0179
宿の女主人が呟いた通り、他に宿泊客が居ない静かな廊下を抜けて、レヴィは泊まっている部屋へと戻った。
ルティウスを抱えたまま器用に扉の開閉をこなし、部屋の奥へと進んでいく。泥酔した少年をベッドへゆっくり下ろそうとするが、首元にしがみついたまま離れようとしなかった。
「ルティ、部屋に着いたぞ」
僅かな移動の間に寝落ちでもしたのかと様子を窺う。酔っ払いならではの遠慮の無い力が込められている細い腕を解き、ようやく身体を離させたところで表情を覗いてみれば、ぼんやりとしたまま蒼い瞳を薄く開き、どこかを見つめている。
「⋯ルティ?」
名を呼んでやれば、焦点の合っていなかった視線はレヴィを捉え、直後にまたにんまりと笑みを浮かべる。
「⋯⋯⋯へへっ」
どこか具合でも悪いのかと案じたが、安堵と呆れの混じる溜め息を吐いてルティウスの隣へと座った。
「もう寝てしまえ、酔っ払い」
言いながら肩に触れて軽く押せば、いとも簡単に倒れ込みベッドの上へと転がる。
「ははっ⋯⋯なぁにすんだよぉ⋯」
あの時のようにまた笑い転げるのかと予想するレヴィだったが、すぐにもルティウスの動きは仰向けのまま停止した。
「⋯どうした?」
明らかに以前とは違う反応に、レヴィは怪訝な表情を浮かべて見下ろす。
そしてルティウスは、呂律が回らないせいか普段よりもゆっくりと、思いがけない一言を呟いた。
「⋯もしも、さぁ⋯⋯おれが皇子じゃなかったらぁ⋯」
「うん⋯?」
「お父さんって、こんな感じ⋯なのかなぁ?」
「⋯⋯⋯⋯は?」
あまりにも突拍子のない『もしも』の話。
何を言いたいのか分からず表情を顰めるも、食堂から退散する直前に言われたある一言を思い出した。
「⋯フィデスの戯言を聞いていたのか?」
問い掛けてみても、ルティウスは答えない。代わりにぽつりぽつりと零すように発せられるのは、酔っている時にしか吐き出さない少年の本心。
「⋯ほらぁ、父様は皇帝陛下かだからさぁ⋯⋯あんまり、話した記憶も無いんだぁ⋯⋯」
両腕を伸ばしじたばたともがく様子から起き上がりたいのだと察して、その腕を掴み引き寄せる。ふらつく身体を支えるように肩を抱き自身へと凭れさせながらも、呟かれる言葉をじっと聞いていた。
「母様のことはねぇ、ちゃんと覚えてるんだけどさぁ⋯⋯父様って、どんなものか、分かんなくてさ~」
酒のせいで頭が重いのか、勢い良くレヴィの胸元へと顔を埋めるように凭れ掛かるルティウスは、けれど急激に上向きレヴィの瞳を真っ直ぐに見上げた。
「⋯よく叱られるし、いろいろカタいし、お父さんってレヴィみたいなのかなぁ、ってさぁ~!」
どう答えるのが正解なのか、それは数千という永きを生きるレヴィであっても分かるものではない。けれど吐き出された本心は、決して無下にしていいものではない事だけは確かだった。
深く溜め息を吐いてから、すぐ側で見上げてくる無邪気で無防備な酔っ払い少年を、起き上がらせたにも関わらず肩を掴んで、勢い良くベッドへと沈めた。
「⋯っわ!」
突然の事に驚きを見せるも、やはり酔っているからかケタケタと笑うルティウスを見下ろして、レヴィは少しだけ真面目な眼差しを向けていた。
「⋯私を父親のように思いたいのなら、別に構わん。だがな⋯──」
ルティウスを倒れさせたままベッドに付いていた腕を持ち上げ、笑い転げる酔っ払いの額に指先を宛てがう。そうしてぴたりと動きを止めたレヴィに釣られて笑いを引っ込めるルティウスへ、容赦なく告げた。
「⋯父親の言う事は素直に聞け」
直後、レヴィは宛がっていた指先でルティウスの額を弾き、軽い仕置きを繰り出していた。
「あだっ⋯!んもぅ~、なぁにすんだよ~⋯」
「黙れ、子供のくせにあんな無謀な酒の飲み方をしたお前が悪い」
そうして叱咤しながらも、レヴィは起き上がりルティウスが履いていた靴を脱がせていく。魔法を使ってでも今度は早くに眠らせよう⋯そんな決意を密かに抱くレヴィへ、躊躇いがちに呟かれる小さな声が届く。
「⋯⋯レヴィが、ほんとに⋯⋯父さんだったら⋯良かったのになぁ⋯──」
脱がせた靴を揃えてベッドの下に置いた直後、途切れた声に振り返った先では、僅かに寝返りを打ちレヴィの方へと転がり掛けている、やはり唐突に意識を手放しているルティウスの幼い寝顔があった。
「⋯⋯全く、手のかかる子だ」
楽しげにぼやきながら、ルティウスの身体を掬うように優しく抱き上げ、ベッドの正しい位置へと寝かせていく。
厚手のブランケットを捲り、少しだけ冷え始めていた小さな身体を包み込むように収める。深く穏やかな寝息を立て始めるルティウスのすぐ側へ、見守るように座る。
見慣れた柔らかい緋色の髪を慈しむようにそっと撫でて、レヴィは満ち足りたように、そして嬉しそうに瞳を細めていた。




