通夜 3
最寄りのパーキングに車を停めてから、年季の入った大きな団地を見上げる。まだ時間も早いせいかどの棟にも明かりがともっているが、チカの実家もこの中のどれかだろうか。
「さて、念のため確認だけど」
「何よ」
個人からすれば些事であろうとも、当人にとっては大事だなんてことは往々にしてあるものだ。察するに先方はそれなりに高齢でもあるだろうし、それなりに配慮すべき事柄もあるのではと判断してだったのだが、先ほどの一件をまだ引きずっているのか、美里は怒りを隠そうともしない。
「ご実家には高齢のお祖母ちゃんが一人で住んでいるみたいだから、騒がず、失礼のないように、長居は無用で一つよろしくお願いします」
「ふん、そんなの分かっているわよ。あんたが一番気をつけなさいよね。とにかく早く行くわよ!」
それだけ言うと明後日の方へ向かって美里は歩き始めたが、こちらとしてもそれを正さねばならぬ義理はない。何だったらこのまま何処へなりと消えてくれないかとも願ってはみたが、結局は怒声と共に追いかけてくる。
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「ああどうも、いらっしゃいませ」
一人住まいの老女の生活なんて、どこも似たようなものなのか、ドアが開くとともに感じた既視感に自分の母の面影を見出す。
使い古した日用品と、堆積していく不用品の数々。それらを後にしてチカの祖母に招かれ奥の間へ入ると、そこだけが不自然に整然としており、丁寧に飾りつけられた白木の祭壇が静かに安置されていた。そしてチカもそこで、僕たちを待ち受けていた。
「いやー!!」
驚きと悲しみがないまぜになって泣き崩れる美里。吉岡は相変わらず言葉を失ったままだが、更に茫然自失となり、その場で立ち尽くす。険しい表情をする剛志の横で、僕はただそれを眺め続けた。親しき者との別れに際し、一目会う事すら叶わぬと知ると、人はかくも取り乱すものなのだと。もとより小柄だったチカの体は、17㎝足らずのツボへ納まるサイズにまでまとめられていた。
「昔から、少し抜けた所のある子でしたからねえ・・・」
少しだけ落ち着きを取り戻した美里へ座布団を勧めると、チカの祖母が彼女の最期について語り出す。
場所は世田谷区にある雑居ビル。
「朝の六時頃だったそうなんですが、あの子の事だからきっと、夜と間違えたんじゃないでしょうか」
第一発見者である新聞配達員によると、見つけた時には既に冷たくなっていたと。
「最近は調子が良かったみたいで、たまに会いにも来てくれていたんですけどね」
階段に残った血痕と遺留品、検視結果から見て、一度では死にきれず、二度飛び降りたものとみられる。
遺体に関しては損傷が激しく、エンバーミングを行う金銭的余裕もなかったため、早急に荼毘に付したそうだ。
「いつかはこうなるかもとは思っていたけれど、やっぱりいざなるとねえ・・・」
話している間中ずっと、所々に飾られた様々な年代のチカが、写真立ての中から微笑み続けていた。消え入るような最後の言葉が何だったのかは知れないが、それでも何とかしがみつこうと、美里が言葉を紡ぐ。まるで終わりを拒むかのように。
「チカちゃんはとても芯が強くて、皆に愛されていて、本当はここに来たいって言うお友達もたくさんいて、それで・・・」
子供じみた美里の話に穏やかに頷きを返すチカの祖母だったが、しかし彼女の耳にはもう、何も届いてはいなかった。
そりゃそうだ。芯が強かろうと、友達がいっぱいいようと、それが何になる。そんなものに本当に価値があるのだと言うのなら、彼女の孫娘はこんな選択をしなかったのではないか。僕らの参列を許してくれただけでも御の字なのに、これ以上を望んではいけない。
「夜分遅くに長々と、大変失礼しました。これは参列できなかった連中からとりまとめてきた香典でして、どうかお納め下さい。美里、そうしたら僕達もそろそろお暇しよう」
