小岩にて
ほんの些細な点であろうと、特色を感じられるのはすこぶる心地いい。
予定を立てるのが嫌いな僕がその誘いに応じたのは、つまりは集合場所に興味を惹かれたせいもある。
JR中央線小岩駅。僕にとって通過駅でしかないこの街へ赴くのは、この時を置いて他にないのではないか。
江戸川を挟んで千葉県と向かいあう首都の東側は、やはり西とは違う世界が広がっている。
他の都心部とも違う人種の数と比率は、それだけで僕の好奇心を満たしてくれそうだ。
やたらと乱立する「昼カラオケ」ののぼりをくぐり抜けて目当ての店を探し出し、「closed」の札が下がった扉をノックすると、ややあって「はーい!」と活気のある声が返ってくる。
「お待たせしました!どうぞどうぞ、座ってください」
「おお、久しぶり・・・ああ、いいですよ、どうぞそのままで」
軽く挨拶を交わすと、声の主であるケンジに勧められるがまま椅子に座ろうとするが、すでに全員そろっていた様で、テーブルに居た二人の男が立ち上がろうとするのを手で制する。
「初めまして、堂園です。今日はよろしくお願いします」
「初めまして、畑中です。同じくよろしくお願いします」
堂園が二十歳そこそこ、畑中の方が三十台前半で関西風のイントネーションであるのを除けば、それ以外はそっくりなオタク二人組とテンプレートの挨拶を交わす。すると、ケンジが飲み物をもってやってきた。
「似たような店が多いから迷いませんでしたか?はい、堂園はこっちで、畑中さんはこれですね」
堂園にはアイスコーヒー、畑中にはオレンジジュースがそれぞれグラスに注がれて配られ、向かい合って座る僕とケンジのテーブルには、空のグラスが二つと瓶ビールが一本置かれた。
「ここも普段は昼カラやってるんで、良かったらどうぞ御贔屓に」
「興味はあるけど、わざわざその為だけに訪れる生活の余裕はないですよね」
ケンジと軽口を叩きつつ二人に同意を求めると、緊張がほぐれたのか微笑みでそれに応える。
「それじゃ、ま、一先ず乾杯・・・じゃなくて献杯か」
そう宣言してから一息にグラスを空にすると、ケンジがすぐさま次弾を装填しつつ話を切り出す。
「早速なんですが、前もってお話しした通り、今日皆さんに集まって頂いたのは、答え合わせがしたくてですね。その、チカちゃんの死についての」
オタク二人とは初対面だが、この三人はチカの大ファンであり、不服だが彼女の存在が僕をここへ呼び寄せた。
「もう七年も経っているし、今更メソメソしたいってわけでもないんです。2、3年前からは、皆で集まってパーッと盛り上がれるようにもなったんですけど、でも、最近になってどうしても違和感を感じていまして」
「違和感?」
何かしら思う所があるのか、神妙な面持ちになったケンジに代わって続ける畑中に僕が訊ねると、堂園がそれに加わる。
「きっかけは、去年の慰霊祭だったんです。関西方面のファンの人とも交流したいって思って畑中さん達と知り合ったんですけど、どうにも何かがかみ合わなくって」
「かみ合わないって何が」
「そのう、チカちゃんが自殺した理由についてです」
「理由って、そりゃ旦那が借金残して若い女とトンズラしたからじゃないの」
事業が上手くいき出していたとはいえ、前夫の裏切りとそれに伴う莫大な借金はあったわけだし、命を断つには十分なきっかけではないだろうか。遺書も遺言も無いので確証はないが。
「そこなんです」
すると堂園が一息ついて、整理するようにゆっくり話し始める。
「私とケンジさんも、ずっとそう思っていたんです。一昨年までは」
「一昨年?」
「はい。僕とケンジさんが知り合ったのがちょうどその頃なので」
ケンジも僕と同じように考えていたはずで、堂園も同じように考えていたのならば、いよいよ間違いなくその通りでは無いのだろうか。
「そのう、トンズラしちゃった男ってのは、いったい誰なんです?」
「誰って・・・たしか吉岡って奴だったと思うけど、だよな?」
何年も前の話だから少し自信はないけれど、たしか吉岡って名前だったはずだ。
同じ認識であるはずのケンジに同意を求めるが、しかし予想とは違う答えが返ってくる。
「違います」
「違うって何が。お前だって「やっぱりそうですよね」って言っていたじゃねえか。なんなんだよさっきっから」
要領を得ない言い草に苛立ち、グラスに残ったビールを煽って気を落ち着かせると、ケンジが続ける。
「俺が知っている、チカちゃんがトンズラされた旦那の名前はハカマダです」
「あ?誰だそりゃ」
わけがわからない。すると吉岡ってのは芸名だか偽名で、ハカマダが本名か?
それとも、離婚して苗字が変わったとか、そんな話か?
