0192
ガタガタと規則正しい振動の伝わる荷馬車は、ゆっくりと街道を北上していく。乗り物酔いを恐れていたはずのルティウスだったが、揺れに酔う事もなく、乾いた涙の痕を残したままレヴィの腕の中で眠り続けていた。
「ルティ君、泣き疲れちゃったかな?」
静かな声で呟くフィデスの一言を受けて、レヴィは自身の膝の上で寝息を立てる少年の表情を見下ろし、僅かに金の瞳を細めた。
奪還を願っていた祖国の、実質の崩壊。そして語らずとも察してしまった実父の死。
全てを知ったルティウスは、それこそ子供のように泣き続けた。感情を押し殺しがちな少年の深い悲しみを受け止め、レヴィは掛ける言葉を見つけられないまま、ルティウスが落ち着くまで抱きしめ続けた。
「母親の事は、時々話していた。だが父親の事はまるで話そうとしなかった⋯⋯」
これほど憔悴するとはレヴィも考えていなかった。だが口に出さないだけで、疎遠でありながら父親をも愛していたのだと、改めて思い知る。
「⋯姉の婚約が決まった時に、わたくしも皇帝陛下へ謁見致しました。皇帝というお立場にあっても、ご子息達の幸せを願っている⋯そう感じ取れたものです。きっとその想いは、ルティウス殿下にも伝わっていたのでしょう」
悲しげな視線を向けるゼフィラが補足するように告げ、レヴィは僅かに、ルティウスを抱いている手に力を込めた。
自身のように父親の振りをした偽物ではなく、本当の家族を失った心の痛みは、容易に想像出来るものではない。
だがレヴィは、その痛みを知っている。
遠い過去の記憶を思い出すように金の瞳を閉じてから、胸元に寄り掛かる少年の深い緋色の髪をそっと撫でた。
「うーわ⋯やっぱり出たかぁ⋯」
絶望に苛まれたルティウスを穏やかに眠らせていたい⋯一同の共通する思いは、停止する馬車の振動と、御者台に座るジェロアの一言で打ち砕かれた。
「⋯ったく、しゃーねぇな!」
咄嗟に長剣を抜いたリーベルが面倒臭そうに呟き、ジェロアの隣から地面へと飛び降りる。
「なになに~?どしたの?」
軽い声で問うフィデスに対し、レヴィは反射的にルティウスの身体を片腕で抱きしめて、馬車の外へと鋭い視線を向けていた。
「⋯魔物か」
幌を捲り外の様子を確かめるゼフィラもまた、腰に携えている短剣に手を掛けた。
「多いですね。十は超えているでしょうか⋯」
荷馬車の前方を取り囲むように出現した、小規模な魔物の群れ。薄く立ち込める霧の中で怯えた二頭の馬が嘶くものの、ジェロアは手綱を強く握り馬達を抑えた。
「おぉっと⋯⋯やれやれ、俺はこの子達を守らなきゃいけないからさ⋯リーベル、あとは頼んだよ~?」
御者台に座ったまま普段と変わらない口調で、実力を知る旧友へと全てを託す⋯もとい、丸投げした。
「おいぃ?お前さん、そこに座ったまんまでも魔法撃てるだろうが!」
叫びながら、リーベルは間髪入れずに地面を蹴り、両手で握り締めている長剣を振り上げた。
襲い来るリーベルの剣には目もくれず、荷馬車を睨み続けている巨大な熊⋯グルマンベアは、四足歩行のまま突き進む。けれどその歩みはリーベルによって沈められる。
振り下ろした剣が放つ闘気の斬撃は、一閃で熊の頭を斬り落としていた。
「よっし、まず一匹!」
明るい声で宣言し剣を構え直そうとするリーベルの背後には、すぐにも別の魔物⋯レイスが迫ろうとしていた。
しかしレイスはリーベルへ肉薄するよりも先に、地面から立ち上る業火によって瞬時に消滅していった。
「うぉっ⋯!なんだぁ⋯?」
霊体に近いレイスは、剣士にとっては天敵とも呼べる。気配を探りにくく、物理攻撃は通らない。
けれどリーベルの隙を埋めるように、御者台から右手を翳すジェロアが放ったのは、レイスの弱点である火炎魔法。
「相変わらず、後ろが隙だらけだなぁ?」
瞬間的に立ち上った火柱はたちまち消え去り、後に残るのはジェロアの不敵な一言。
ニヤリと笑うリーベルは、直ぐさま魔物の群れへと向き直り、ジェロアへ軽口を返した。
「うるせえよ!」
十年が経っていても攻撃魔法の腕は衰えていないと知り、背後の懸念を捨ててリーベルは駆け出した。
「全く⋯。リーベルは本当に、周りを見てるんだか見てないんだか⋯⋯」
ぼやきつつも、その声はどこか弾んでいる。
御者台から動かず手綱を握り続けるジェロアの隣には、馬車の中から出てきたフィデスがちょこんと座る。幼気な少女の姿をちらりと横目で視認し、意識だけは魔物の群れの奥へと向けていた。
「おじさん、本当に魔道士だったんだね?」
フィデスもまた視線だけは逸らさないまま、隣に座る男へと冗談混じりに話し掛ける。
「⋯ウッ!なぁ、そろそろお兄さんと呼んでくれないかな⋯⋯⋯」
「それよりもさ⋯」
相変わらず『おじさん』呼びに精神的ダメージを受けるジェロアには構わず、フィデスは緋色の瞳を金に輝かせる。
「この地域に、レイスなんていなかったと思うんだよねぇ⋯?」
弛緩していた空気は、その一言で僅かに張り詰めた。幌の内側から話を聞いているゼフィラも、フィデスの言葉を肯定するように返した。
「グルマンベアも、食べ物を狙って人を襲う事はあります。しかしレイスと共に現れるなど、わたくしも聞いた事がありません」
ルティウスと、核の傷を負うレヴィを護るべく馬車に残っているが、ゼフィラはリーベルの加勢に向かうか悩み始めていた。




