0162
「叔父様⋯?どうかしたの?」
その声が響いた瞬間、全員の視線がルティウスへと縫い付けられる。
「⋯⋯⋯⋯え、何?」
あまりにも賑やかだったその場所は、謎の静寂に包まれた。
無言のままダメと言わんばかりに首を横に振り続けるフィデスの傍らでは、残念そうに顔を見合せた姉妹が揃って項垂れている。
そして玄関扉の前で脆く崩れそうな壁になろうとしていたリーベルもまた、ルティウスの声に表情を凍りつかせて振り返り、悲愴なのか落胆なのか分からない表情を浮かべて立ち尽くしていた。
けれど扉の外にありながら、リーベルの影から顔を覗かせていたジェロアだけが、今にも泣きだしそうなほどに瞳を輝かせて階段の中腹で立ち止まるルティウスを見つめている。
「⋯⋯⋯あの子、が⋯──」
ぽつりと呟かれた小さな声は、すぐそばに居たリーベルだけが聞き取れた。即座に振り返りジェロアを止めようと手を伸ばすも、その腕を掴むよりも速くジェロアは建物の中へと入り込み、文字通り目にも止まらぬ速度でルティウスの眼前へと接近して行った。
その動きを追えたのは、卓越した武の心得がある者だけ。
けれどルティウスの元へと辿り着くよりも先に、ジェロアの行く手を阻んだのは白いローブを靡かせてルティウスの前に滑り込むレヴィだった。
「近付くな」
威圧するように低められた声で牽制するが、しかしジェロアは動じる事なく立ちはだかるレヴィの影から必死にルティウスを見ようと動き回っている。
そうした一部始終を、一切の状況を理解出来ないまま眺めていたルティウスは、呑気にもリーベルへと声を掛けた。
「叔父様、この人⋯叔父様の知り合い?」
全くの悪気もなく、普段通りにリーベルを『叔父』と呼んでしまったルティウス。
その一言さえ無ければ、もしかしたら誤魔化す手段はあったかもしれない。けれどジェロアの目当ては『リーベルの甥っ子』である。
叔父様⋯たったその一言により、リーベルはその場に崩れ落ち、フィデスは頭を抱え、姉妹は呆然としていた。
「⋯⋯⋯え、だから、一体何?」
そしてルティウスのすぐ眼前までやって来たジェロアまでもが、何故か涙を流してその場に座り込んでいた。
「⋯えっ、ちょっと⋯⋯え?何で?」
慌ててジェロアへ声をかけようとするが、その行動は警戒を緩めていないレヴィによって制止された。
「⋯⋯⋯こ、声⋯も、なんっ⋯⋯て、可愛いんだ⋯!」
涙も垂れ流される鼻水も拭いもせず、何事かを呟きながら泣き続ける謎の男。それが部屋から出てきたばかりの、ルティウスとレヴィが抱いたジェロアへの第一印象。
けれど『可愛い』という一言だけを聞き取っていたレヴィは、一層の警戒を強めてルティウスの前で壁となり、少し離れた扉の傍で崩れているリーベルへと声を掛けた。
「リーベル、コレは一体何だ?」
このままでは収拾がつかないと悟ったレヴィの一言により、崩れ落ちていたリーベルが顔を上げて簡単に説明する。
「⋯⋯⋯ジェロア。俺の、古いダチだ」
抱えていた荷物を傍らに置き、ようやく涙を拭い始めたジェロアは相変わらずの輝いた目で見上げ、レヴィの背後からそっと様子を覗いていたルティウスの姿を捉えた。
「⋯⋯あぁ、本当に⋯⋯⋯若い頃にそっくりだ⋯⋯」
「⋯そっくり?」
そしてルティウス自身が、ついに気付いてしまった。
自分が誰に似ているかなど、幼い頃から言われ続けてきたルティウスにとって答えは一つしかない。
「⋯⋯母様を、知ってるの?」
レヴィにしがみつくようにして顔を覗かせているルティウスの体勢は、見上げるジェロアからすれば『可愛らしく小首を傾げている姿』にしか見えない。
その光景は、ジェロアがかつて報われぬ初恋を抱いた相手⋯ルティウスの母であるサリアの若かりし頃を彷彿とさせていた。
「⋯ッ!⋯うぉぉぉぉ⋯!」
「⋯えっ!」
そしてまた、ジェロアは今度こそ号泣し、その場に蹲ってしまった。
「⋯ねぇ、俺はどうしたらいいと思う?」
「どうもしなくていい。部屋に戻るか」
目の前で泣き崩れる男を見下ろし、少しだけ心配そうにレヴィへと問うが、問題が起きたわけではないのだと判断し、レヴィはさっさと部屋へ戻ろうとルティウスを促した。
だがルティウスが去ってしまうと気付いたジェロアは涙で濡れた顔を勢いよく上げ、咄嗟に荷物の中へと手を突っ込んだ。
「ま、待ってくれ⋯!」
呼び止められ、ルティウスはそのまま振り返ろうとする。レヴィが尚も階段を登るべく進むその歩み寄りも速くルティウスの眼前へと辿り着き、その手に持っている物を差し出した。
「おい、お前⋯!」
警戒を続けているレヴィがジェロアを阻むよりも先に、ルティウスはジェロアが差し出した物を視界に収めていた。
「⋯⋯これ、は」
ジェロアの手にあるのは、白く小さな紙袋の中に入れられた、花の形をした焼き菓子。
「⋯これ、さ⋯⋯君のお母さんがね、若い頃⋯好きだったお菓子なんだ⋯」
「母様、が⋯?」
ルティウスにとって、それは何物よりも心惹かれるもの。
八歳という幼い頃に母を失ったルティウスにとって、母が好んだ物という一言だけで心は揺れ動く。
母親の愛情と名残を求めていると知っているレヴィもまた、その言葉を聞いてはルティウスを止められなかった。




