0178
親子のような二人が離脱した後。
その場に残った女性陣は食堂の端で今にも酔い潰れそうな男達を放置し、静かに果実酒を楽しむ女子会の如き雰囲気を満喫していた。
その時、宿の女主人がひょっこりと食堂を覗きに顔を出していた。
「おやぁ、なんだか盛り上がったみたいだねぇ?」
「あっ、おばちゃん!」
テーブルの上に所狭しと並ぶ空き瓶を目にして、女主人アーダはにっこりと人の良さそうな笑みを浮かべている。
その視線に気付いたゼフィラが、酒で紅潮した顔を少しだけ真面目なものへと切り替え、テーブルの有様について詫びた。
「申し訳ありません、わたくし達が出る前には片付けますので⋯」
けれどそんなゼフィラの謝罪に目を丸くしたアーダは、すぐにも表情を綻ばせてから軽く首を横に振る。
「いいんだよ、気にしないでおくれ。それよりもね⋯」
途中で言葉を途切れさせたアーダは、端のテーブルでついに突っ伏しているジェロアを優しげな眼差しで見つめていた。
「あの村長さんがね、こんなに酔っ払うなんて⋯よほど楽しかったんだろうねぇ」
未使用のグラスに果実酒を少しだけ注ぎ、ウェンティがアーダの前へと差し出す。意図を汲んだアーダはそれを受け取り、傍らの椅子へと腰を下ろして、三人にとってはあまりにも意外な事実を語った。
「村長さん⋯もうジェロア君でいいかしらね。彼は、お酒好きだというのを隠さないのに、村のみんなはほとんど飲んでる姿を見た事無いのよ?」
「えっ、ジェロアおじさんが?」
驚きのあまり声を上げるフィデスと、同様に驚くも表情を変えず静かに聞いている姉妹。そんな三人の反応を見て、アーダはまた控えめに笑っていた。
「ジェロア君はね、ずっとこの日を待っていたんだろうねぇ。交易のためと称して近くの街へ出向いては、あちこちで目に付いたお酒を買い漁っていたのよ」
各都市の酒屋を巡り、気に入ったものを買ってはしまい込む⋯その姿を容易に想像出来てしまい、三人もまた笑みを浮かべる。
テーブルに並ぶ数々の酒も、そうしてジェロアが積み上げ続けた長年の戦果であると、一つとして同じものが無いラベルを見比べてそのこだわりにも感服していた。
ウェンティから渡されたグラスを眺めて、注がれた酒の香りを楽しみながらゆっくりと口を付けていく。少しだけ驚いたように目を丸くしてから、端で酔い潰れているジェロアへと視線を向けた。
「⋯流石はジェロア君の選んだお酒ね。本当に、彼の舌は確かなのねぇ」
一口飲んで勢いづいたのか、アーダは何度もグラスを傾けあっという間に飲み干してしまった。
「彼の舌が確か、というのは⋯?」
すかさずボトルを持ち上げ、空になったアーダのグラスへ酒を足していくウェンティが問う。
「そこにあるの、『メル・フロース』でしょう?あれもね、ジェロア君が村に来てから味の改良がされたのよ」
既に中身が無くなりかけている白い紙袋。よく見ればその隅には五枚の花弁を付けた小さな花の絵柄が刻印されており、あの焼き菓子専用の包装袋なのだと今更気付く。
手を伸ばし紙袋を手に取るゼフィラが、まだ残っている『メル・フロース』をアーダへと勧める。嬉しそうに表情を綻ばせて一つを摘み、ジェロアが成した事を感慨深げに語った。
「形は変わらないのだけどね、味は今と昔じゃ結構違ったのよ。ルナリスフローラの蜜を使うなんて、誰も思い付かなかったからねぇ」
そうして味の改良が成された焼き菓子は、ラテーレ村のみならずヴェネトス公国へも浸透していった。僅か数ヶ月で頭角を現し村の特産品として有数のものに成り上がった経緯は、公女であるウェンティとゼフィラも知るところ。
けれどそこにジェロアという一人の男の奮闘があったなど、国の中枢にいる二人の公女も知らなかった。
