0187
「⋯⋯ジェロアおじさん、生きてる?」
冗談混じりに問うルティウスだが、答えたのは傍らに立つフィデスだった。
「だぁめだね~。荷物の積み込みもしてたんだけどさ、オジサン達はずっとあの調子!ほとんどボクがやったんだよ?」
リーベルはジェロアの隣で車台の壁に背を預け、意識を飛ばし掛けている。使い物にならなかったのは一目瞭然だった。
「あ~⋯⋯お疲れ様、フィデス」
自分よりも低い位置にある、柔らかい琥珀色の髪をそっと撫でる。情けない叔父達に代わって、奮闘してくれたフィデスを労う。
「えへへ⋯ルティ君にそう言って貰えるなら、頑張った甲斐があるなぁ~♪」
にこにこと笑うフィデスに釣られて、ルティウスも笑みを浮かべる。
だが隣に立つレヴィから冷ややかな声で、記憶から抜け落ちていた事実が告げられた。
「ルティ、忘れたのか。そいつは私と変わらぬ年月を生きる老獪な竜だ。見た目に惑わされるな⋯」
嫉妬しているかのように不機嫌な声が届き、ルティウスはそっと手を離す。フィデスはそれを気にした素振りもなく、馬車を眺めているウェンティへと振り向いた。
「ウェンティちゃん、そろそろ天空に帰るんだね?」
変わらぬ朗らかな声で問い掛けると、ウェンティも振り返りゆっくりと首肯した。
「ええ。此度の私の役目は、災厄からルティウス君達を救い、安全を確保する事。それが叶い次への道筋も整った今、地上へこれ以上関わるのは、あまりよろしくありませんもの」
それは、既に『人の理から外れた存在』であるウェンティの信義。
だが何よりも、もう何日もアールの傍から離れている。水の竜神に守られるルティウスを見る度に、遠い空の上で待つ愛しき番への想いも膨らみ続けていた。
「⋯そろそろ帰らなければ、アール様が何をしでかすか分かりませんからね!」
腕組をして空の彼方に視線を向けるウェンティは、呆れたように吐き捨てる。だが言葉の裏にある深い愛情に、ルティウスも気付く。
人と竜神の仲が良い光景は、常に竜神と共にいる少年にとっても嬉しいものだった。
「ウェンティ義姉様⋯また、会えるよね?」
少しだけ寂しさを滲ませる声で、ウェンティを『姉』と呼び問い掛ける。
直後、微笑みを浮かべるウェンティの全身が碧色の輝きを帯びる。風の魔力が凝縮され、その背に光り輝く翼を出現させた。
「もちろんよ、ルティウス君!今度は、天空宮殿で会いましょう。アール様と共に待ってるわ」
再会を約束する言葉と同時に、少女の身体はその場に浮き上がり、ふわりとルティウスの側へと近付く。実の弟のように愛しく思う少年の頬へ、別れの挨拶となる軽いキスを落とした。
「⋯えっ⋯⋯うぇえ?」
突然の事に困惑する少年は顔を赤らめて、弾かれたように身を離す。柔らかな唇の感触は消えず、手のひらで頬を押さえたまま、何度も蒼い瞳を瞬かせた。
「⋯⋯ルティに不埒な真似を⋯⋯⋯⋯」
迸る殺気を隠す事もせず、低く唸るような声がルティウスの耳に届く。だが聞こえなかった事にして、そのまま浮かび上がっていくウェンティに視線を向け続けていた。
「ふふっ⋯それじゃあ皆さん、ご機嫌よう」
ワンピースの裾を両手で軽く摘み、可憐な仕草で別れを告げるウェンティ。膨大な魔力を解き放った瞬間、風圧だけを残し消えるように天空へと飛び去った。
きらきらと魔力の残滓を降り注がせる、流星のような光の軌道を見上げて、二日酔いに苦しんでいるはずのリーベルは、静かにぼやいた。
「レヴィと言い、ウェンティちゃんと言い⋯⋯竜神とその周りの奴らはよぉ、何で人の目が多そうなとこで、平気で飛んでくんだ⋯?」
不調が少し回復したのか、リーベルは上空を見つめる。だが隣で手綱を握ったまま項垂れているジェロアが、友の抱いた懸念を払拭させる一言を告げた。
「⋯⋯だぁいじょうぶ⋯この村の人は、さ⋯⋯みんな、おおらか⋯⋯だか⋯⋯⋯うっ⋯!」
しかし言い終える前に口を押さえ、手綱をリーベルへと放り投げてから、ジェロアは御者台から転がるように飛び降り物陰へと駆けていく。
「おい、ジェロア⋯?」
かなり離れた位置の草陰へと潜り込むジェロアからは、時折嗚咽が漏れ聞こえてきた。
「⋯アッハハハ!おじさん、二日酔いのところに、馬車酔いもしちゃったのかな?」
ウェンティの見送りを終えて視線を地上へと戻したフィデスが、笑いながら冗談のように呟く。
「⋯⋯ルティウスほどじゃねえがな、アイツも⋯あんまり乗り物には強くねえんだよな」
渡された手綱を握ったまま、リーベルはふとルティウスへと視線を向ける。
未だ顔を赤くしている甥は、たった数時間の渡し船でさえ、起き上がれなくなるほどの酷い船酔いを起こした。これから始まる馬車の移動に耐えられるのかと、一抹の不安を抱いてしまう。




