0167
「ねぇ、何の話ぃ?」
唐突に古代史の話で盛り上がるゼフィラ達へ、首を傾げるフィデスが問い掛けた。
これほど張り詰めた空気の中で、どうして平然としていられるのか⋯。ルティウスを思うが故に殺伐とした気配を纏わせるレヴィの眼前で繰り広げられた、関係があるかどうかも分からない会話。
現にレヴィは酷く苛立っていると、瞳を見れば一目瞭然だった。
「フィデスさん、神の涙⋯いえ、『星の雫』が求める贄は、決して誰かの命とは限らないという意味ですよ」
穏やかな表情で答えるウェンティの言葉に、フィデスは緋色の瞳を見開いて固まる。
「え、そ⋯そうなの?」
無言のまま頷くゼフィラを見てから、そして同じように穏やかな笑みを浮かべているジェロアへと視線を向けた。
「歴史の中で、後世に残る文献ていうのは少しずつ歪曲されていくものなんだ。時代によって解釈が変わる事もある。だから甥っ子君が話した一節も、それが真実とは限らない。それにさ⋯──」
言葉を途切れさせたジェロアは、唐突に上体を屈ませて足元に置いていた荷物を漁り、まだ持っていたあの焼き菓子が入っている白い紙袋を取り出した。
がさがさと音を立てながら開封し、黄金色に焼けた花の形のメル・フロースを頬張って、決定的な一言を発する。
「あのサリアさんが『星の雫』を示して俺に情報を探らせたんだ⋯。甥っ子君を苦しめたり悲しませるような危険があるなら、サリアさんがそんなもの選ぶはずないんだよ」
静寂が広がる宿の食堂。
呑気に焼き菓子を食べるジェロアの視線は、いつの間にかルティウスからも目を逸らし俯いているレヴィへと向けられていた。
「ねぇ、保護者さん」
焼き菓子を欲しそうに蒼い瞳を輝かせていたルティウスの眼前へ紙袋を差し出しながら、殺伐とした空気を漂わせ続けているレヴィへ声を掛ける。けれどレヴィは振り返りもせず、ただ沈黙していた。
「その子を、命を懸けて守ったサリアさんの遺志と、彼女の想いを受け取ろうとしている彼の気持ちを、信じてあげてくれないかな?」
俯いたまま、前髪の隙間から金色の瞳を覗かせジェロアを睨むレヴィは、しばらく経ってから大きな溜め息を吐き、諦めたように顔を上げていつの間にか焼き菓子を頬張っているルティウスを見下ろした。
「⋯⋯⋯ルティ」
名を呼ばれ、口いっぱいに焼き菓子を詰め込んだまま振り向く無邪気な姿を見て、心の中を埋め尽くしていた不安と苛立ちは脆く散っていった。
「⋯⋯⋯⋯⋯早く食べてしまえ」
「⋯っ、ん⋯ご、めん⋯!」
それまでの緊張感など知らないかのように、純粋に菓子を楽しむルティウスもまた、レヴィの想いを理解している。
出会ってからそれほど長く一緒に居るわけではない。けれど何度も心配を掛けさせ、その度に過保護になっていった事も分かっている。
ようやく飲み込んで落ち着いたルティウスを少しだけ呆れたように見下ろして、またもや口の端に焼き菓子の欠片が付いているのを目撃してしまった。
「⋯ふっ⋯⋯⋯」
軽く噴き出すように息を吐き、再び口元を押さえながら、金の瞳を優しげに細めてルティウスへと釘を刺した。
「お前の望むようにしてみればいい。ただし、危険と判断したら私がどうなろうとも止めるぞ」
そうして、当面の目標は定まった。
レヴィの許可さえ得られれば、ルティウスをどこへなりとも向かわせる事が叶う。未だ全ての懸念を払拭出来た訳ではない。けれど誰もが『ルティウスの母が示した道』を信じると決めていた。
ようやく話が纏まり方針が定まったところで、しばらく沈黙していたリーベルが唐突にジェロアへと問いかけた。
「なぁ、ジェロアよ⋯」
「なんだい?」
甥を思うリーベルにとっては、確かめなければならない事が二つある。
「お嬢ちゃん達が『根源』の話をしてた時、お前さん全く驚いてもいなかったよな?一体、どこから知った?」
ここまでの道中に於いても、ルティウスの素性や秘められた力については情報を漏らすような事はしていない。だが今日初対面であるはずのジェロアが驚きもせずにいた事に、リーベルは疑念を抱いていた。
「その事かい?ん~⋯⋯⋯甥っ子君、俺から話してもいいかい?」
既に、ジェロアに託された手紙はルティウスへと渡っている。その内容に触れる話は、もはやジェロアの一存で公に出来るものではなかった。
「大丈夫だよ。おじさんが悪い人じゃないのは、もう分かってるからさ」
「うっ⋯⋯⋯やっぱりおじさん⋯⋯まぁいいや」
がっくりと肩を落とすも、気を取り直してジェロアはリーベルへ視線を向け、驚かなかった理由を明かす。
「サリアさんの手紙にね、書いてあったんだよ。星に選ばれたあの子のために⋯ってね」
「選ばれた⋯?」
その一言に、ルティウスの横からそっと焼き菓子を狙っていたウェンティが反応する。
「選ばれた⋯⋯それは、アール様も仰っていましたね」
しばらく前の天空宮殿で、ウェンティの番であり主でもある風の竜神アールが、サルースに向けて不意に囁いた一言だった。
「⋯アールが?」
突然出てきた同胞の名に、レヴィがウェンティへと視線を向ける。
四属性を司る竜神達の中で、最も知に長けたアールが持つ情報の多さは群を抜いている。レヴィですら知らない何かを知っていてもおかしくはないと、どこか納得も出来てしまう。
「やはり、アールもルティの存在に気付いていたか⋯」
根源と繋がったまま、あれだけ派手に力を使えば風脈の揺らぎで気付くのは間違いない。懸念はしていたが、実際に知られていると聞かされ、レヴィは密かに警戒心を抱いていた。
「ええ、アール様もルティウス君については認識しておられます。ですが、ルティウス君の事を信じて、期待を寄せているように感じました」
「⋯⋯風の竜神が、俺に?」
相変わらず焼き菓子を摘もうとしていたルティウスはその手を止め、ウェンティの言葉に耳を傾ける。
「私も詳しくは聞いておりません。是非とも、直接アール様に聞いてみてください。きっと色々な事を教えて下さいますよ」
どこか嬉しそうにアールの事を語るウェンティは、僅かに頬を染めている。
「⋯会いに、行けるの?」
「可能です。現に、サルース君もアール様とは何度かお会いしてますからね」
再会を切望している兄もまた風の竜神の庇護下にあると改めて思い知り、ルティウスは少しだけほっとしていた。




