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部屋に一人残ったルティウスは、ブランケットに包まったまま少しだけ顔を赤らめて、けれど嬉しそうに笑っていた。
皇子として生まれたが故に、皇帝である父親に甘える事は許されなかった。そうして積み重なった寂しい気持ちは、拒否せず応えてくれたレヴィによって、少しずつ満たされている。
「みんなの前で『お父さん』なんて呼んだら、どんな顔するんだろ…?」
悪戯っぽく呟き、想像を膨らませる。真っ先に思い浮かぶのは叔父のリーベルが憤慨する姿と、そんなリーベルに対し自信に満ちた笑みを浮かべるレヴィ。
一触即発の二人を思い浮かべれば自然と笑いが込み上げ、身体は肌寒さを感じていながらも、心は温かい気持ちで一杯になった。
そうして微かな寒さを覚えベッドに縮こまっていると、やがて何かを手にしたレヴィが部屋へと戻ってきた。
「やはりゼフィラが気付いていたようだ」
言いながら部屋に入ってくるレヴィの手には、白い薄布が被せられた大きめの木製トレーがある。
ブランケットを被ったまま起き上がるルティウスの、手が届くベッドの上にそっとトレーが置かれた。
「…そこにテーブルあるじゃん」
行儀が悪いと感じて指摘してみるも、レヴィはただ微笑むだけ。
「その、頭から被っているものから抜け出せるのか?」
ルティウスが寒がりである事を知った上での一言に、ルティウスは少しだけむっとした表情を浮かべる。微笑んだままのレヴィもベッドの端に腰を下ろし、トレーに掛けられていた薄布を取り払った。
トレーに並ぶのは二人分の…にしては随分と量が多い…色とりどりの具材が挟み込まれた手のひらサイズのパンだった。
冷めているものの小さめのポットとカップも並んでおり、蓋を開けてみれば蜂蜜を溶かされた紅茶の甘い香りがふわりと広り、ルティウスの鼻腔へと届く。
「なんか、多いね……?」
「…そうだな」
ゼフィラの気遣いだろうという事は、トレーの端に添えられていたメモが示している。宿の女主人に頼んだのだと、小さなメモに綺麗な字で書かれていた。
けれど用意された量を見て、二人は笑ってしまった。
「俺、そんなに大食いじゃないんだけどね」
言いながら腕を伸ばし、皿の上に並ぶパンを一つ手に取って噛り付く。冷めてしまう事が想定されていたのか味付けは濃い目で、けれど挟まれている葉野菜によって濃さは感じない。
多くは食べられないと自覚しているルティウスでさえ、幾らでも食べられそうと思えるほど絶妙な味付け具合だった。
「レヴィも食べなよ、これ美味しいよ?」
カップに紅茶を注いでいるレヴィへ声を掛けると、金色の瞳がゆっくりと皿の上へ落ちていく。ポットを置いた手でそのまま一つを掴み、レヴィもまた齧り付くように食べていく。
「……悪くないな」
普段通り端的な感想を述べてから、再び噛り付くレヴィの姿を見て、ルティウスは蒼い瞳を僅かに見開いたままじっと固まっていた。
視線に気付いたレヴィがちらりとルティウスを見て、食べる手を止める。
「どうした?」
「いや、えっとね…」
カップに注がれた冷たい紅茶を飲み、どこか躊躇いがちにルティウスは呟いた。
「やっぱり、竜なんだなぁって」
「…いきなり何だ?」
言葉の意味が分からず問い返すと、ルティウスは自身の指先を口元に当てて意図を示した。
「…牙?」
確かめるように呟かれた一言に、レヴィは僅かに目を見開き、少しの間を置いてから納得したように息を吐いた。
「…………あぁ、そういう事か」
レヴィもまたカップを持ち、冷えた紅茶を一口飲む。ルティウスの無邪気な問いへどう答えるかを悩むように少しの間を置いてから、トレーの上にカップを戻しゆっくりと語った。
「人に成る際の容姿は自在と言ったが、竜である事の特徴は残る。牙もそうだが、名残を無くす事は出来なくてな…」
この程度の事実で今更恐れるような子ではないと、十分過ぎるほどに知っている。しかし竜である事によって恐れられた遥か過去の記憶が、レヴィに話す事を躊躇わせていた。