「ハカマダってのはコイツなんですけど、知っていますか」
ケンジが懐から出した写真をテーブルに置いて尋ねるが、そこに写っている男には全く見覚えがない。
取り立てて特徴の無い顔だったけれど、少なくとも吉岡ではない。
「いや、知らないな。なんだ?アイツは別の男とも結婚していたのか?」
「いえ、結婚歴は一度きり。吉岡とだけです。SNSで調べた限りですが。でも、重要なのはそこでは無いんです」
煮え切らない話に理解は追いつかないが、確かに彼らの言うように何か違和感を覚える。
「実は私の友達が吉岡さんの今の奥さんと友達なんですが、その娘は略奪婚なんかしていないそうなんです」
「何言ってんだ。チカと結婚してる時にはすでに関係があったって聞いてるぜ」
「ですからそこが違うんです。正しくは、今の奥さんと結婚する前に別の女性がチカちゃんから吉岡を略奪していたんです」
「あん?じゃあハカマダってのはなんだ?」
「ハカマダは、吉岡さんの次にチカちゃんが交際していた男性です」
頭がこんがらがって来たのでいったんケンジの方を見ると、かぶりをふって説明される。
「俺たち、旦那とか彼氏って言葉を使って明言せずに話していたんで気づかなかったんですが、互いに見ている相手が違ったんです。僕が想像していたのはずっとこのハカマダって奴だったんです」
「成る程。ちょっと複雑だけど、でもまあ、内容的には大体おなじなのだから、別にそんなに気にしなくてもいいだろう。男を取られたのには違いないんだし」
立て続けに男を寝取られるなんてのもよくある話で、誰がやったかなんてそう大差ない。
「それがそうでもないんです」
すると、辛気臭い顔をした畑中がオレンジジュースを音を立てて飲み干し、ストローで氷をくるりとまわす。
そうして椅子に引っ掛けていたリュックから、いかにもな絵柄の付いたA4のクリアファイルを取り出し、僕の方へ向けてテーブルの上に乗せる。
「僕は関西の人間なので、そっち方面でずっとファンミーティングとかを開催してきたんですけど、僕らの地元だとまた違う解釈なんです。東京とは離れているせいか、プライベートな話は全く知らなかったんで、だからチカさんが死んだ原因はずっとコレだと思っていたんです。ざっとで良いので、軽く目を通して頂けますか」
言われるがままにクリアファイルの中からホチキス留めされた資料を取り出して一読する。
それはローカルな掲示板サイトについて記されたものであり、内容としては、チカに関する書き込みであった。
売春、枕営業から始まり、不起訴となった刑事事件から幼少期に受けたトラウマまで、よくもまあこれだけ誹謗中傷されたものだ。
仮にこれが事実だとすれば、たとえチカでなくとも死にたくなるだろう。だがそれは同時に、それだけ需要があったという証左でもある。
誰からも嫌われない人間にこんな商売なんてできないのだから。
「読んだけど、これがなに。こんなの人気商売をやっている限りはつきものだし、これくらい書かれるのは当たり前じゃないか?
「僕もそう思っていたんです。でも、気づきませんか?」
読み終わってテーブルの上へと投げ出した資料に再び視線を落とす。
するとようやく、畑中が示唆しているであろう部分に思い至る。
「この掲示板に書き込んでいる人って、恐らく殆どが同一人物によるものなんです。でも自作自演なんて良くある話で、問題なのはログです」
ネガティブな投稿が始まったのは、2019年の一月からで、日に30件程度。
火消しをするファンがいた場合は100件近くに昇るが、そのどれもが畑中の言うように、同一人物であるのは明白だ。
文調を変えて別人を装おうとはしているが手口が稚拙で、改行と句読点の使い方にクセがあり過ぎるせいで、直ぐにそれとわかる。
そして何より、この人物の投稿は、チカが飛び降りる数時間前で終わっている。
「ファンとしては面白くない掲示板だから当時は気にしていなかったんですが、堂園君達と交流する様になってから思い出して調べてみたんです。それで気がついて」
「確かに不気味ではあるけど、世の中そういう事もあるんじゃないか?それにこれだけ悩みと呼べる材料が揃っていれば、原因はどれかってよりも、全てじゃないかな」
得体の知れない不快感から適当に話をまとめにかかるが、畑中はなおも続ける。
「証拠なんてないんですが、僕はここに書かれていることは事実なんじゃないかと思っています」
「そりゃまたどうして」
「一昨年行ったファンミーティングの一つに、珍しく初見の方が来られたんです。サナエさんと言う女性なんですが、ご存知ですか?」
「心当たりが無い事もないけど、そんな所へ顔を出しそうな奴は知らないな。一人は現職の総理大臣だし、もう一人はガチムチのラガーマンだし、違うよね?」
「違いますね・・・」
とそこまで言うと畑中は口をつぐみ、何事かを悩み始める。
何かを言いあぐねる仕草ににもどかしさを感じていると、溜まりかねたケンジが後を引き継ぐ。
「俺もこれをどう伝えれば良いのかわからないんですが、チカちゃんからハカマダを寝とった女もサナエなんです」
「ん?同じ名前?同じ女ってこと?」
「それから、吉岡から寝とった女の名前もサナエです」
すると堂園もそれに続く。
「ちょっと待って。そのサナエってのは同一人物でいいのかい?」
「いえ、それは分かりません。サナエに会ったことがあるのは畑中さんだけで、私もケンジさんも、名前を耳にしただけなので。ただ、こんな偶然ってあるのでしょうか?チカちゃんから立て続けに男を寝とった人物の名前と、私たちが疑惑を持ったタイミングで畑中さんのもとへ現れた人物の名前が同じだなんて事。畑中さんの言うように証拠なんて無いですし、妄想でしかないのかもしれません。ですが、もしかしたら掲示板で誹謗中傷をしていたのもそのサナエって女で、全て同一人物なのではないか。私たちはそう思っているんです」
確かにこれは人に伝え難い。
繋がって然るべき点と線の間に、まるでうっすらとガイドラインが引かれているような、そんな感覚だ。
だからこそそんな考えを抱くのもわからないでは無い。
「ではそれで君たちは、僕に何を頼みたいんだい?」
瞼を閉じ、ここまでの話を良く吟味しながら僕は彼らにそう問いただす。




