められる」
「倉庫にあります」
二人が柱の方へ行ってしまい、俺は倉庫の前で水のケースを下ろした。
――俺がいなくても、回ってる。
宮坂さんが人を集め、エルナが道を知っていて、ユイが置き場所を決め、佐伯さんが柱を締める。俺がやったのは、回廊の魔物を斬ったことと、紙を一枚渡したことだけだ。それでいい。全部を俺がやろうとしたら、明日の夕方に間に合わない。
「レイ」
柱の下から、ユイが戻ってきた。
「今日の搬送、あと二便で終わる。明日の朝に最後の一便。宮坂さん、段取りうまい。たぶん、うちの会社のどの進行より」
「お前より?」
「……私より、ちょっとだけ」
悔しそうだった。
「レイ、今日の午後、空くよね。あの板と、星喰い。試すんでしょ」
ばれていた。ルークの言っていた「戻り方」と、記録の板と、採石場の跡。王門の核が溢れた時に、星喰いを使えるか。昨日の夜から、ずっと考えている。
「試したい」
「付き合う」
ユイは、もう歩き始めていた。
「その代わり、無茶したら止めるからね」
「止まる」
「レイの『止まる』は信用してない」