けれど視線を戻してみれば、ルティウスはどこか嬉しそうに、そして楽しそうに表情を明るくしている。
「そっか…へへっ。そっかぁ……」
二つ目のパンを取って齧り付きながら、にこにこと笑うルティウスが、やはり恐怖などとは無縁の一言を呟く。
「竜がお父さんかぁ……なんか、すごいなぁ」
ごく僅かな不安すらも吹き飛ばすような笑顔と無邪気な言葉に、レヴィは見開いた瞳をゆっくりと閉じてから、パンを頬張るルティウスの頭を少しだけ乱暴に撫でた。
「…だが、奴らの前ではそう呼ぶなよ?特にリーベルあたりに聞かれれば、後が厄介だ」
言われてから、レヴィを父と呼んでしまった場合の叔父の反応を想像してみる。やはり一触即発になる光景は容易く思い浮かび、苦笑が零れた。
「そうだね。大変な事になりそう…気を付けるよ」
その後もルティウスは幾つもパンを口に運び、満たされた事で腹の虫は大人しくなった。だが空腹が解消される頃、困惑の表情を浮かべるルティウスは、まだ多量に残っている皿の状況を眺めながらレヴィへ押し付けようとする。
「…やっぱり多いよね。レヴィももっと食べてくれないと、俺だけじゃ無理だよ?」
言いながらトレーをそっとレヴィの方へと寄せていく。
「今全て食う必要も無いだろう…」
「でも…」
レヴィも今は満足しているのか、これ以上食べる気は無いと示すようにトレーを持ち上げ、部屋の隅に備えられているテーブルへと置きに行った。
ベッドへと戻り、ルティウスのすぐ傍に再び座るレヴィは、窓の外へ視線を向けながらもルティウスの頭を撫でて、優しい声で囁く。
「まだ夜明けまで時間がある。もう少し眠っておけばいい」
月の明かりはまだ少しだけ高い位置にあると、月光から生じる影で判断し二度寝を促す。だがレヴィを見上げるルティウスは、どこか不満そうな表情で反論した。
「でも、もう目は覚めちゃってるけど…」
「それでもだ」
巻き付けるように被っていた布を剥ぎ取り、同時に肩を掴んで再び強引にベッドへと寝かせる。抵抗される前に奪い取ったブランケットを広げてルティウスへ掛け直してから、レヴィもまたルティウスのすぐ隣へ身体を横たえた。
「…ちょっと、レヴィ!…ったく、相変わらず強引だなぁ」
「黙れ」
言葉だけで抗議はしてみるものの、抱き締めるようにぴたりと寄り添うレヴィが隣にいるだけで、それまで感じていた肌寒さも薄れていく。
「背を伸ばしたいんだろう?だったらちゃんと寝ろ」
身長が低いという長年の悩みを指摘され、ルティウスは反論の余地を失う。
「う…ちくしょう……そうは言っても、母様も確か…そんなに大きい人じゃなかったはずだからなぁ…」
寒がっているのか、レヴィの腕が小さなルティウスの身体をしっかりと抱き寄せた。触れてくる手の冷たさに気付き抗う事なく身を任せていると、少しだけ希望を抱けそうな一言がレヴィから告げられた。
「リーベルはどうだ?アレは私と変わらないほどでかい…同じ血筋なら、可能性はあるんじゃないのか?」
考えた事も無かった叔父の背丈。確かに身長は高く、レヴィと並んでも遜色は無い。それどころか体格だけならば、叔父の方がしっかりしているように見える。
「俺も、叔父様みたいに大きくなれる…かな?」
希望に満ちた声で問われて、しかしレヴィは返答に詰まる。
「……まずは食べて寝ろ。それからだ」
人間の生態に詳しい訳ではない竜のレヴィ。けれど持ち得る知識から察するに、少年の願いは儚いものと思い至ってしまう。
「…なんだよ、もう。神様なら、身長くらい伸ばしてよ……」
「無茶を言うな」
ぶつぶつとぼやくルティウスの頭を撫でながら、レヴィも静かに目を閉じていく。
それまでひた隠しにしていた、寒さによる微かな震えは収まり、腕の中から伝わる温もりがレヴィの心をも暖めていった。
眠くないと言い張ったルティウスもまた、ぴたりと寄り添う父親のようなぬくもりに包まれて、次第に微睡んでいく。




