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竜と神のヴェスティギア  作者: 絢乃
第十七話 Silentium

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 ゆっくりと進む馬車がラテーレ村を出て少し経った頃。

 ルティウスは思い切って、御者台で手綱を握り続けるジェロアへと問い掛ける。

「ね、ジェロアおじさん!」

「⋯ウッ!⋯⋯⋯うん、もういいよ⋯⋯おじさんで⋯」

 ついに慣れてきたのか、おじさん呼びのダメージを心に受けながら、ジェロアは少しだけ顔を振り向かせて、ルティウスの言葉が続くのを待った。

「えっと、あの宿のおばさん、さ⋯⋯」

「うん⋯?」

 頭の中で整理し、感じたままをルティウスは尋ねる。

「何だか、すごく不安そうにしてるような気がしたんだけど⋯」

 その一言を機に、ジェロアはニヤつきがちだった目を僅かに細めた。

「あ~⋯うん。やっぱりサリアさんの子だなぁ。鋭いよねぇ⋯」

 そう語る声はいつもと変わらない。だからこそ、続く一言はルティウスへと重くのし掛かる。

「アーダさんには、息子さんがいてね。甥っ子君と近い年頃の子なんだけど⋯⋯五年前、騎士になると言って、グラディオス帝国へ向かったんだ」

「帝国⋯に?」

 和やかだった馬車の空気はその瞬間、張り詰めたものへと変わった。

「最初の頃は、よく手紙も来ていたし、帰省してきた事もあったよ。だけど、もう⋯──」

「黙れ」

 その先を紡ごうとした声は、唐突にレヴィによって遮られた。

 表情を変えず、だがレヴィは金の瞳を僅かに細めて、手綱を握るジェロアの背中へ視線を向けている。

「⋯レヴィ?」

 すぐ隣で、ぴたりと身体を触れ合わせているからこそ、ルティウスは勘付いた。

 何かを隠している、と。

「⋯⋯どうしたんだよレヴィ、何でそんなに⋯苦しそうなんだ?」

 向かい合う位置に座り、レヴィの顔を見ているフィデスとゼフィラも、僅かな機微には気付かない。

 御者台に座り、声だけを聞いているジェロアとリーベルも、その変化を感じ取ってはいない。

 ルティウスだけが、敏感にレヴィの感情を拾い上げていた。

「⋯⋯⋯ルティ」

 直後、レヴィはルティウスの身体を片腕で抱き寄せ、胸元へと凭れさせる。

「聞きたくなければ、すぐに遮っていい⋯」

 頭上から降り注ぐ声からは、迷いさえも感じられた。何か良くない報せが語られるのだと、優しく頭を撫でる手の感触がルティウスへと伝えてくる。

 こくりと無言のまま頷き、レヴィの言葉を待った。

「⋯⋯⋯お前の故郷は、既に国として機能していない」

 慎重に選び抜いて発した一言は、ルティウスの心へと深く突き刺さる。

 賑やかだったはずのフィデスとゼフィラも、二日酔いで苦しんでいたはずのジェロアとリーベルも、しんと静まり返る。聞こえてくるのは軽快な蹄の音と、進み続ける馬車のガタガタと揺れる物音だけ。

「⋯⋯内乱の後、圧政と粛清が続き、皇都の民は⋯⋯ほとんどが死んだそうだ」

 レヴィの胸元へ凭れ掛かったまま、ルティウスは微動だにしない。静かに俯き、小さな手に触れた白いローブの端を、きつく握り締めていた。

「⋯⋯第二皇子の暴虐によって、国政を担う貴族も大半が消され、事実上⋯⋯帝国は滅んだと言って差し支えない、と」

 出会った時から守ると決めた少年は、故郷の奪還を目的の一つとしていた。ルティウスを想うが故に、知り得た帝国の現状を報せるべきかと、レヴィは悩んだ。

 抱き寄せたまま触れている細い肩は、ほんの少し撥ねただけで、震える事すらなかった。

「それが……さっき、ウェンティ義姉様と話してた事?」

 ゆっくりと吐き出された問い。その声はレヴィが目を見開くほど、落ち着いたものだった。

「…………そうだ」

 答えながら、そっとルティウスの頭を抱き寄せる。

 もっと取り乱すかと思っていた。泣き喚き、再び心を壊してもおかしくないとすら考え、伝える事を躊躇った。

 だがルティウスは気丈にも笑みを浮かべ、レヴィを見上げる。

「ごめんな。レヴィにも、みんなにも…気を、遣わせてたんだよね?」

 蒼い瞳を何度か瞬かせて、ぐるりと視線を巡らせる。フィデスとゼフィラも沈痛な面持ちで俯き、口を噤んでいた。あの賑やかな叔父とジェロアさえも沈黙し、自分以外の全員が残酷な真実を知った上で、あえて伏せられていたのだと悟る。

「無理をするな、ルティ」

 皇子として生まれ、甘える事も、頼り方も知らなかった少年の精神的な脆さを、レヴィは嫌というほど熟知している。真剣な目で見つめても、しかしルティウスの表情は困ったように微笑んだまま。

 

 そしてレヴィはまだ、ウェンティから聞かされた情報の、最後の一つを伝えていない。ルティウスが悲しむと分かるからこそ、躊躇し続けている。

 だが、ルティウスは既に気付いていた。


 あまりにも残酷な、現実を。


「…帝国がそんな状態なら、さ………父様も、もう…――」

 それは家族を愛するルティウスにとって、最悪の結末。救いたいと願っても、二度と会う事すら叶わない。

「ははっ…もう少し、父様とも……話して、おけば……良かったな…」

 明るく話す声は、酷く震えていた。

 蒼い瞳はレヴィを見上げて、穏やかに細められている。けれどその眼差しが揺らいでいる事を、レヴィは決して見逃さない。

「強がるな、ルティ」

 直後、レヴィは少しだけ強引にルティウスの頭を抱き寄せ、その表情を隠すように両腕で包み込んだ。

「…我慢するな。ここには、今のお前を揶揄ったり、笑うような奴はいない」

 優しい声で囁かれ、ルティウスは瞳から大粒を雫を零し始めた。

 大きなレヴィの身体にしがみつき、白いローブを強く握り締めて、何度も肩を震わせる。

 それでも必死に声を殺し、悲しみを受け止める少年の姿は、この場に集う全員の心を痛めさせていた。


 八歳という幼さで、母親の惨殺という悲劇に見舞われた一人の皇子。

 僅か十年という歳月を経て、彼は帰るべき故郷と、父親さえも失った。

 悲嘆に震える小さな身体と、堪えるような小さな泣き声は、全員が抱く共通の、ひとつの強い想いへと帰結していく。


 第二皇子ラディクスを、許してはならない…と。


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