「でも・・・」
この期に及んでウダウダしようとする美里だったが、流石に意図をくみ取ったのか、「わかった!最後にもう一度お別れしてくる!」と元気よく祭壇へと向かう。予想通り、「こんなもの頂けません」と固辞するチカの祖母に半ば押し付けるようにして香典を渡すと、一足先にその場を後にする。
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桜も随分と咲き始めたとはいえ、まだこの時間帯の夜風は身に染みる。
逃げるようにして玄関を飛び出した僕は、急いで2フロア下の踊り場に身を潜め、煙草に火をつける。すぐに足音が追いかけてきたけれど構わずにしておくと、しばらくして剛志が現れた。
「やあ」
「おう」
二人して並び立ち、静かに煙草をふかす。
「念入りに手を合わせていたから、もう少しはかかると思うよ」
「アイツはあそこからが長いからなー、悪い奴ではないんだけど」
「ハハハ。情に脆いからね、美里ちゃんは」
「そうだな。そういったものが大事なのは知ってはいるけれど、いかんせん僕にはそれが欠落している」
「そうかな?そんなでもないと思うけど」
「お気遣い、痛みいります。・・・それにしても、なんで自殺なんかするものかね」
全く。人なんかほっといたっていずれ死んでしまうのに、わざわざ死んだり殺したりするのは何故なのだろう。中高生でもあるまいに、こんな夜のせいか、そんな青臭い疑問をつい口にしてしまう。すると、考えるまでもないといった風に剛志がそれに答える。
「きっと、気づいちゃったんじゃないかな」
「気づいた?」
「うん。これから何があって、どんなことをして、どんな風になるか。それがわかったら人は生きてはいけないんだよ、きっと」
「そうか、そんなものか」
「そうだよきっと」
自分で聞いておいてなんだが、剛志の言葉の意味は分からなかったし、分かりたくもなかった。ただ遠くに映る新宿の夜景だけが、滲みもせず瞬いていた。
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「ご苦労」
翌日の昼過ぎ。遅く起きた僕が早めの昼食を摂っていると、シバタ君からの電話が鳴り、事の顛末を告げた僕を一言だけ労う。
「まあいいじゃねえか、お前も小遣い稼げたんだし」
「小遣い?」
「おお、池袋まで車出してちょろっと通夜に顔出すだけで2〜3万貰えれば御の字だろうが」
「え、何の話ですか?」
「何の話って・・・お前まさか、あのカネ全部香典として渡したんじゃないだろうな」
「何言っているんですか、渡すに決まっているじゃないですか」
流石の僕だって、そこで中抜きを行うほど腐ってはいない。
「バカ野郎、何やってんだテメエ!祝い事でもあるまいに、あんな額の香典を包むかバカ!経費と手間賃込みの額に決まっているだろうが」
「え!あそこから色々差し引いて良かったんですか⁉」
なんと、やたらと大金だったのはそういうわけか。それにしても、だったら一言くらい添えてもいいだろうに。
「フツーわかるだろう、それくらい。あーあ、俺は知らねえからな。まあいいじゃねえか、お前もたまに善行に励めってこった。それじゃあな」
一息にそうまくしたてると、掛けてきた時と同じように電話は突然切られた。
目を閉じ、幾度かゆっくり深呼吸を繰り返す。こうすれば感情をコントロールできると、以前何処かで耳にしたからだ。しかし、そんな額面通りの効果はやはり得られないようで、沸々と湧きあがる怒りは沸点に達し、ついには大声を発するに至る。
「あの○〇〇〇〇、〇〇て〇〇!」
死人に口なし、旅の恥はかき捨て。いったいどの言葉が当てはまるのかもしれないが、そんなことをしたって事態が好転するわけもなく、往来する人々に奇異の目で見られるだけだった。
善行なんて〇〇っくらえ。自殺する奴なんて○○○○○○〇!!!!!!




