0175
フィデスが語り終える頃、宿の食堂はしんと静まり返っていた。レヴィを道連れにするべく慣れない酒を煽り、徐々に酔いが回り始めるルティウスまでもが、信じられないものを見るように蒼い瞳を見開いてレヴィを凝視している。
「フィデスちゃん⋯そいつは、マジなのか?」
静寂を打ち破り口を開いたのは、レヴィを羽交い締めにしたまま唖然とした表情でフィデスへと問うリーベル。
「ホントホント~!昔のレヴィったら、加減も何もあったモンじゃなかったよ!」
過去を思い返すフィデスは至極楽しそうに笑みを浮かべ、尚もテーブルに立ち並ぶ数々の果実酒を堪能するべくグラスを傾けた。
そうして再び沈黙が広がりそうになったが、酔い始めているルティウスは堪えていたものを解き放つように笑い出す。
「⋯⋯っくく、レヴィが⋯⋯昔は、制御なんて⋯出来てなかったのか⋯⋯ふふふっ」
テーブルに手を着いたままその場にしゃがみ、尚も笑い続けるルティウスの反応は、それまでリーベルに押さえ込まれていたレヴィに抗うだけの力を取り戻させる。
「⋯いい加減に、離せ!」
羽交い締めにしている腕を振り解き、レヴィはルティの側へと即座にしゃがみ込んだ。対して振り払われたリーベルはバランスを崩し倒れそうになるも、すぐ傍らで加勢していたジェロアによって支えられ転倒を免れていた。
「ルティ、違うぞ!制御出来ていなかった訳ではない!」
笑い続けるルティの肩に触れ、どこか焦りを滲ませた表情と声で弁明を始めるが、全員が既に察している。
かつては、レヴィも未熟だったのだ、と。
「あっ、ちなみにね~?今の話にあった湖、確かここからそんなに遠くなかったと思うよ~?」
ボトルを持ち上げ、空になったグラスへ果実酒を注ぎ足しながら告げられたフィデスの一言に、はっとした様子のジェロアが勢いよく振り返る。何度か瞬きを繰り返した後、今度はテーブルの端に置かれている、あの焼き菓子が入った白い紙袋へと視線を向けた。
「えっ⋯もしかして、ルナリス湖の事⋯?」
「⋯えっ?」
「本当ですか?」
ジェロアの口から出た湖の名を当然のように知っている公女姉妹もまた、口々に驚愕の声を漏らしている。
「ラテーレ村の北西、街道の近くにあるルナリス湖⋯長い年月を経て美しい円形となった、と言われておりましたが⋯」
ゼフィラの言葉に頷くウェンティもまた、妹の声へ続けるように語った。
「月の光を反射して、湖そのものが白く輝いて見えるという話から、ルナリス湖と呼ばれるようになった⋯はず」
現代に生きるゼフィラやウェンティ、そして近隣でもあるラテーレ村に住まうジェロアにとっても驚きの真実であった。
三人の視線は、改めてレヴィへと向けられる。驚愕のあまりすぐ側の椅子へ腰を下ろすジェロアは、再びブランデーの入ったグラスを傾けながらも、レヴィをどこか尊敬に満ちた眼差しで見つめていた。
「⋯ルナリス湖の周りにはね、そこにしか咲かない花があるんだ」
言いながらグラスをテーブルへ置き、代わりに焼き菓子の入った白い紙袋へと手を伸ばす。
「ルナリス・フローラといってね⋯夜になると月光を浴びて、青白く輝く花なんだけどさ⋯⋯」
ガサガサと音を立てて焼き菓子のひとつを指先で摘み、皆に見えるように持ち上げる。
「この『メル・フロース』はね、そのルナリス・フローラの形を模して成形されてるんだよ」
真実を語るジェロアは、満足そうに焼き菓子を口へと放り込む。じわりと広がる優しい甘さに表情を綻ばせるジェロアを驚いたように見上げるルティウスもまた、ジェロアから外した視線をすぐ側でしゃがみ込んでいるレヴィへと向けた。
「⋯⋯レヴィ」
「ルティ、いいか。あの時はただ試していただけだ。決して制御出来ていなかった訳では⋯──」
必死の言い訳を並べ連ねるレヴィの言葉が終わるよりも早く、ルティウスはレヴィへと抱きついていた。
その光景に、リーベルは目を見開いて憤怒の表情を浮かべ、姉妹はどこか楽しそうに頬を染める。ジェロアの口からは、グラスを傾けたまま硬直した事でブランデーが垂れ流れていた。
「…おい、ルティ?」
「なぁ~んだ~!母様の好物が出来たのも、俺もそれを食べられたのも、ぜぇんぶレヴィのおかげだったんだぁ~!」
嬉しそうに話すルティウスの声は弾んでいるが、しかし飛び込んでくる小さな身体を受け止めたレヴィはすぐに気付いてしまう。
「…ルティ、お前酔っているだろう?」
たった一杯しか飲んでいない。けれどルティウスが選び取ったグラスに注がれていたのは、以前飲んだもののような果実酒などではない。
「リーベル、ジェロア!」
唐突に名を呼ばれてはっと我に返ったジェロアは慌てて口元を拭い、リーベルは複雑な心境を表情に残したままレヴィへと向いた。
「ルティが飲んだ酒は一体何だ!」
同じ色と透明度を誇る酒は、グラスに注がれたままのものが幾つか残っている。これ以上酔ったルティウスが手を出してしまう前に、状況次第ではその全てを飲み尽くす覚悟さえも抱き始めていた。