「あのおじさん、ただのお酒好きの変な人じゃなかったんだね?」
ゼフィラの横から手を伸ばし、焼き菓子を摘んで頬張るフィデスが素直に呟くと、アーダは大きな声で笑いだした。
「あっははは!そうだねぇ、変な人ではあるわねぇ!」
擁護するかと思いきや、アーダもまたジェロアを『変な人』と称する。やはり認識は誤りではなかったのだと、三人はどこか納得したように視線を交わらせて頷き合った。
「真面目そうに見えたと思ったら、突然おかしな発案をしてきたりするからねぇ!」
酒が入り高揚しているのか、どこか饒舌なアーダはさらに語り続ける。
「あの花が咲いてる湖へもやたら頻繁に出向いてたみたいだし、そうかと思えば家に引きこもって出てこなかったり⋯最初の頃は、何してるんだろうって不審に思った事もあったもんさ!」
そうして快活に笑うアーダだったが、けれど不意に瞳を細めて、ついに寝息を立て始めているジェロアを向いたまま優しい声で言う。
「けどね、全ては村のためだったんだよ。花の植生や成分を調べてさ、お菓子にもお酒にも使えるって発見したのが彼でね。そうやって、ジェロア君はしっかりと村のために力を尽くしてくれた。だから村の皆で、先代が引退した後に村長を継いでくれってお願いしたんだよ」
フィデスと、そしてゼフィラとウェンティも、どうしてジェロアが若くして村の長という立場に就いているのかは気になっていた。けれど語られた事実は、知的好奇心が過剰で適当な変人という印象を覆すのに十分なほど、三人の心に強く響いた。
「しかし⋯そんなすごい事をやってのけたとは⋯⋯思えない潰れっぷりね」
呆れた声でウェンティが呟いた通り、ジェロアはだらしなく口を開き、涎を垂らしながら眠っている。アーダの言葉は真実なのだろうが、弛まぬ努力によって村長へ成った男という印象は、その姿を見れば容易く砕け散ってしまう。
そうして笑う三人の様子を満足そうに見回して、アーダゆっくりとは椅子から立ち上がった。
「さぁて、あたしは明日の朝食の仕込みにでも戻ろうかね」
朝食⋯という言葉を聞いて、ゼフィラははっとしたように目を見開いた。
「⋯お食事⋯⋯あの、でん⋯⋯ルティウス様は、夕食を摂られましたでしょうか?」
確かめるようにウェンティとフィデスを見るが、二人とも首を傾げていた。
「⋯そういえば、食べてるところは見てなかったわね?」
「ボクがレヴィを引っ張っちゃったから、そのままお酒飲んじゃってたもんね!」
三人の導き出す答え。それは、ルティウスが夕食を摂らずに酔っ払い、部屋へ戻されてしまったという現実。
「おや、食べてない子がいるのかい?なら、軽い夜食でも用意しといてあげるよ」
深刻そうな表情で顔を見合わせる三人へ、アーダはにこやかな笑顔で応じる。
「おばちゃんゴメンね!とっても助かるよ!」
顔の前で手を合わせ、謝罪と礼を伝えるフィデスにも、アーダはやはり変わらない笑顔で頷き返す。
「⋯ここにいない子だから、あの赤い髪の坊ちゃんと、白いお兄さんの分かしらね?」
「そうなの。二人分、お願いしてもよろしいかしら?」
レヴィならば、自分は不要だと言い出すだろう。かと言ってルティウスの分しか用意が無ければ、レヴィのためにと自分の食事を分けてしまいかねない。
成長期は終わっていようが、年齢よりも随分と小柄なルティウスはしっかり食べさせなければならない⋯長姉でもあるウェンティは、ルティウスを義弟のように想うが故に二人分をアーダへと要請していた。
「承知しましたよ。作ったら厨房に置いておくから、後で取りに来て届けてあげておくれ」
明るく返事をしながら、アーダは食堂から去っていった。
再び残された三人は、女主人の登場によりさらに温かな気持ちを抱き、それまでよりも和やかに談笑を続けていた。




