0191
数日前。
グラディオス帝国。
「あぁ…いい景色だなぁ。そう思わないかい?」
恍惚とした笑みを浮かべて、赤い液体が注がれたグラスを片手に呟く、神々しいまでの金髪を靡かせる第二皇子が、城の尖塔から城下街を見下ろしていた。
「…これ以上殺してしまうと、国としての体裁が保てなくなりますよ……陛下」
感情の無い声で答える『人形』は、冷静に主を諫めるべく言葉を紡ぐ。
至極楽しそうに笑うラディクスは、グラスを傾けて、中身を周囲へと撒き散らしていった。
「ふふっ……今更、体裁なんて必要があるのかい?」
グラスを宙へ放り投げ、ラディクスは掲げた手に黒い炎を纏わせる。瞬時に巨大化した黒炎は、街の一画へ向けて容赦なく放たれた。
遠くから、一瞬の悲鳴が響き渡る。まだ理性を保っていた『生きている民』を探し出し、見つけ次第炎で焼き尽くす。ラディクスにとってそれは、ただの『退屈凌ぎ』でしかなかったが。
「私はね、暇なのだよ…。可愛い『遊び相手』も、誰かさんのせいで、西へ逃げてしまったしね」
笑顔の裏に底知れぬ不機嫌を滲ませて、ラディクスは嫌味のように『人形』へと告げる。
深く溜め息を吐いた『人形』は、短くも柔らかな金の髪を風に揺らしながら、ラディクスへと言い返した。
「僕のせいだと、仰りたいのでしょう?はっきり言ってくださいよ…」
狂った主の暇潰しに付き合わされる『人形』は、不遜にもラディクスを握っていた杖で小突いた。
「あはっ!本当に…君は面白くなったねぇ!」
楽しそうに笑うラディクスは空中へ手を伸ばし、指先に魔力を集中させる。瞬時に現れた無数の黒炎の塊は、雨のように地上へと降り注いだ。
着弾した地点では大きな爆発が巻き起こり、次々と建物が倒壊していく。再び響き渡る悲鳴と思しき声が届いた瞬間、隣に立つ『人形』は表情を僅かに歪ませた。
「…ッ!」
片手で頭を押さえ、苦痛を露わにする『人形』を目の当たりにして、ラディクスは蒼い瞳を瞬かせた。
「おや?まだ、自我が残っていたのかな?」
その一言は『人形』にとって最大の恐怖となる。これ以上を奪われたくはない…本能的な想いから、『人形』は何度か頭を振り、柔らかな笑みを浮かべて見せた。
「問題ないです」
再び冷ややかな声で返すと、ラディクスは楽しそうに、だが冷酷に『人形』へと命じる。
「そうかい?じゃあ、君もやっておいでよ…」
城下に向けて手を差し伸べ、にっこりとラディクスは笑った。
「…承知しました」
短く答えてから、『人形』は尖塔から軽く身を投げ、持っていた杖を両手で握り締める。光り輝く杖が魔力を寄り集め、地面へ落ちると同時に帝国全土を揺らすほどの膨大な力を解き放った。
直後、皇都一帯を包み込む黒い魔力が、地面を割っていく。街を守っていた壁は一斉に崩れ落ち、大きく口を開けた亀裂へと放り込まれていった。
「ははっ、なかなかやるじゃないか!」
尚も広がり続ける地割れを眺めて、ラディクスは愉快そうに手を叩いている。
狂った王が見つめる視線の先では、辛うじて皇都を脱しようとしていた『生きている民』が、突如として現れた亀裂へと吸い込まれるように落下していく。
「流石は、魔道士団長のご子息だね。なかなかの威力じゃないか」
喝采するラディクスの眼下では、全身に黒い魔力を纏う『人形』が、再び頭を押さえて苦痛を露わにしていた。
「……ダメ、だ……こんな事……しちゃ……」
既に、記憶は奪われている。
けれど魂に焼き付いた『想い』の残滓は、人形と化したはずの彼を未だ『人』で在り続けさせた。
「……ル…ティ…――」
思い出す事は出来ない。けれどその名前だけは、心の中から消える事が無い。
その場に蹲る『人形』をつまらなそうに見下ろして、ラディクスは表情から笑みを消していた。
「ふぅん……やっぱり、まだ残ってたんだね」
呟くと同時に、ラディクスは再び右手を掲げ、その手に魔力を集めると漆黒の細剣を具現化させた。
ふわりと尖塔から飛び降り、剣を構えたまま落下していく。
上空から迫る脅威に気付く事もなく、漆黒の剣は蹲ったまま動かないその身体を軽やかに貫いた。
だが、その身体からは血の一滴も流れる事は無い。
「ちゃんと…消してあげるからね、アミクス」
そう呟くと同時に、剣から黒い魔力が迸り、アミクスの全身を包み込んでいく。
「ッ、あ……あああっ!」
悲鳴を上げるアミクスは、やがて意識を失いその場に倒れ込んだ。溶けるように消えた剣は、尚も魔力の塊となってその身を包んだまま。
「…ミゼリア、いるかい?」
倒れたアミクスを冷たい目で見下ろして、ラディクスはその名を呼ぶ。
「はぁい!お呼びですかぁ?」
物陰からふわりと姿を現したのは、黒いローブで身を隠す、ラディクスの腰にも届かない背丈の小さな子供。
「彼を、城の中で休ませてあげてくれるかい?」
ミゼリアはこくりと頷き、自分よりも大きなアミクスの身体を軽々と抱え上げると、主を見上げて首を傾げながら笑った。
「……そのお顔、何か思いついたようですねぇ?」
問いに答える事なく、ラディクスは遠い、西の空を見上げていた。
「ちょっと、遊びに行ってこようかな、とね」
無邪気で執拗な悪意は、その存在を確かに捉えている。
悲劇を生み出し続ける第二皇子は、狩りを楽しむ獣のように蒼い瞳を細めていた。




